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一人を大事にする

大学卒業後、大分に戻って高校の教員をかれこれ10年近くした(講師時代含め)。

その時、学んだことは「一人を大事にする

クラス担任をすると、どうしても、クラスのやんちゃな生徒の言動に目が向いてしまうけど、それだけではクラス運営は難しく、まじめに取り組んでいる生徒の何気ない言動を褒めるとか、おとなしい生徒に声掛けをするとか、一人一人にしっかり向き合うことがすごく大事だった。
家庭環境等から淋しさを感じている生徒が結構いたので、自分は相手にされてないと感じさせると終了…みたいな。

私が勤めた総合学科の学校は、生徒の多様性がすごかった。
それはそれで楽しかったけど 笑

この学校の生徒というか、
私が3年間担任をした学年のすばらしかったことがある。
ここは他の学校の生徒とは明らかに違った。
それは、「互いの個性を尊重すること」
小学校、中学校の先生方の教育の賜物なんだろう。
(町内に太陽の家関係の施設があることも関係しているような気もする)

最近、ジェンダー平等ダイバーシティインクルージョンなどの言葉を経営者の口からもよく聞くようになった。

なかには、本当に都合よく使っている人(ほぼマジョリティ側の人)もいて、「何もやっていないのに、よくそんなことが言えるな…」、と思ってしまうけど、経営者ってそんなものなのかなと最近、つくづく思う。


マイノリティ側からすると、何も分かってないからこそ、その言葉をいとも簡単に使えるんだろうなと思ったりもする。

セクハラとかパワハラとか「自分は絶対にやっていない」と言い切る人ほど怪しいのと一緒で(^_^;)

大切なことを自分ごと化できている人ってまだまだ少ない。特にマジョリティ側の人間は二極化が進みつつあるような。

同質性の高い人たちのみでいることは心地よいかもしれないし、違う意見も出てこないから経営上、都合がいいかもしれない。

組織の発展を真剣に考えると、同質性の高い人間のみで決めることが果たしていいのかは、いまの時代、しっかり考えるべき問題で、マイノリティを排除する組織、一人を大事にしない組織は発展しないと私は思う。
人を大事にしない組織に魅力はない。

女性の私にとっても、発達障害を抱えている甥っ子にとっても、誰にとっても、生きやすい、誰ひとり取り残さない社会が一日でも早く訪れることを願って。

甥っ子は中学生になりました^_^