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bridge 〜意識と無意識の境界線〜


結構久しぶりの投稿になります。
上記ポストの通り9/1より年始から続けていたバイト先を退職し、サイキック整体一本で活動することにしました。

2021年に上京してから何やかんやあり、まさか自分がこんなことを宣言するとは思いませんでした。

元々整体という世界に入るきっかけはなんとなくというか、天職だと思って足を踏み入れたわけではなかったです。

ただ人より感受性があってなんか傷つきやすいくらいのもので、特別何か優れていたわけではなかったと思います。

強いていうなら「何故俺は竹内晶貴なのか」ということが気づいた時から異常なほど知りたくて、そのエネルギーがどこから来ているのかも知らず、ただただ強烈で猛烈な、貪欲でとんでもないパワーのみでここまで来たのかなという感じです。

「俺」だと思っているものと「竹内晶貴」だと思っているものが同じなんだけど違うような感覚があって、この微妙な「乖離感」は一体なんなのかとずーっと考えてました。

心当たりはあるものの、すぐに答えを出すようなことでもないのでとりあえず片隅に置いて放置してます。

そんなよくわからない感覚と共存しながら整体という世界に入り、紆余曲折あって今日に至ります。

自分の心の中にある感覚をこうして表に出す作業を始めて随分経ちますが、思えば遠くに来たものだと、スタート地点に立ってようやく思います。

とにかく振り返ることが怖くて、自分という存在に向き合うことを避けて生きてきました。

実は俺にはすごい才能が眠っていて、まだそれが目覚めていないから俺はこんなに辛いんだとか、俺が悪いのではなく世界が悪いんだとか、ありとあらゆる言い訳を用意して、フルコースのように食べ続けてました。

当時はそうでもしないと生きていられなかったので後悔はしてないです。
むしろ、そんなことしてでも生きたかったのか俺はと、表層上の思いとは裏腹にかなり強かなやつだったなと少し感心しています。

今でこそサイキック整体を多くの方に知っていただくようになりました。

色々な願いはあるもののその根っこは、ただ心のままに、どうしても掴みたい「何か」のために突き進んだら、なんかいい感じになりそうだったというのが原点にあります。

その過程の中で、過去に癖づいたり、傷ついた心などを都度癒したり気づいたりしながら少しずつ前に進んでいるという感じです。

やりがいとか生きがいとか言い方は色々ありますが、僕にとってこの施術は一生遊べるおもちゃであり、世界と繋がるための橋でもあります。

あらゆるものを拒絶し、葛藤し、ちゃんと命を断とうともしました。
でも、どうしても諦めたくないというのが「自分」という存在の箱の底にあって、矛盾する自己に身悶えしながら、どうにかこうにか生きてこれました。

大袈裟に書きましたが、簡単にいうと「濃度の濃い厨二病」が今も続いてるって感じですね。

僕はこの施術を「橋」と捉え、世界との架け橋という意味で創りました。
それは「僕」と「世界」の埋まることのないと思っていた溝を埋めるためというのが最初でしたが、今は目の前にいるお客さんだったり、関わる人だったりと、少しずつその意味が変わっているのを感じます。

僕は自分のことを「境界線」だと思っていて、意識と無意識を繋ぐこの「身体」を使って「施術」という具体を用いて相手のより深いところを観察する、もしくは近づくことをやってると思ってます。

なんだか「前の時代」と「これからの時代」のちょうど間に立ってるような感覚があって、一体僕はこれから何をしていくのか、したいのかなって漠然と考えることが多いです。

人の身体の声を聴いて、それを本人に伝えてすり合わせていく。
正解か不正解ではなくその時点における「納得」や「最も自然な形」を目指していく。

この施術の何が良いかって言えば、「既に持っているものの中で、次への一歩が踏み出せる」ということ。

新たに身につけるその前に、まずは持ってるものを整理して、そこから使えるもの見つけましょう、というのが施術させてもらっていて好きなポイントです。

7並べとか大富豪とかUNOみたいな感じで、自分が持ってるカードの中で戦うしかないのが今の世の中だと思います。

でも、その持ってるものの中だったり、既に経験したことの中に、今自分が考えたり思い描いている目標への次の一手があるんです。

それってなんだか安心しませんか?
忘れたり気にしてなかっただけで、ちゃんと自分の中にあるってことだから。

人と違う自分になるために持ってないものをつけて貼ってってするのは結構キツくて、そのために行う行動を「努力」だと僕は思ってました。

自分にはないから、じゃあ身につけようっていうのが、そもそも自分に価値なんてないと信じて疑わなかった僕にとってはめちゃキツいことでした。

でもこの施術はそうじゃない。
感じてる違和感や不調という「不具合」を入り口に、自分が忘れてる一歩のきっかけを見つける旅に出る宝探しみたいなもんです。

未来の自分に向けて埋めたタイムカプセルのように、未来の自分に気づいて欲しくて「症状」という箱に詰めて未来にぶん投げたんです。

いつの日か気づいてもらうことを願ったあの頃の自分からのメッセージを今の自分がキャッチして紐解いていく。

なんて個人的で壮大な自作自演だと思いますが、僕はそれが好きです。

自分という存在には無駄なところなんて何一つない。
余すことなく全部使って、らしく生きていってやんよっていうかっこよさを感じます。

価値も、得意も何もかもわからなかった僕だからこそ、一筋の光を見つけられる。

真っ暗だったり、傷が深いからこそ、気付けることもあるのだと。
傷ついた人は優しいなんて月並みな表現が大嫌いでしたが、今は少しわかります。

優しくしてるつもりなんて毛頭ないですが、結果としてそれがキッカケになったのなら本当に良かったって思います。

僕が抱えてきた孤独感やしんどさは、今この瞬間の、目の前の人のキツさを見るためにあるのだと本気で思いました。

じゃあ徹底的にやるしかないなって、その瞬間から一気に熱量に変換されました。
黒から白に変わるように勇気や希望になって全身を駆け巡りました。

そんなことを思ったり体験したりしたので、今回の決断もこれから出会うであろう人たちに対して僕なりのケジメというかちょっとした覚悟を示そうという意味でも決めたという感じです。

手技や知識ではなく僕が実際に会って、話をして施術させてもらいます。
だから竹内晶貴という人間がどういう人生を送っているのかを示すことが大切なのかなと思ってます。

とはいえ発展途上中でもあるので、大目に見ていただけると嬉しいです。

受けて良かった、紹介して良かったと思わず言ってしまうような存在になっていくので、この施術を広めていただけると嬉しいです🙇‍♂️

いつお声がけいただいても大丈夫なよう、日々1mmを積み重ね続けます。

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