働かないおじさんが、実は働いていた件
先日、働かないおじさんのなかには、「本当に働いていない人」だけではなく、実は「自分自身では働いていると思っている人」も存在しているのだと気づいた。
なぜそのような人が「働かないおじさん」のレッテルが貼られてしまっているのか。おそらく、おじさんにも雇い主にも、お互いに原因があると思う。
まず、自分の業務範疇をおじさん自身が線引きしたり、スキルやリテラシーが時代と合わなくなってきたりしている可能性が高い。そのことから、今やるべき「会社に貢献する」仕事を担当せず、「働いていないおじさん」扱いされたり、担当しても満足のいく結果を残せないでいるケースが想定される。
もちろんプライドや過去の成功体験から自身が時代遅れになっていることを認めなかったり、自身のスキル不足がわかっていても、残りの社会人人生を考え、そこからのスキルアップや新しい領域にチャレンジすることを止めてしまっている場合もあるので、それらは自分が蒔いた種とも言える。
また雇い主側もおじさんに対して、現状の指摘ができていなかったり、モチベーションの向上も図れていなかったりするのではないか。
指摘やモチベーション向上の働きかけをしたとしても、おじさんに正面から向き合ってもらえないケースも多々あるだろう。
この場合は、成果が期待値以下になったら、雇い主側はそれ以上向き合うのが、馬鹿らしくて諦めてしまうのではないかと思う。
そのような事態を避けるためには、事前からお互いによる歩み寄りと期待値調整が必要なのだが、それはコストも時間もかかる作業だから、後回し・優先度を下げてしまい、結果として「働いているのに『働かないおじさん』」という人が生まれているのだと思う。
ただ、これは今の時代の、このおじさんたちだけに限った話ではなく、誰もが予備軍となり、このような扱いを受ける可能性がある話なのだ。
だから、そうならないためには、常に情報感度を高く持ち、常にスキルのアップデートをし続けないといけないのである(営業力や調整力、人脈など、おじさんにはおじさんの仕事のやり方があり、そこを評価してもらうという話もあるかもしれないが、それらはやがて個人のスキルではなく組織知などに取って代わられるものだと思う。その話は別途)。
もしスキルのアップデートができなければ、ゾウの墓場のように、自ら立ち去るしかない。
※今回、世間で使われている表現上、形式的に「おじさん」と表現をしました。男女で格差のある話ではないと思っています。