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郵便物における不安/強迫性障害

僕はかつて予備校に通っていた。
1年間だけアパートに入居してそこから通っていたのだが、
今回の不安は大学入学のために上京して数年後のタイミングだった。

「予備校から郵便物などが元のアパートに届いてないか」という不安である。
予備校は別に卒業式も無いし、自分の講座を受け終わったタイミングで終了する。
その後通う必要も何か手続きをする必要もない。だが、僕はその予備校から仮に何か郵便があったのなら個人情報やお知らせなどを他人に見られているのでは?と不安に感じたのだ。

もっとも冷静に考えれば郵便が送られたということも仮の話だし、かつての在校生に予備校が郵便を送るのも考えずらい。何より、郵便局の転送サービスを登録したために、仮に郵便があれば東京に届いているはずである。
だが、僕の不安の想像は物事の”仮に~”もしも~”がある限り不安や反芻思考は止まらない。
「転送サービスの期限が切れたタイミングでもしかして…」
「なんなら転送サービス登録したっけ?確認したい…」などなど永遠に湧いて反芻して考える。

かと言って予備校に「数年前の〇〇ですが、何か郵便送ったことありますが?」と聞くわけにもいかない。予備校側も聞かれたところで、それが転送されたか否かなんて預かり知らずだろうし、数年前に何の郵便があったかなんて調べようがない。

このように不安に一度思うと僕は中々抜け出せない。







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