あまりに辛いと記憶は閉ざされてしまう


ちょっとした異変

いつからだろう。
1日数回、必ず胸を気にするようになったのは。
手で触ったり押したりしては
首を傾げるママ。
わたしはその様子に気づいていた。
だけど、まさか病気なんて、がんなんて、
そんな発想なかった。
あのとき、ママに
「どうしたの?」
「痛いの?」
って聞いてみればよかった。
「病院行ったら?」
って言えばよかった。
パパやじじばばに
伝えればよかった。

そうすれば
早期発見早期治療ができて
助かっていたのかもしれない。

今頃、わたしの隣でママは笑っていたかもしれない。

ごめんね、ママ
気づいていたのに言わなくて
みてみぬふりをして
ママのこと助けられなくて

娘として後悔しています。


すべてのはじまりは“あの日”

あの日はまるで災害のように突然やってきて、
わたしたち家族の人生を狂わせた。

わたしが小学校3年生だったその日、
珍しくママは何も言わずに出かけていった。
わたしはパパと公園に行ったから、
土日だったかもしれない。
理由も言わずに一人でどこかへ行ってしまうなんて、ママにとって珍しすぎることだった。
だからなんだか胸騒ぎがした。
けど、公園で遊んでいる時間はきっと
楽しくて、そんなこと忘れられてたと思う。

公園帰りに、車でママを迎えに行くと言われ
向かった先は病院だった。
来たことがない病院だけど、
病院ってことははっきりわかった。
そしてなぜかそこには、
ママとばーばがいた。

何でそんな暗い顔してるの?
何で目が赤いの?
何で何も喋らないの?
何があったの?

こんな疑問が頭の中をぐるぐるしたけど
何かあったことだけは9歳のわたしでも
察することができたから
黙っていることにした。

でも車の中の空気は重すぎて
不安と恐怖で押しつぶされそうだった。


ばーばをお家に送ってからも
パパとママとわたしの中に会話なんてなかった

家に帰れば、
わたしをはやく寝かそうとしてきた

“あ、2人でこっそり話すんだな”。

空気を読んで部屋に行った
けど、気になる
気になりすぎる
知りたい
何があったのか
不安で押しつぶされそう
このままじゃ寝れない

よし、こっそり廊下に行こう。


わたしのママが、がん?

パパとママがしていた会話の
流れとか詳しい内容とかそんなのは
まっっったく覚えていない

衝撃的だったから
ショックだったから
すぐは涙も出なかったから

【ママががん】

嘘って言ってほしかった
間違いであってほしかった
誰か違う人の話であってほしかった

でも
はじめてみたママの涙が
すべてを示していた。

それからの記憶がほとんどない

パパとママには盗み聞きしたことはバレなかった

どっかのタイミングで区切りをつけて
自分の部屋に戻ったはず

きっと、たぶん、いや絶対
部屋で泣いたはず
声を殺して
今までにないくらい

そして泣き疲れて寝たと思う

でもほんとに記憶がない
その夜中のこと
そして次の日の朝のこと
次の日以降のこと

パパとママの様子
わたしがどうしていたのか

記憶ってこんなに消えてしまうものなのか

思い出せないものなのか

それほど絶望的だった

でも本当の地獄の物語はここからはじまる

作り話のような
ドラマのような
いや、その両方にもならないほど
信じられない人生を送ることになる。

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