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残されたソ連の潜水艦

Day6

朝起きたら船は寄港していた。どこかに泊まってる状態でいる船の中で起きるのは、サンクトペテルブルク以来だった。 夜の間にオネガ湖を抜けボルガ・バルト水路に入りヴィテグラに寄港していたようだ。なんて事はない田舎の小さな町で、中州とその周辺で構成されている。閑静な住宅街のように人がいない上、手入れのされていない建物がもの寂しさを感じさせていた。

朝ごはんを食べたら、ツアーが始まる時間になった。雨がぱらぱらと降っている中、外に出た。半分飼われているような野良犬が迎えに来た。ペトロザヴォーツクでもそうだったが、ロシアではこういう犬が河岸港に多い。

ここから目的地まで歩いて向かう。このツアーをしている間、あの宮崎駿監督が尊敬するアニメーションの巨匠ユーリ・ノルシュテイン先生は、ボルガ・バルト水路を寒中水泳していたようだ。この日のヴィテグラは6度。ロシア人にとっては秋みたいなものなのだろうか。

黄緑の中に赤とか水色とか、たまに高彩色な寂れた街を横目に白樺林を抜けていく。5分ほど歩くと開けた広場に到達した。

そこにあったのは第二次世界大戦頃から存在する旧ソ連の潜水艦が停泊していた。博物館「サブマリンB-440」、実際の戦闘潜水艦(プロジェクト641)は、1969年にレニングラードの造船所に建設され、現在は使用されておらず、体裁を整えた展示博物館になっている。ただ実際の潜水中に近い状態ではある。
ロシア語を日本語に訳すと軍事栄光博物館らしい。名前がド直球すぎて、共産主義感ある。

ここでも説明は相変わらずロシア語で正確な内容は分からない。

青と黄色とソ連の赤で構成された無機質な艦内。冷戦時にソ連をソ連たらしめてきたと言わんばかりだった。 ソ連なのだから当たり前なんだけど、所々に赤い星マーク。

今も動く艦内伝達用になる放送機兼電話。そして潜水艦といえばお馴染みのあれ。外を覗くやつ。覗くとオールドレンズを通したのと同じように外が見える。東ドイツの光学技術者が関わってるとか何とか。ライカなのかツァイスなのか分からないけど。そしてここは魚雷を撃つ場所でもあるのだそう。

多数のボタン、多数のハンドル、多数の指標計。
これを把握するんだなあ。今こういうのはタッチパネルになったりするんだけど、どこかの戦艦が物理式に戻した記事を見た気はする。「ボタンの方が使いやすい」とかいうおっさんの声を聞いたがため…おっとこれ以上は黙っとこう。

そのまま進むと、居室が見れる場所に到達する。
当然なんだけどどの部屋も狭く、あの大きなロシア人が入れるとは思えない広さ。比較的体の小さい人を優先的に担当させていたのだろうか。

人がいるのかと思った…。潜水服。そしてここで寝ていたのであろうベッド。

そしてこの部屋の脇のドアから外に出る。

無機質な外装。今では空力でおなじみのカムテール、翼断面。この潜水艦も水の中を切り抜けていくためか翼断面な背びれになっている。鋭角がすごく武器を感じさせる。白で縁取りされた足掛けがかわいい。

いったん降りて展示コーナーに入る。

潜水艦がどこの海に配備され、船員たちにはどのような人がいてと事細かに説明されていた。持ち運んでいたものも。

船がまた出発するため帰路につく。

戻ると船はヴィテグラをあとにした。犬も見送るかのように船に向かって吠えていた。

暇をもてあまして妻が絵を描き始めた。優雅に流れるヴォルガ川の川岸には朽ちた建物が通り過ぎていく。スターリンによって強制的に村を沈められた残骸も通り過ぎていく。

この日のヴィテグラ観光以後は、ほぼ船の中で過ごした。上映会でアニメを鑑賞しお昼を食べ、久しぶりのゆっくりとした時間だった。
船のバーにこの日初めて入り初めて船のWi-Fiにつなげた。バーでしゃべりながら輪廻転生についてユリアに説明していると、なにやらユーリ・ノルシュテイン先生達お年寄りがどんどん集まってきた。朗読会が始まった。良い声なんだけどロシア語で何を話しているのかさっぱり分からない朗読会。堪え忍ぶ…。でもこういうのはゆったりした良い時間なは必要のかもしれない。

夜も2時半、ロシア連邦の首都モスクワへ船は向かう中就寝した。モスクワまで寄港するのはあと2つ。旅も折り返しをこえて終盤へさしかかる。


次回はロシア正教最大の修道院へ。

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