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【自己紹介】これまでのことPart2

こんにちは
2報目になります。
今日は書けるところまで幼少期から振り返ろうかな。
先に進む前に過去を掘ってみようと思いました。

幼少期

ビビりでお母さんの後ろにひっついているような少年でした。
公園に行っても人とは遊ばず落ち葉拾ったり、砂場で遊んだりしていたそう。
でもそこまで記憶に残ってないんだよな。

小学生

低学年のうちは活発な子だったと思います。
人前でふざけて笑わせたり、期待に応えるのが好きでしたね。
中学年あたりで人見知りになっていって、ずっと同じ友達と遊んでました。
ここら辺で少年サッカーの習い事を始めたんですけど、これがホント出来なくて、でも辞めるのは選択肢にない家だったので小学校卒業までイヤイヤ続けてましたね。

“今感じている思い”
親父はやめ癖がつくとか言って辞めさせてもらえず、その後も「あの時やってたから体育楽しかったやろ」等良かったように言ってきますが違いますね。
確かにプラスの面もありました。
でも、自分の意見より親の意見が大事、次も何か始めたら嫌でも辞めれないなら始めたくない、出来ることだけやろう、などマイナスの面も大きかったんじゃないでしょうか。言えないですけどね。

高学年あたりで勉強が出来る方だと気がつきました。授業聞いているだけでテストは100点。理屈っぽい方だったのもあり、同学年のはぐれ物グループでまとめ役みたいなことしていました。
そこで「お前らの手に負えないことが起こったら俺のせいにしていいから」とか言っちゃってたんですよね、生意気が過ぎます。
これで不幸が一つ降りかかったんですよ。
電池を投げて体育館のガラスを割った事件が起こりました。
それで冤罪で疑われて、放課後に校長室で2時間近く尋問されちゃって、「お前がやったタレコミはある」「電池の指紋とって刑事事件にしてやろうか」って散々(笑)
結局「やったって言うまで家に帰らせない」なんて言われて認めちゃったんですよね。

こうやって冤罪事件って生まれるのかって小学生のうちに思って、大人を信用しなくなったの覚えてますね。今は疑われるほど印象悪かった自分の自業自得もあるよなと思ってます。

ガッツの由来

小学生の頃、ガッツ石松さんが流行ってたんです。
僕の本名が石原なので、ガッツ石原って呼ばれ始めて
後半が省略されてガッツになりました。
めっちゃしょうもない理由です。
でも結構気に入ってるんです。
何でですかね、ガッツがある方でもないし、憧れがあるのかもしれません。

中学生

中学生でも勉強は引き続きできたんですよね、ラッキーって思ってました。
その反面部活で入ったバスケットボールはこれまた出来なくて、、、
その時は辞めれないと分かっていたんで、出来ないなりに先輩とふざけたりして遊んでましたね。

部活は結構縦で厳しくて、サボってる2年を3年がしばいたりしてて、戦慄したのを覚えています。土下座して謝ってる2年を3年が蹴ってたんですよね。これは部活の時間はサボっちゃダメだ、殺されるって。


この頃は自分に得意やったのが勉強だったから、これが失われたら自分の価値が無くなるみたいに感じながら勉強していたのを覚えてますね。
それから志望校選択時、自由な校風の高校が偏差値59くらいであって行きたかったんですけど、親父に「そんな程度の低い学校に行くな、そこを受験するなら学費は払わん」って否定されて、結局偏差値65くらいのところに行くことになったんですよね。

後で書くけど、高校自体は楽しかったから行ってよかったです。
でもやりたい事はメチャクチャ否定されるんだなって自分を押し殺すようになりましたね。
この頃はストレス発散に自宅にあった廃材をハンマーで壊してました(笑)
鬱屈しながらも”いい子”の範囲内にいようと努力していましたね。

本筋とズレるけど中2で深夜アニメに出会ってどハマりしたんですよね。
涼宮ハルヒ、らき☆すた、当時の僕には新しくて面白くて。
1話放送時期にはVHSに新聞欄で調べたアニメを片っ端から録画して、見るもの選別したりしてました。

コメント


親父にやりたい事を否定されて人生に干渉されることが嫌だったんだけど、それを言えずにいたんですよね。
それが正直今もまだ続いている。
ここに向き合わないと先に進めない気がします。
今更ですよね、27歳ですよ(笑)
でも今後の人生では今が一番早いですしね。
次に続きます。


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