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TOEIC380点から海外MBAに合格した話

今回はMBA合格までの道のりを「英語」という視点から書いてみようと思います。

中、高、大とエスカレーターで進学してしまい、勉強は基本試験前の徹夜で対応し、試験が終わると覚えたことを一気に忘れていく。そんな学習態度に加え、英語が大の苦手科目で、学校の英語クラスはいつも下の方。

社会人1年目で受験したTOEICは380点で、新卒で入社した会社は超ドメスティックな保険会社という、国際性皆無の人間が、社会人になってから英語の勉強を始め、海外案件を中心とした仕事に従事するようになり、何の間違いか海外MBAに合格した冗談みたいなお話です。

読んでいただけると分かる通り、MBAを目指される優秀な方々が通常歩むような陽の当たるキレイな道を全く歩いておりません。どちらかというと、ヘドロの中、雑草の中、荒れ地の中(笑)をハングリーに突っ走ってきました。また、この教材、この勉強法オススメ!みたいなHow toを記載した内容にもなっていません。

それでも、社会人になったばっかで、今英語が全くできないけど、将来的に英語を使って仕事したいとか海外留学したいって思っている人(ターゲットが限定的すぎる...笑)が、あーこういう考え方、やり方もあるんだって感じで読んで貰えれば幸いです。

冒険の出発地点

屈辱の大学英語クラス「86」

大学に入学するとすぐにプレースメントテストという英語のリーディング、リスニング試験があって、その結果によって1年間所属する英語のクラスが決定されていました。僕のようにエスカレーターで上がってきた人間(通称"内部生")が受験戦争を勝ち抜いてきた人たちと戦えるわけもなく、大体下のクラスは内部生で固まるというのがしきたりでした(もちろん内部生でも真面目に英語をちゃんと勉強してきた人達は上のクラスに行く)。ただし、「系列の女子校2校からの人も下のクラスにいくから、それなりに大学ライフは楽しめるよ」という諸先輩の情報に、男子校歴6年の僕は安堵した(笑)のを覚えています。

僕が在学していたころは、11、12⇒21、22、23...のように、まず英語のレベルで十の位を決定し、そこからさらに一の位にレベルに応じた複数のクラスを設定するという感じでクラス分けが行われていました。学校のシラバスを見ると、確か、一番いいクラスで11で(0X番代があったかは忘れた)一番下のクラスで66と書かれていました。

結果発表の当日、赤レンガに蔦の絡まるオシャレな校舎の前の掲示板に個人名とクラス番号が発表されていました。僕の名前を発見すると、そこには...

経済学部○○学科 Masa 86

 86?シラバスに載っていないだと?...誤字か?と思って学生部に問い合わせたところ、「あー、あなたはこのクラスですねー」とA4 1枚を渡され、よく確認すると、どうやらその年は特に駄目な子(笑)が多かったらしく、85と86という特別クラスが編成されたとのこと。授業にいくと、そこには見慣れた面々やスポーツとか一芸でご入学された面々。30人くらいのクラスで、女子1名というクラス構成でした。さようなら、バラ色の大学生活。

惨敗した社会人1年目のTOEICデビュー戦

そんなこんなで英語クラスはとにかく単位が取得できるように設計されたゆるい学習環境となり、大学では柔道部の活動に明け暮れる毎日で、結局、英語とは無縁の学生生活を送っていました。人の良さに惹かれて入社した漢字系生命保険会社で、一応、新入社員研修の一環でTOEICを受験させられたのですが、その時のスコアはこんな感じです。

〈生まれて始めて受験したTOEICスコア(Reading 80点..笑)〉

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たぶん僕の高校、大学の同級生や1社目の同期に僕のことを聞いても、英語とか、国際性の要素はまったく出てこないと思います。入社1年目の半分くらいは研修室の所属でしたが、飛び込み営業が基本だったので、日中は飛び込みして、寮に帰って夜遅くまで保険商品に関する勉強をして、4時半くらいに起床して「中学校の英語を10時間で振り返る」みたいなタイトルの本をひたすら読むみたいな生活でした。当初からMBA留学を目標としていましたが、本当にできるんだろうか?と我ながらに実現を疑いながら勉強していました。ただ、体力的にはキツかったんですが、夢を追いかけている状態にワクワクしていました。これが僕にとってのスタート地点でした。

環境を変えたことが人生を変えた

奇跡の転職大成功

以下のグラフは僕が新卒時代からの境遇と英語力の成長過程を示しています。あくまで超主観的な感覚値でしかないんですが、グラフを見ていただけると分かる通り、英語をびっくりするくらい使わない生保の時よりも、仕事で何らかの英語能力を使うアセマネの方が急勾配になっています。もちろん現職に留まった方がキャリアにエッジを効かせられるという状況も考えられると思いますが、その会社、あるいはその職種に未練がないのであれば、TOEICとかでそこそこの点とれば英語使えるところに行けると思うので、転職でオポチュニティを探すのは全然アリだと思います。僕の場合、起業家精神が実践できる職場と面白い仕事の両方に出会えた転職ができたことは、本当にラッキーだったと思います(まぁ、ベンチャーならではのすったもんだも相応にあったんですが...笑)。

