自己紹介 〜Life with ups and downs〜
概要|これはなに?
note の初投稿としてふさわしく(?)、自己紹介を綴っていきます。
これまでの人生を振り返って、筆者として、その都度、面白みを感じられることにリソースをベットしてきたのですが、周囲に「ムラオはいったいなにがしたいのかがわからない」と言われることが多く、いつも閉口してしまいます。
自分でもわからんな…というのが正直なところですし、
また、世間知らずの20代のうちはさまざまに体験し、幅を広げることの方が優先だろうと考え、周囲の方々に「やりたいこと」を想像してもらえるような、”方向性” や ”目的意識” などの ”具体的な指針” をあえて設定せずに過ごしてきたので、致し方ないところが大きいかと思います。(やせ我慢)
あるいは、「なにをしたいか」ではなく「どうありたいか」こそが大事だ!と 知識の職人 という beの肩書き を掲げたりしています。(やせ我慢②)
ただ、
具体的な指針がなければ、行き当たりばったりで、なにも成し遂げられずに終わってしまうという危機感
自分一人でできることなど高が知れているにもかかわらず、目的を掲げていないことで周囲を巻き込む機会を逸しているのではないかという焦燥感
が拭えきれないので、三十路を迎えつつあるこのタイミングで言語化しておこう!と思い立ちました。ぜひご感想のほど教えてください。
なお、本記事に使用した画像は、Midjourney で生成したものです。面白いですね。
経歴
1994年4月生まれ。灘中学・高校→東大文一→東大法学部 と進学。
大学時代は、災害×教育をテーマとしていて、UTVCという東日本大震災の被災地域にかかわるボランティア団体に所属し、代表として活動に従事。
また、NPOカタリバさんに拾ってもらい、軽くお手伝いするなどしました。
その他、エンカレッジ東大支部の立ち上げに誘ってもらったので参画しました。
2017年4月より、株式会社Speeeに新卒入社。現在のWebアナリティクス事業部に配属され、SEOを中心に5年間、コンサルティングに従事。
プライベートでは2018年5月、熊本県庁と東大の後輩の協力のもと、熊本地震の復興祈念として、蒲島郁夫熊本県知事とくまモンを東大に呼ぶイベントを開催しました。
詳しくはこちら
2022年7月から農業系スタートアップの株式会社AGRI SMILEに転職し、産地のマーケティングに邁進しております。
趣味など
読書が趣味です。毎週1冊は読むようにしていて、自叙伝やビジネス書などを中心に楽しんでいます。Instagramの読書アカウントがあるのでぜひお見知り置きを。
高校生の時に流行った、『もしドラ』。当時、将棋部の副部長をしていたので読んでみよう!と手に取った『マネジメント』。
その中でドラッカーは、企業の目的とは顧客の創造であり、販売を不要とする「マーケティング」と 新しい満足を生み出す「イノベーション」の2つの機能を持つものだと提起しているわけですが、後者の「イノベーション」に強い関心があり、読書のテーマになっています。
ワクワクしません? イノベーション。
漫画も読みます。羽海野チカ先生の『三月のライオン』はバイブルで、島田八段がめちゃくちゃかっこいいです。
また、雷句誠先生の『金色のガッシュベル』も思い出のシリーズで、フォルゴレ×キャンチョメのカバさんの下りがとても好きです。
なぜ「一貫性がない選択」をしているのか?
災害×教育のテーマで学生時代を過ごしていたのに、まったく関係のないビジネス領域に転じ、
Speeeで、楽しく仕事をしていると発信していたのに、いつの間にか転職、しかもこれまで関係のなかった「農業」。
自分でも 一貫性がない? と思ってしまいますが、振り返ってみると、以下の2つが共通点にあるなと思いました。
テーマ変更の前に、自分が変わらなければいけないという危機感がある
新しいテーマに強い関心が向く際は、「悲しい」出来事がある
余談ですが、周囲に「なにをしたいかわからない」と思わせてしまう背景としては、上記をうまく伝えられていない(ただ伝え方がわからない)ことで、周囲が理解に苦しむ結果を招いてしまっているのだと認識しました。
1. テーマ変更の前の危機感
テーマ変更の前には、”継続” への危機感が肥大化する傾向があります。
継続していると、その場のルールというか、常識というか、こうしていればある程度なんとかなるみたいなものを掴めると思うのですが、独りよがりに陥っていないかが怖いのです。(で、だいたい陥っている)
Speeeではありがたいことに、温かく見守ってくださる上司に恵まれたのですが、甘えてしまう自分を感じ、自律できなくなる未来を予期したので、離れる決断をしました。
いやいや、新しいことに挑戦(して失敗) することも怖いよ?という意見もあるのですが、むしろ僕はそちらの方はなんとも思いません。
当たって砕けるのならばそれまでだった、それが実力だったのだから仕方がない。じゃぁ実力を高めましょう、ただそれだけです。
周囲に迷惑はかけてはいけないので、そこには留意しつつ、成功するまで辞めなければいいだけの話です。
2. 新テーマへいざなう「悲しみ」
災害というテーマに強い関心をもったのは、東日本大震災の被災地の1つ、大船渡に赴いて語り部ガイドさんのお話を伺ったときでした。
その方は、不幸中の幸いながら、ご自宅は津波の被害から難を逃れたそうなのですが、もちろんインフラが機能するわけもなく、避難所に水や食料を調達しに行ったそうです。
しかしながら、避難所で並んでいると「あなたは被災者ではない」と、家を流されてしまった方々に追い返され…
「私も地震の揺れや津波で怖い目や困ったことに遭っているのに、なぜ周囲からの非難に怯えて "被災者ではない” と振る舞わなければいけないのか?」
と、打ち明けてくれたのは、われわれが東京から来たよそ者だったから。
どちらも落ち度がない自然災害がきっかけに、関係がギクシャクしてしまう。こんな悲しいことはないよなぁと部外者ながらに思いました。
ただ、一方で、まだ学生で、何者でもない自分たちでも、よそ者として何気ない会話(※カウンセリング関連はNG)をすることで、被災地の方々の心が軽くなることがあるなら、それは意義深いことなのではないか?
