将棋界はDXの好例だと言える

最初に

私は将棋に関しては完全な素人。一方でIT業界には長く居座っている。
それを前提にお読みいただけると幸いです。

DXとは何か

経産省の定義を最初に見ておこう。

「企業がビジネス環境の激しい変化に対応し、データとデジタル技術を活用して、顧客や社会のニーズを基に、製品やサービス、ビジネスモデルを変革するとともに、業務そのものや、組織、プロセス、企業文化・風土を変革し、競争上の優位性を確立すること」

企業はこれまでに構築してきたシステムで膨大なデータを蓄積している。しかしそれをビジネスに活かしきれていない。
一方で「2025年の崖」というワードも提示されていて、2025年を境にシステムの老朽化を初めとしたさまざまな問題が企業に襲い掛かると警告をしている。もしこのままDXに取り組まなければ、早晩その企業のビジネスは苦しい状況に追い込まれると書かれている。
結論としては、だから、データとITを最大限活用した新しいビジネスに注力できるよう(つまりDX)早く取り組んでくださいね。ということなのである。

さて、将棋界に話を戻そう。

大きく3つの点に分けて話したい。

1.市場の開拓

みなさんは将棋の対局中継をどのメディアで見るだろうか。
NHKで日曜に放送されているNHK杯は有名で歴史もある。
古くからの将棋ファンの方にはおなじみだろう。

しかし近年は何と言ってもAbemaTVではないだろうか。
多くのタイトル戦が無料で生中継されている。
ご存じのとおり、AbemaTVはインターネット経由で配信を行うサービスである。しかも大半の番組は無料で視聴できる。

無料配信を入り口にして、月額有料プランへと誘導する「フリーミアムモデル」をビジネスモデルとして採用している。

AbemaTVはIT、インターネット、フリーミアムモデルをうまく使ってDXを成功させている好例であることは言うまでもない。

一方将棋界はどうだろうか。

藤井竜王のデビューから今までの活躍は、フィクションを越えるといわれるほどのものである。デビューからの29連勝の最中は毎日のようにテレビのワイドショーでも取り上げられるほどに。その後の活躍は言うまでもない。

ワイドショーを見て将棋に興味を持った人が取る行動は?と考えると「実際の対局を見てみたい」となるのは必然である。
そう思ったときに、20年前ならテレビでNHK杯を視聴する、書籍を買う、雑誌を購入するなどしか手段がなかったのである。

それが今は24時間いつでもAbemaTVで対局が配信されている。いつでも、すぐに見ることができる環境があるのだ。

欲求を即時に満たすことができると、興味や関心は継続する。そして、実際に視聴して、さらに興味・関心を深める人もいるだろうから、確実にファンのすそ野は広がり、同時に深化する。

ファンの数が増えれば、必然的にこれまでよりも関連商品が売れるようになるし、ファンの数が増えれば、タイトル戦や棋戦のスポンサーも投資するようになる。将棋界全体が潤う構造へと好循環が生まれてきているのが現在の状況だと言える。

以上のことから、AbemaTVは将棋というコンテンツを入り口にして、ユーザーの取り込みに成功した。将棋界はAbemaTVとの協力によって、市場を広げや新規競技者や新たなファンを獲得することに成功した。両者ともにDXを成し遂げつつあり、ビジネスを成功へと導いていると言えるのではないだろうか。

2.ITの活用

前述したようにAbemaTVはITとインターネットを活用したフリーミアムのビジネスモデルである。
果たして、これらの仕組みだけで今の成功を勝ち取ったのであろうか?

答えは当然「否」である。
一度でもAbemaTVの将棋番組をご覧になった方はお分かりだと思う。
「ITの活用」といっても幅は広い。
番組内ではIT技術、その中でもAIを活用した工夫が施されている。

工夫は主に2点に集約される。
その1:形勢数値化
その2:候補手と形勢変化度の表示

この2点の導入により、一般人には難解な将棋という競技を、誰もがわかるものに変え、入りやすく、親しみやすい者へと変えていったのだ。これは素晴らしい功績だと思う。

その1:形勢数値化

形勢数値化によって、将棋にスコアを取り入れたといってもいいだろう。野球やサッカーは誰が見ても、どちらが有利なのか一目瞭然である。その理由はスコアがあるからだ。

しかし、将棋にはスコアがない。スコアで勝敗が決するわけでもない。
そのため、詳しくない人が見ても、どちらが優勢なのかはまったくわからない。旧来の番組内では現役のプロ棋士が実況と解説をしていたが、彼らも全部を読み切れるわけではない。だから、どちらが有利と明言しない局面がほとんどであった。

翻ってAbemaTV。
AIに形勢を数値表示させることによって、素人が見ても一瞬で優劣が判断できる仕組みを導入した。さらに優れた工夫として、形勢を100分率で表示したことが挙げられる。
50:50から始まり、最後はほとんどが99:1となる。

