鬱とのつきあい 3

母が亡くなる1年ほど前だったろうか。
私はある日突然動けなくなった。身体が布団に沈み込むような感覚。指一本すら自由に動かせない。
慢性の腎盂腎炎を持っていたので、疲労からくるモノだろうと安静を心がけたがなかなか治らない。

介護は立ち止まれない。
私は自分に檄を飛ばして無理矢理身体を動かした。
その時気づくべきだった。
今更ではあるが、鬱の初期症状だったのだと思う。

私達親子の関係性は、最悪だった。そんな親の介護をしなければいけない。。。
それがどれほど自分の精神を蝕んでいたことか。
おまけに姉とも相性は良く無い。しかし病気が病気故に、そして甥のために休みごとに様子を見に行った。
苦渋の日々だ。
体力も果てて、将来の見通しもない。
鬱になる要素は全て揃っていたのだ。

母が亡くなり一年経った頃、過呼吸の発作が起こり始めて病院に通った。風邪が引き金だったので内科で軽い安定剤を貰っていたが、「精神的なものだからねぇ」との言葉を聞いて精神科を受診することにする。
かねてから自分の心の在り方に疑問を持っていた私にとっては、渡りに船といっても良かった。

姉と同じ病院のお世話になり、何度目かの受診で鬱病と診断されて薬の処方が変わった。
幸い仕事を続けられる程度だったし、鬱病を公表しても環境にはなんの変化もなく、穏やかな月日を重ねていくことが出来たのはラッキーだったと思う。

一方、母が亡くなる前からしていた姉の病気についての勉強には、ますます熱が入った。その内ある考えに辿り着く。
姉と私は一卵性双生児に間違われる程外見が似ているのだ。と言うことは、 DNAもまた似ているのではないか?

自分の精神分析=姉の精神分析

そこから、何かの答えが導かれるような気がしたのだ。
ありとあらゆる精神分析の本を読みあさり、自分と向き合う日々が始まった。どんなに危険な事なのかも知らずに。

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