と、団体の活動に身が入ったことを覚えています。
また、AGRI SMILEへの転職についても、悲しいなぁという感情が決め手となりました。
AGRI SMILEでは、各産地のJA様とかかわりがあるのですが、みなさんは「JA」と聞いてどういう感情を抱くでしょうか?
JA共済の不正を暴露する告発記事も話題になりましたが、それほどでないとしても「JAはダメな組織である」みたいな空気感が世間としてあるように感じます。
実際、食べチョクさんやポケマルさんのような、農家さんと生産者が直接つながるようなプラットフォームも人気を高めています。
でも、実際にJAで働いている方のお話を伺い、産地を引っ張っていく志を聞くにつけ、「JA」で括ってしまうのは主語が大きいな、現実を単純化してしまっていたなと思いました。
また、大規模な組織であることを活かして、生産管理や品質管理に向けて投資していくJAさんもあるのだとよく理解しました。彼らの努力のおかげで、われわれ消費者は安全安心な食料を安定的に食すことができるわけで、簡単にダメだと切り捨ててしまうのも、違うと思うのです。
しかしながら、世間的には「JA」という括りで十波一絡げに非難されるわけで、なんだか悔しさにも似た、悲しさを感じました。
僕の悲しみスイッチ
僕の人生観として、「起伏のある人生 〜Life with ups and downs〜」こそが日々、充実感をみなぎらせる人が送る人生だと考えています。
そして、時代や社会、自然といった「どうしようもない事態」のせいで、
起伏のない日々 を余儀なくされているとを感じるとき、僕は強い悲しみを抱くのだろうと最近思いました。
人生に「起伏 (≒変化)」があると、驚きが生じ、
驚きのある日々が幸せや充実感を引き寄せるだろうというのが僕の人生哲学です。
起伏のない人生をものすごく単純化すると、以下の4パターンに分類できるかと思います。
A:つねにマイナス
B:プラスからマイナスへ一直線
C:つねにプラス
D:マイナスからプラスへ一直線
AやBが望ましくないのは一目瞭然。
悲劇やバッドエンドのドラマは、芸術鑑賞としては胸を打つものがあるかもしれませんが、登場人物たちは心晴れやかに過ごすわけではありません。
Cは、Aとは真逆で、プラスの状態が持続するパターン。
客観的には、「幸せ」の範疇に含まれると想定されますが、おそらくCの人生を歩む人が感じるのは、退屈 です。
また、重要なのは、Cの人にとって、自身の置かれている状況が恵まれていると認識できない 可能性がある点。
病気になって初めて気づく健康の大切さ みたいな慣用句(英語) がありますが、まさにそれ。
最後は、Dのパターン。マイナスからプラスに転じる変化がありますが、時間経過とともにどの領域に到達するかがみえてしまうわけで、これも退屈な日々になってしまうように思います。
以上、非常に雑なパターン分けと考察ですが、単調な推移ではいずれのパターンにせよ主観的に充実した日々とならないのではないか、
逆に言えば、波打つような、浮き沈みのある人生が望ましいのではないかという考えです。
まとめ
実際、Speee時代、なかなか上手くいかず、不眠症になりかけたり、過労特有の心理状態になったりと、追い詰められ、マイナスな状態になったことは度々ありました。
が、適切なサポートを会社・先輩からいただきつつ、どん底から復活できたことで謙虚な気持ちを自然ともてるようになったと思いますし、なんだかんだ実力がついたなと思います。
こうした過去の実体験も踏まえつつ、
・沈んだままの日々を過ごす人を放っておかない
・沈んだ人が浮上する機会を増やす
というのが僕のやりたいことといえるのではないかと思っています。
結局、抽象度は高いままですが、一定の指針は示せただろうということでよしとします。
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