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ないものに気づく難しさ

先日あったドイツ語の授業でおもしろいなと思う話題があった。この授業は僕とドイツ語を専攻している学生とネイティブの先生の3人で行われている会話やコミュニケーションの授業である。

その時のテーマは、大学について不思議に感じることや普通ではないと感じることだった。
僕ら学生がいくつか意見を言った後、先生が他の学生から聞いた話として、大学には電柱と電線がないということを話してくれた。
僕は前にもこの話を聞いたことがあったので、ああ、そういえばそうだったな〜と思いながら聞いていた。
しかし、もう1人の学生の子は初耳だったようで、あれ、そうだっけという感じで大学の様子を思い出しているようだった。

こうなるのはもっともだと思う。
ないものに気づくというのはとても難しいのだ。なぜかといえば、ないからだ。
最近では、景観を大事にしている観光地で電柱を地下に設置しているところが増えている。街を歩いているときにはそんなことに気づかず、道の駅の掲示板で、電柱を地下に設置していますというチラシを見て初めて気づいたりする。

ないものに気づくのは本当に難しい。相当な観察眼がないと気づけないと思う。

哲学の世界でも、ないものを示す問題の難しさというのがある。
ここに何かがあるということを示すのは簡単である。絵を例にとってみる。りんごがあるということを示すとき、りんごの絵を描くだろう。ただ、りんごがないということを示せと言われたらどのように表すだろうか。なにも描かない。点線でりんごを描く。りんごを描いてその上から大きく×を描く。どれもピンとこない。
ないものを示すのは難しいのだ。

この記事を読んだあと街に出たあなたはなにかないものに気づくことができるかもしれない。

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