見出し画像

頑張っているのにあなたが評価されない理由

世の中には頑張っているのになかなか結果が出なかったり周囲に評価してもらえない人たちがいます。

こんなに必死に頑張っているのに報われないと、頑張れば頑張る程追い詰められてしまい、肉体的にも精神的にも弱ってしまう人を多く見てきました。こういった人たちに共通するのは非常に真面目だということです。

真面目に生きることが良いことか悪いことかというのは本人の価値観の問題ですから、一人一人が好きに決めれば良いことだと思います。ここでは、望んでいる成果を出すことと真面目さは関係がないという話をしたいと思います。

真面目な人に共通していることは、真面目=良いこと、そして真面目に頑張ればいつか評価してもらえるハズという根本的なビリーフ(信念)を持っていることが挙げられます。

確かに学校では先生の言われたことをきっちり行う真面目な人は褒められますし、先生にも好かれます。きっと家庭でも親御さんの言いつけをしっかりと守っていることでしょう。

しかし、真面目に生きるというのには一つ罠があります。それは真面目に何かをやること=評価されるべきことではないのです。真面目な人の多くは世界は不公平で人間は完璧でないということを中々受け入れることが出来ません。つまり、評価する側の人間が不公平で不完全な人間である可能性を無視した世界で生きていることが多いのです。

評価する側の人間が不公平で不完全な人間であるということは、彼らがきちんと物事を評価出来るかは甚だ疑問です。そんな世界に生きているにも関わらず実直に真面目に頑張るというのは、それだけのリスクをはらんでいることになります。

もちろん、自分の価値観として真面目に生きることに何ら問題はありません。ただし、実直に真面目に生きるということは、その頑張りがあなたの思っているような方法で正当に評価してもらえない可能性も十分ありえるということを、最初から認識しておく必要があります。

このことをきちんと認識していないと、頑張り損だったり頑張っているのに評価されないというフラストレーションに繋がってしまいます。

もし、本当に真面目に生きることを人生の中で重要な価値観として持っているのなら、真面目に人間とは何かについて考える必要があります。

自分が真面目であることに何ら問題はありませんが、他人に真面目になることを強要出来ないからです。それは、世の中にはいつの時代もずる賢い人や身勝手な人が存在しているということになります。

そんな真面目な人がきちんと評価されるためには、他人のモチベーションの源泉は何か、そして誰かが意思決定をする時に何に影響を受けているかを認識することが必要です。

端的に言えば人は皆、自分にとって関心があることを優先します。政治家が口ではどんなに綺麗事を並べていても、実際には国政より自分の次の選挙のことや収入を考えているというのが良い例でしょう。

つまり、真面目な人は自分以外の人々もしくは自分のことを評価する人間が、どんなモチベーションに突き動かされており、また、何かを判断する時に何に影響を受けているかを考える必要があるわけです。

この影響の分かりやすい例が学歴や数字などです。多くの人は自分の中に何か明確な基準を持っていません。大抵の人は何かを評価する際に、どこからか目安となるための定規を借りてきています。その定規が何を測っているのかを知ることが真面目な人がきちんと評価されるためには必要なのです。

目の前にある仕事を真面目にこなすことは確かに大切です。しかし、もしあなたのモチベーションが誰かに評価されることなのであれば、人間について知る必要があるのです。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?