PCなどで使用されている将棋AIは、形勢をスコア化するものが多い。
例えば「1000点」などである。

将棋AIのことを知らない人が見て「1000点」と言われて意味が分かるだろうか?普通はどちらが有利な状況なのか判断できないだろう。

実は数値の前に「-」(マイナス)がつくかどうかで、先手番が有利なのか、後手番が有利なのかがわかるようになっている。
例えば、「1000点」ならば先手番が有利な状況である。
逆に「-1000点」ならば後手番が有利。

しかしここでも問題が発生する。
「1000点って、どれぐらいの差なの?」ということである。
これはソフトによって、異なるので何とも言えないのだ。

それを万人がわかる形である100分率にしたことが、功を奏した。
99:1なら、明らかに先手が勝利目前であり、55:45なら先手が少しだけ優勢なのである。

その2:候補手と形勢変化度の表示

AbemaTVでは、AIが考える次の手の候補が5種類表示されている。
そして、それぞれの手を選択した場合の形勢の変化も0%、-2%、-5%などと表示される。

例えばこんな感じだ。かなり極端な例だがご容赦いただきたい。
5三角(0%)
5五角(-5%)
3六歩(-7%)
5五歩(-10%)
1四玉(-90%)

一番目の候補を選択すれば、形勢に変化なし。
2番目の候補「5五角(-5%)」を指せば、相手方が5%有利を広げる。相手が5%獲得するということは自分は5%失うので、一気に10%も開くわけだ。
勘違いして「1四玉」を打ってしまうと、大逆転が待ち受けている。

このしくみをとりいれることで、視聴者は候補を見ながら、どきどき、わくわくするはずである。
将棋中継にエンターテインメント性をうまく取り入れ、視聴者を飽きさせない工夫がこれなのである。

もちろん、AIは限られた時間の中で最善と思われる候補を考えるので、間違いもあるし、表示されている候補手が目まぐるしく変化する場合もある。
実際に対局中の棋士が候補の下位の手や、候補に存在しない一手を選択することもあるのだ。

しかし、棋士が実際に指した手がAIの選択を上回ることがある。表示されている数値が-10%だったのに、後日AIに長時間読みを続けさせると、0%と表示されるなんてこともあるのだ。
将棋関連のYoutubeで「AI越え」などと言われているのが、その類のものである。

昨今では解説のプロ棋士でさえも、この候補を見ながら話していることが多い。それぐらい正確な情報を表示しているのだが、時間の制約というものがある限り、コンピューターにも限界はあるということだ。

「AI越え」が起こると、まだまだ人間の能力には未知の領域があることを実感するし、その手を指した棋士には敬意を持つものである。
またそのようなことが起こると、後日Youtuberがこぞって「AI越え」を話題にするので、より盛り上がりを見せるという好循環が生まれているのである。

このように、IT技術の中でもAIを取り入れ、かつ、形を変えて提供することで、わかりやすくし、エンターテインメント性を高めた番組に昇華しているわけである。

3.AI vs. AI

将棋ソフトがプロ棋士に勝てない時代が長く続いた。

AIが初めてプロ棋士に勝ったのは「2013年 第2回将棋電王戦」
わずか10年ほど前の話である。
当時の最強将棋AI5ソフトと現役プロ棋士5人がそれぞれ対局し、結果は人間の1勝3敗1分。この時点で、もうAIが人間を超えることは確定した。

AIが完全に人間を越えたといわれているのが「2017年 第2期電王戦」である。佐藤天彦名人(当時)が、将棋AIソフトponanzaに敗れたのである。

その後は、AI vs. AIへと戦いへと移り、いろいろとルールを変えながら、さらなる高みを目指して開発は続けられている。

棋士は将棋AIを利用し、過去の自分の対局だけでなく、あらゆる対局を振り返り、反省し、新たな妙手を発見し続けている。
また、定跡を深く研究することもたやすい環境になった。研究の中で定跡を疑い、新たな一手を発見することも一瞬で可能になったわけである。
つまりAIを活用することによって、棋士の実力の底上げが、これまでにないスピードで進行しているのである。

最初は単純に過去の棋譜を暗記させる程度のものだった将棋ソフト。それがAIを実装し、過去の膨大な棋譜や定跡を元に、数百億手のパターンを瞬時に読む力を身に付けた。その結果、人間をはるかに凌駕したのが現在の姿。

将棋界はその技術を上手に活用し、発展を続けている。まさにDXに成功した姿ではないだろうか。
今後は、より高性能、高速、高機能のAIが将棋中継を盛り上げ、さらには将棋界全体を隆盛へと導く役割を続けていくことだろう。





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