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【なぜコーチの仕事を選択したのか?エピソード④】

こんばんは。

今だに親戚以外で同じサトウの苗字と会ったことがない佐東です。

今回は高校時代の話をしていきたいと思います。

写真は2つ上の先輩がウインターカップに出場したときの集合写真です。懐かしい…

エピソード話ばっかりしないで、ためになる話をしろですって?

もう少しお付き合いくださいm(_ _)m

一度、なぜこの人(僕)がこの考え方をしていて、

どのようにして、現在にたどり着いたのか?

を理解していただいたうえで、

皆さまに情報をお届けした方が伝わるのではないかと思ったりしています。

なので、このまま読み進めてもらえると嬉しいです!

私はエピソード③で話した通り、日本大学山形高等学校に入学します。

環境が変われば、私も環境に応じて強くなる。

単純な考えでした。

そこでの日々は、充実していて

バスケを一生懸命やれる環境だったか?

と聞かれたら、苦しく、大変な時間の方が多かったです。

朝5時に起きて、電車に乗り、最寄り駅から自転車で学校まで通い、雨の日も雪の日も同じように繰り返しました。

放課後の部活の後には、自主練習ができて、家に着くのは23時ごろでした。

自分が自ら選択したことだから、

最後までやり通したい。

試合に出て活躍したい。

後悔がないようにしたい。

いろんな思いと向き合うことに精一杯の毎日でした。

今考えても、よく続けたな…と思ったりします。笑

続けられたのは、僕のメンタルが強かったからなのか?

と聞かれたら

「違います。」

と答えます。

このチャレンジを受け入れ、支えてくれた人たちがいたからです。

一年生のときに同学年の選手が、部活を辞めて

高校も転校した選手がいました。

どんなことに悩み、どんなことに苦しみ

なぜその決断をしたのか?

仲間の僕は理解しようと行動することができませんでした。

自分のことで精一杯でした。

でも、僕も少し立場や立ち位置が違えば

自分が辞めることになっていたかもしれない。

と考えることがあります。

でも、その決断をしなかったのは

チームの仲間、監督やコーチの存在、高校で付き合っていた恋人の存在、別の部活で頑張る友人の存在。そして、親の存在。

いろんな存在が、居てくれたからだと思います。

僕のメンタルが強いからではなく、

その人たちの存在が、僕を繋ぎとめていてくれたのです。


ドリブルでどんな相手を抜くことができる能力があるわけでもない。

速く走れて、高く跳べるジャンプ力もない。

できないことではなく、

できることをとことんやってやろう。

そう思いながら、練習しました。

シュートをどんな場面でも決めてやろう。

誰よりも声を出して、チームを盛り上げよう。

ディフェンスで、プレッシャーをかけ続けよう。

いまの自分にもできることを精一杯やりました。

そしたら、とある練習試合で

23得点して、ディフェンスもハードにやりこなし活躍できた試合がありました。

誰も気にかける必要もない試合が、自分にとっては忘れることのない試合になったのです。

最後のインターハイをかけた試合は

県大会準優勝

僕はベンチからの応援でしたが

精一杯声を出してやれました。

それができたのは、、

その全ての存在の人たちが居てくれたからでした。

つづく


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