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決定論的世界観を進むのは、意志?|『TENET(2020)』

このあいだ、友人と街をぶらぶら散歩していたら、突然その人が空を見上げ、両手でカメラのフレームをつくるような仕草をし始めた。何をしているのだろうと思って聞いてみたら、「飛んでいる飛行機を100回フレームに収められたら願いが叶う」とのこと。へぇ、そんなおまじないがあるんだと思って「でも、100回なんてすぐに達成しちゃうんじゃないの」と言うと「ただ、一度でもヘリコプターを見てしまったらリセットになってしまう。それが意外と難しいの」だそうだ。確かに、たまに緊急搬送か何かでヘリを見ることもまあまああるし、特に都内であれば高層ビルの屋上にヘリポートもある。その人ももう何回も挑戦しているが、まだ100回には到達したことがないという。なんとか頑張ってほしいものです。

「〇〇したら〜、△△になる」というのは、一般的には「因果関係」として理解されています。「原因」があって、「結果」が生まれるというもので例えば、「気温が上がったから、アイスクリームがよく売れる」とか「雨が降ったから、来店客数が減る」とかですね。はじめに原因があって、結果が生まれる。

よく、さっきのアイスクリームの例で「アイスクリームの売り上げが上がると水難事故が増える」というのがあるけれど、これは「相関」で、因果ではない。確かに何となく分かる気がするけれど、アイスと水難事故には直接の関係性は無い。単にアイスが売れるほど暑い時期なら海水浴に行く人も多く、その結果として水難事故が増えているというだけ。因果と相関は、2つの間にある「関係性」に着目した言葉と言えるわけです。

映画『TENET』(2020)

何をそんなことを今さら……とも思うんだけど、ついこの間ようやくクリストファー・ノーラン監督の『TENET』を観ました。この映画は、時間移動が可能になった未来からきた敵と戦い、第三次世界大戦を防ごうとするもの。時間移動というと、いわゆるタイムマシンもののイメージ(『ドラえもん』や『バックトゥザ・フューチャー』)があるけれど、 それらはあくまで現在から過去のある時点に行き、そこから現在・未来に向かって進み始める。つまり、時間の流れは「順行」であって、出発地点が巻き戻るだけ。今の僕らと時間の感じ方はまったく同じ。

でも、TENETのいう時間移動はそれとは全然違う。文字通り時間の流れを「逆行」するから。これがちょっと難しくて、テープの巻き戻しともちょっと違う。それだと単に順行の時間が巻き戻っているだけだが、TNETは時間の進む向きそのものが逆に進んでいきます。先ほどの因果関係が逆転し「結果があるから、原因が生まれる」という。ちょっと不思議な時間認識ですよね。

結果があるから、原因が生まれる。という世界

こうした背景から、TENETは「決定論的世界観」とも呼ばれている。決定論とは、過去(原因)も、それを進む現在も、そして未来に起きること(結果)も全て決定されているということ。この前提があるから、TENETでは未来から過去に逆行ができることになるわけなんだけど、ここで1つの疑問が浮かび上がる。「逆行して過去に戻れるのなら、そこから順行で進む未来も変わってしまのでは?」と。

だから僕なんかは映画を見ながらずっと「なんで未来を変えようとしないのか?」と考えていた。だって、長々とカーチェイスをしたり、大人数でドンパチやるよりも(映画にそういうシーンがある)、いちばんの原因である過去に戻って、ちょちょっと過去を書き換えれば済むだけの話なのに。にもかかわらずTENETに出てくる人間は、「未来にあるはずの歴史に現在がたどりつくように、ただただ決定されたスクリプトをなぞっているだけ」なのだ。変えられるはずの未来が、すぐそこにあるにも関わらず、彼らは決して未来を「変えよう」とはしない。

What’s happend, happend. Which is an expression of faith in the mechanics of the world, not an excuse to do nothing. (いずれにせよ、起こるべくして事は起きた。この世界の理だけど、何もしない理由にはならない)

映画『TENET』(2020)

これは映画内で主人公とともにミッションに挑む「ニール」という人物の言葉だ。ニールは未来から逆行し、現在でミッションを終えた後、「未来」ではなく「過去」に進んでいく。せっかく主人公とともにやっとの思いでミッションを達成し終えたというのに、その原因をわざわざ作るためだけに「過去」へ進んでいくのだ。うーむ。言葉にすると余計、分からなくなりますね。

ちょっと昔、テッド・チャン原作の『メッセージ(2016)』という映画の主人公も、自分の将来に何が起きて、その結果どうなるのかを知っていた。メッセージのほうは同時論的世界観といって、現在も過去も未来も同時に起こるという四次元的認識がベースになっているからTENETとはちょっと違うんだけど、それでも待ち受ける未来を受け入れるという意味は同じ。たとえその未来が悲しく、どれほど自分にとって辛いものであろうと知っていても、受け入れながら進んでいく。

一切は行き、一切は帰る。存在の車輪は永遠にまわっている。一切は死んでゆく、一切はふたたび花咲く。存在の年は永遠にめぐっている。一切はこわれ、一切は新たにつぎ合わされる。存在という同一の家は永遠に再建される。一切は別れあい、一切はふたたび会う。存在の円環は、永遠に忠実におのれのありかたをまもっている。
一瞬一瞬に存在は始まる。それぞれの『ここ』を中心として『かなた』の球はまわっている。中心は至るところにある。永遠の歩む道は曲線である。

『ツァラトゥストラ』ニーチェ

僕自身で言えば、未来を確実に見えたらどうなるだろうか。それすらも想像できない。ましてや死ぬ瞬間やそれに至る過程をありありと認識できてしまうなんて。でも、どうだろう。なんだかんだいって怖いもの見たさでチラッと、目を覆った手のひらの隙間から、覗いてみたり?するかもしれない。まあ、みるのと実際に行動するのでは全然違うと思うんだけども。間違いなく一種のニヒリズムに陥ってしまうと思う。そう考えると、ニールはニヒリズムを超越した「超人」と言えるかもしれないね。そのあたりのところは、哲学に詳しい人にお任せします。

次の映画は…

それはともかくとして、やっぱりクリストファー・ノーランの映画っていいですね。3月に公開される『OPPENHEIMER』も楽しみです。

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