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私にとっての「文法(Grammar)」とは
「文法」という言葉をずっと使ってきましたが、ふと、どういった意味で自分は使っていたのだろうかと今更ながら考えてしまいました。
今回は、これについて書いてみます。
私の言葉の定義として、
文とは、
相手に伝えるための言葉である。
言葉とは、
自分の感じた感覚を表現するための手段である。
「文法」とは、
文に相手との相互理解の意味を持たせるための法則である。
と考えている。
私は、「文法(Grammar)」という言葉を、この意味で使ってきた。品詞の定義や5文型といったものも、この中に含まれるし、基本的な語の定義もこれに含まれている。これは相手の言葉を出来る限り理解するために、私が必要と感じているからである。
だから「masa英文法」とは、私が自分で英語を使うために、必要と感じるものを定義する文法なのである。
どこまでが必要な文法の範囲と考えるかは、相手との相互理解を高めるために、基本的な文の表現方法を、自分がどれだけ身に付けたいかによると思う。
「単語を1つ1つ伝えて、何とか相手に伝われば良い」と考えるならば、
5文型ですら「必要無い」かもしれない。
この場合は、使える単語を増やしていくだけで良さそうだ。
また、「定型表現をひたすら覚えて使えばよい」と考える場合も 5文型は「必要無い」かもしれない。ただ、どのような状況で使えば相手に伝わる表現なのかの法則(文法)はあるのだ。その法則を定義を、無意識にでも覚えて使っていくことになる。
だから、
「必要な文法範囲も、自分にしか分からない」
と考えているのである。
必要な文法の定義ができてしまえば、後は使える語を増やしていくだけで、相手に伝えられる内容が広がっていくし、相手の言葉も理解できる可能性が高まっていく。
私の学習方法は、良く言えば、後で「楽」をするために、地固めしている感じだろうか。
実のところ、覚えるのが苦手な私は、
「 可能な限り、覚えることを減らしたい!」
と必死になっていたに過ぎないのだが。
語と感覚を結びつけて身に付けているのも、
英語の意味を日本語で伝えるための、
それを表現する数々の言葉を「覚えたくない」
から、行き着いた答えなのだから。
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