見出し画像

「本気を出す!」より大事な毎日そこそこ。

自分が上手くいってない時ほど、こう思う。

「まだ本気を出してない。」

「本気出すのは全部整った時だ」

現時点が自分の全て

本気を出してようが出してなかろうが、毎日の積み重ねで明日は作られる。

その明日は自分の人生の楽しさに当然直結する。言い訳ほど意味がないものはない。現時点の僕がすべて。

カッコ良い理想やイメージもツイートも、どんなことを言おうが、今の僕が現時点。やってることの全て。

その人の言葉やツイートではわからないが、やっていることを見ると全てがわかる。だから行動が大事だ。

毎日の必要に本気はいらない、ほしいのは続けれるそこそこ

毎日出来ることをやる。やる気が出た時だけやる、そんなことは毎日の中にはない方が良い。

やる気が出れば、当然やる気はなくなる、反動で他のことすらやりたくなくなる。根こそぎ毎日のやってたことを奪っていく。

だからない方が良い。明日は毎日の積み重ねでできる。自分はその積み重ねの集大成だ。

やる気なんてそもそもない。動機付けをしよう

そもそも心理学的にやる気という言葉はない。動機付けという言葉があるだけだ。

適切に自分を動機付けて、思い描いてる未来の自分をイメージして、そこ向けて毎日そこそこ続けれている方が、素晴らしい明日がやってくる可能性は上がる。

毎日そこそこやった僕は少なくとも「重い腰を上げて本気を出した時の僕」より、その時点で先へいっている。

それは今回の自粛の引きこもりで実感した。

自粛期間中の使い方をミスらなかった

最初はだらっと過ごしてみたが、次第にこのあまりある時間の貴重さに気付き、時間を忘れるくらいに勉強や練習、行動をした。

その結果は自身で跳ね返るくらいに変わった。びっくりした。

夜中に位置情報ゲームで歩き回ってた僕が、筋トレに切り替え、椅子に座って勉強・練習。

あのままずっと自粛期間だらっと過ごしていたら毎日記事を書き、思考をアウトプットしてみようという行為もしなかった。専門知識が増えることもなかった。

技術と上達しなかったし、なぜ自分がそれをやるかの言語化もできなかったし、それにより認知も出来なくなり、ぼやっと過ごした。

答えを求めるでなく、答えを自分で出す動きがあるかどうか

人はたった1〜2ヶ月やると変化を始め、3ヶ月くらいになると別人なくらい変わる、僕はそう感じた。

ただ、大事なのはその最中僕は答えを探していたわけでなく、答えを考えて実行した、ということ。

答えは探すのではなく、自分で考えて実行するものだ。

僕は本に答えを求めて読んでいない。本から得た何かで僕は勝手に仮定で答えを出し、それを実行する。失敗してもいい。昨日書いたが失敗こそ行動だ。

何よりの収穫は答えを出すのに慣れたこと

そんな中で自分で答えを出しやすくなった。これが何よりの収穫だった。これによりほぼ全てが変わる。

これは共有したいと思い記事でも書くようにしている。

動機付けというならば、良いものを自身で体験して実行して見つけたので嘘偽りなくオススメできる。

こういった情報なら今後も書きたいし、見つけたい。それにより周りが変化すれば、こんな嬉しいことはない。

そして自分なりの情報発信にもなる。情報発信はとても苦手だが、自分をしっかりと世の中にアピールするのは大事だ。

しかしなんでもやれば良いとは僕は思えない。炎上も好きではない。

自分の中で実行したこと、体感したこと、それなら相手に何を言われても良い。あなたにはあわなかった。僕では無理だったが、あなたに合う方法が他で見つかってほしいと心から思う。

共感してくれるたった1人に向けて

人は千差万別。だから全員に当てはまらない。ただ僕の毎日の朝6:30のジャズ演奏の生配信も見てくれる人がいるように、誰かは共感するかもしれない。

それにより楽しむことができるならウィンウィンだ。明日も朝6:30からジャズの演奏配信をする。

特別なことはない。毎日出来るようにゆるふわっとコーヒーを飲みながらピアノを弾いてるだけだ。

今は視聴人数を二桁に載せれるように頑張りたいと思う。最初は1〜2人だった。今は5人になった。嬉しい。嬉しすぎる。

インフルエンサーは何千人と見てる。僕は5人。全然恥ずかしくはない。

なぜなら、恥ずかしいのは失敗しないことだから。

日々のつぶやきは、

見てるだけで音楽教養。かねこのジャズチャンネル

和風ジャズピアニストかねこ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?