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第6回:『13デイズ』(2000年)

この映画は、キューバ危機におけるアメリカの政策決定プロセスを細かく映像化した作品だ。キューバ危機とは1962年10月に起きた13日にも及ぶ一連の事件のこと。ソ連の核ミサイルがアメリカと近いキューバに持ち込まれたことをきっかけに、一時は人類を「核戦争」の一歩手前まで導いた。1945年の第二次世界大戦終結から始まる戦後史においてこの事件は、最も重要な事件の一つといえるだろう。

政策決定プロセスというが、そもそも、国際政治学における政策決定プロセスの分析はいまもなお研究が進められている分野だ。僕は大学時代、真面目な学生ではなかったものの国際政治には興味があり、卒業論文では日本の首相の意思決定プロセスをリーダーシップの観点から比較研究を行った。そのきっかけは、1939年当時日本の首相だった平沼騏一郎が残した「欧州情勢は複雑怪奇」という言葉で。つい最近も、アメリカと北朝鮮の間で「Little Rocket Man(小さなロケットマン)」「Old(老いぼれ)」とけなし合っていたかと思えば、ニコニコ顔で握手する。外交交渉の勝利といえば聞こえは良いが、昨日の敵が今日の友に変わるこの国際情勢は、まさに「複雑怪奇」と言うほか無い。

見えない敵との対話

この映画の面白み、それは「複雑怪奇」な情勢をどのように乗り越えるべきかを考えるところにある。ホワイトハウスを舞台に主演はケビン・コスナー演じる大統領特別補佐官のケネス・オドネルだが、強いて言えばこの映画の主演は登場人物のすべて。大統領のジョン・F・ケネディ、司法長官で弟のロバート・ケネディ、国防長官のロバート・マクナマラ。そこに陸海空軍のトップ、国連大使などが続く。それぞれの「正義」をより合わせ、ときにはそれを捨てながら。最善と思われる政策を実行していく。


特に印象的な「映画の瞬間」は、海上臨検中のペンタゴンのシーン。行方を見失っていたソ連船を発見し、引き返しを誘導しようとするもソ連船は応答なし。やむを得ず海軍大将で作戦部長のジョージ・アンダーソン・ジュニアは曳光弾を船の「頭上」に向かって「警告」として発砲する。

パン、パン、パンとソ連船の頭上で爆発する曳光弾。しかしこの発砲は、たとえそこに攻撃の意思が無く「警告」だったとしても、受け取る側にとっては「攻撃の意思」と捉えられかねない。だから、事前に発砲を知らされていなかった国防長官のロバート・マクナマラは、必死の形相で海軍大将で作戦部部長のジョージ・アンダーソン・ジュニアに詰め寄る。

ロバート・マクナマラ:大統領の許可なく発砲するなと言われたはずだ
ジョージ・アンダーソン・ジュニア:我々は船に向かって発砲したんじゃない、船に向かって発砲すれば「攻撃」だが、我々は船の頭上を狙っただけだ
ロバート・マクナマラ:大統領の命令はそうじゃない! ソ連が今の私と同じ誤解をしたらどうなる?

映画『13デイズ』


政策決定は「想定」に基づいて実行される。お互いに顔を突き合わせて会話できればいいが、そもそも会話できる関係なら、こんなことにはなっていない。相手の意図を推定しながら、こちらが対応し、それを相手も「推定」する。その繰り返しだ。

昔、ベトナム戦争に関する本を読んだとき、ベトナム軍の指揮官が「ベトナム軍は指揮系統がめちゃくちゃで組織戦には不向きだった」というのに対し、アメリカ軍の将校が「ベトナム軍がそう意図していたとは思わなかった」と話す箇所があったことを覚えている。要は、自分たちの行動が相手にどのように解釈されるかまでを考えないと意思決定を誤ってしまう。だからこそ、ロバート・マクナマラは警告のための発砲だとしても相手に攻撃意思があると思われると考えたために、ジョージ・アンダーソン・ジュニアを厳しい口調で諌めるのだ。マクナマラは続ける。

ロバート・マクナマラ:何も分かっていない! これは”封鎖”ではなく”言語”だ。世界が初めて知る言語だ。ケネディ大統領は、この言語を使ってフルシチョフと対話しているのだ!

映画『13デイズ』

ひとつ出方を間違えれば、「核戦争」につながる緊張感。全世界が米ソの一挙手一投足に注目する緊迫感。一つひとつの「行動」が、相手へ伝える「言葉」として機能するのだ。

正義と正義がぶつかり合う、明確な答えが無い世界で

この映画を見ると、いかに政策決定が難しいかを思い知らされる。まず、ホワイトハウス内でも一枚岩になり切れない。軍部は執拗に先制攻撃を主張し続け、実際に戦争を誘発するような軍事訓練を同時期に実施している。ケネディ兄弟も戦略的にリスクの大きいトルコのミサイル撤去(アメリカの友好国に対し、防衛義務を怠るように見えるため、ケネス・オドネルは反対していた)を交渉の材料に使おうとするなど、最後まで会議は紛糾し続ける。

結果的には、ケネディ大統領らを中心とした外交交渉の努力によって核戦争は免れたが、近年、当時キューバに持ち込まれたミサイルには150発以上の核弾頭が含まれていたとする調査もあり、先制攻撃を主張した軍部の意見にも合理的根拠もあったのだ。結果的に防げただけで。


「善」と「悪」、「正義」と「不義」。「平和」と「無秩序」。僕を初めとする人間は、物事を単純化しシンプルなものと捉えようとするが、話はそんなに簡単じゃない。完全な悪人などおらず、完全な善人もいない。誰もが善と悪の両方を持ち合わせているし、置かれた状況によってそのバランスは変動する。ある場面では「最適」とされた考えも、次の瞬間には「最悪」に移り変わっていく。このことは、国際政治だけじゃなく、世間一般の事象にも当てはまるのではないだろうか。


だからこそ、僕らはロバート・マクナマラが叫んだように「行動」や「言葉」を「言語」のように扱い、他者とコミュニケーションする必要があるのだ。それが「推定」だったにせよ、一歩一歩踏み出す必要がある。物事を前に進めるために。

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