〈英語力の成長過程〉

英語学習の変遷

チャンスは突如舞い降りる

最初、僕は上司から「国内案件担当で」と言われていました。しかし、会社内でいろいろあって上司が忙しくなったので、彼の案件を手伝うのがキッカケで徐々に英語案件に飛び込ませて貰えるようになりました。一番最初の海外案件は、台湾に関連するファンドでした。当初は上司が「これは俺が(DDを)やる」みたいなこといってたんですが、投資委員会3日前になって「やっぱお前やれ」みたいなこと言われて、目と胃が飛び出そうになったんですが、海外出張行けること、初めての英語の目論見書と契約書の分析、そこから起こることにワクワクが止まらなくなって、してやったりと思ったのを覚えています。3日後の投資委員会は一旦ズタボロだったんですが、その案件は、幸いにも最後までアサインされてやり切ることができました。そこをターニングポイントに、海外マネージャーとの面談にも顔を出すことを許され、北米、欧州への出張に同行できるようになっていきました。

とにかくバッターボックスにハングリーに立ち続けた日々

基本、できます、やれます、やってみせます、みたいな姿勢で切符を掴みにいっていたので、出張といっても、いわゆるご褒美的な楽しみはなく、結構しんどい思いをすることも多々ありました。会社として良いファンドを発掘しないとビジネスにならないので、時差ボケの中朝から晩までミーティングびっしりとか、英語しゃべれない中で1人シニアの外人だらけの会食に投入されて3時間一言も喋らず終わるとか(これちなみにトラウマ級の思い出...笑)。飛行機の座席はデフォルトでエコノミークラスで、ミーティング出ただけじゃ何言ってたか聞き取れないんで資料を何回も読み返しながら、10時間を超えるフライト中ひたすら出張記録を作成してたりとか。暗い機内で僕が1人だけ電気つけてキーボードをカチャカチャと叩いていると、寝ている人起こしちゃってチッ...みたいな顔されたりとか(迷惑なヤツだな笑)。会社の運用資産残高が少ない時は、お金ないから出張先で3人一部屋で、僕は超狭いソファーで寝るみたいなこともありました。メンタル削られることも多々あったんですが、将来の目標のために「海外に行った」っていう経験に拘りたかったのと、何よりも海外の洗練されたPEファンドの人たちと面談することが楽しかったので、大変さはありましたが、夢に着々と近づいている感が嬉しかったのを覚えています。

言語学習における自分のポンコツっぷりを考えると実践の場を得られたのは本当にラッキーだったと思います。後から振り返ると、生保にいた最後の2年間伸び悩んでいたのは、もちろんAndy田開先生というTOEFL100点突破請負人に出会えてなかったことも大きいと思うのですが、インプットばかりでアウトプットのバランスが全く取れてなかったせいなんじゃないかと思っています。

冗談みたいなお話からお伝えしたいこと

突きつけられた現実

1社目の生命保険会社は、めちゃくちゃ良い人達が集まっていたんですが、超ドメスティックな会社で、入社後の努力次第で英語環境に行けるという見込みが、少なくとも僕のいた場所からはありませんでした(なんでその会社入ったんだっていう笑)。今でも覚えているんですが、入社1年目、まだ研修室にいた時に、会社の福利厚生で通信教材のリストが渡されて、その中に「TOEIC700点突破コース」みたいなのがあったので、それに応募したら研修室長からわざわざオフィスに電話が掛かってきて、こんなことを言われました。

「あなたはそんなことに時間を割いている場合じゃないんじゃないの?」

その時は余計なお世話だよ!って思いましたが、今考えると親切心から言ってくれたことなんだと思います。

そんな状況でも、2015年に出願することを目指して足掻いてみました。ただ、これも鮮明に覚えているんですが、初めてAgos夏祭りに参加した時に、各校のブースにたまにアドミッションの方もいて挨拶しようとするんですが、ないんですよ。自分の名刺に自分の名前の英語表記が笑。よく見たら、メールアドレスが名前だったので、それを使って自己紹介をしたときに、「あー、多分場違いなんだろうな...」って思いました。そう、確実に、昔の僕の状態って、僕が将来進んでいきたい方向性、やりたいことに対して、いる場所もやっている仕事も"詰んだ"状態だったんです。

栄光時代はいつだよ...学生の時か?

何がお伝えしたかったかっていうと、これを読まれている人で、今は英語全くできないけど将来英語使った仕事したいor海外留学したいという方。めちゃくちゃ大変でしたけど、読んでいただいた通り、こんな状態からでも意外になんとかなりました。

恐らくあなたが英語の勉強を始める、あるいは将来留学したいなんて言ったら、常識を持ち合わせた人ならあなたにこう言うでしょう。

「そんなの無理だ」

「できっこない」

けど、どうやらできるっぽいんです。

今回は自分の英語学習を振り返って書いていましたが、英語だけに限らず、この記事が今何かにチャレンジしようとしている人の背中を押すものになってくれたら幸いです。

あなたがそのハングリーさで世の中の常識をひっくり返す瞬間を、心から楽しみに待っています。

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