タイムのウィキペディア「戦後は日本が国際政治のプレイヤーでなくなった」と書いてあったので調べてみた。

戦後日本人がタイムの表紙になるのは珍しいという話

ノートで引用したこの部分

1923年の創刊以来、このタイム誌の表紙には日本人が41回取り上げられている。戦前・戦中はそれなりに多かったが、戦後は日本が国際政治のプレイヤーでなくなったことから極めて稀になった。さらに昭和天皇が6回、近衛文麿と米内光政、盛田昭夫が各2回載っており、また「アジア系の高知能児」や「広島の被爆者」といった人々を代表する不特定の人物として掲載された者が2例あることから、実際に「カバーパーソン」にとして表紙に取り上げられた日本人は31名を数えるのみとなっている。

以下、号日付は各号の表紙、その下のタイトルはカバーパーソンを特集した記事へのリンク。肩書は選出された当時の代表的なものをあげた。

読んだ人から『戦後は日本が国際政治のプレイヤーでなくなったことから極めて稀になった』っておかしくない?というツッコミがあったので調べてみた。

ウィキペディアに表紙なった日本人の一覧があったので、それを集計してみた。

「戦後は日本が国際政治のプレイヤーでなくなった」というのではなくて、1930年代から1940年代にかけてアメリカの敵国として、関心があっただけにすぎないようだ。
戦後の経済復興に伴い、もっと企業家が表紙になってるかと思ったがソニーの盛田氏が二回、松下幸之助氏が一回のみだった。

2010年代に一度も表紙になっていないというのがアメリカの日本への無関心と日本の凋落ぶりを表してて悲しいな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?