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宮城旅行記5〜南三陸震災遺構〜

燦々と光る太陽のもと車を走らせる。
三陸自動車道を真っ直ぐ行く。

目的地は仙台市から離れて南三陸町。

東日本大震災において
甚大な被害を被った地域だ。

南三陸町に到着する。
近づくにつれ、周囲の景色は徐々に変わり始める。南三陸町さんさん商店街にて車を停める

12年前、未曾有の大津波を襲った痕跡を目の当たりにする。
平地に海まですっと見渡せる景色にあるは沢山の空き地、頑丈に作られた堤防、そして震災復興記念公園にある津波によってズタズタに引き裂かれた旧防災対策庁舎だった。

それだけでもここで実際にあったことが
語りかけてくる。

自然と涙が溢れてくる。

今まであった日常が、あの日確かに
崩れてしまったんだ。

いつものように行ってきますといった人が2度と帰らない。大切な人も思い出の場所も何もかも、全てを津波が薙ぎ払ってしまった。

そんな光景が実際にあったんだ。
それを思うと深い悲しみに落ちた。

涙の理由は、そこにあったのだと思う。

訪れた場所はさんさん商店街の中にある
佐藤信一常設写真展「南三陸の記憶」と、
震災復興記念公園の二つだ。

常設写真展については、友人から話を聞いていたが、見るには覚悟が必要な展示だと感じた。すすり泣きながら展示を拝見した。作者がリアルタイムみた津波の恐怖、それを取り巻く人々を切り取っていた写真に抱いた感想は、写真は怖いということだ。でも、これこそが写真の持つ力なのだと思う。現実を写しとる、そこにあったことを克明に切り取る。それを伝え続ける。そのプロセスを行うことは並大抵の使命感では行えないことだと思う。作者の覚悟を感じた。

この展示の感想については、違う記事を書こうと思う。

作者の展示している中で一番記憶に残っている言葉は


「生れて初めて自然を憎んだ」


写真集を買って外に出る。被災者ではない自分が今できること、それは事実を忘れないということだと思う。写真集は南三陸町で起きた東日本大震災の記録が記されている。それは津波の脅威という側面だけでなく、被災をした人々に取り巻く生活や人々の思いを克明に刻んでいる。何があったか作者の写真と言葉が語っている。これを見る限りは、震災の記憶は風化されずに永遠となる。そう感じた。

そして写真集は売り上げの一部が被災地に還付されるとのことである。微力ながら私にできることはこれくらいだ。
展示を見終えて、震災記念のメモリアルパークへ足を運ぶ。涙が溢れる。泣きながらその場所を切り取っていく。

生まれて初めて、カメラを向けるのが怖いと感じた。撮らない選択肢はもちろんあったのだがそれでも写真を撮った。ここは写さなければならない、残さねばならない。

ここであったことを忘れないために。

私の中で使命感が芽生えていた。

南三陸町を訪れて、一つ自分の中で
明確となったことがある。

それは至極当たり前のことではあるが、
今ある日常が明日も続いている保証など一つもないという事だ。だから日々を後悔なく一分一秒を生きていきたい。深くそう感じた。
訪れることができてよかった。
この未曾有の大災害が、また起きてしまわないように静かに祈るのみである。

そして私は、この地を後にしてもう一つの震災遺構、石巻市の大川小学校へと足を向けた…

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