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episode 2 「違和感しかない」〜昨日まで最大の競合だった組織の責任者になる〜【前編】

その日、フロアに集まってはじめて顔を合わせた約300人の方と私たちは、昨日まで最大のライバル企業同士でした。

私が、全体を見渡せる窓側の一角に立って話しはじめると、向こうの方で机にバックを叩きつける音がして、1人の男性が外に出て行ってしまいました。明るく、前向きな話をすればするほど、聞いている300人の空気はどんどんシラけてゆくようでした。

とてつもないアウェー感。違和感しかない。

いよいよ、統合が始まった"その日"は思っていた以上に重苦しいものでした。

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その日から遡ること半年ほど前。
秋も深まった昼過ぎの会議室で、社長が笑いながら話したことがすべてのきっかけでした。
「あの会社の社長とこの前メシ食ったんだけど、結構悩んでてね。そんなに大変なら一緒にやりましょうかって思わず言ったんだよ。」

この数年でコモディティ化が急速に進んだ私たちの業界では、苛烈な値引き合戦が勃発していました。
互いの会社は、本当は新しい価値創造に力を入れて、不毛なダンピング合戦を脱却したいと思っていながら、足元の売上確保を無下にはできず、もがく日々がいい加減長く続いていました。
当時、事業部の責任者だった私も、全社総会などの場所で、時に過激な言葉も使って「競合を倒せ!」と号令を発していました。
相手企業を敵として考えている時間が大半だったにも関わらず、そのとき社長の言葉を聞いた私は、なぜか直感的にチャンスだと思ったことを覚えています。
「先方の社長とお会いして、お話してみたいです──。」

思えばここから、最大のライバル同士が仲間になるという、長い物語の扉が開かれていったのでした。

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重苦しいその日の挨拶を終え、翌日から私は、その元・競合企業のオフィスに出勤し始めました。
いつもとは違う方向に向かう電車に乗りながら、「ホントかよ」と自分が置かれた状況がにわかに信じられない気持ちでした。

私の席は、全体を見渡せるフロアの真ん中の窓際のお誕生日席。
先日まで事業責任者の役員の方が座っていた席だということでした。

ところどころに埃が溜まったままのその机は、混乱の中で、慌ただしく荷物を片付けたことを生々しく感じさせました。
周囲を見渡すと、すでにたくさんの社員が出勤し、各々忙しそうに仕事をしています。
誰とも目が合うことはありませんでしたが、それなのになぜか、沢山の視線を感じるのが不思議でした。


ちなみに、統合プロセスが始まった"その日"のことをビジネス用語的には「Day1」と呼ぶそうです。
そこに至るまでには、経営者同士の合意、買収に際する財務的な資金の課題やリスク、買収条件の擦り合わせ、株主からの合意など、実に様々な障壁を乗り越えなければならないのですが、そうしてやっと辿り着いたDay1はしかし、そこに集まった大半の社員にとっては「辿り着いた」という表現はまったく当てはまらない日です。
まさに、つらく長い道程の始まりの日「Day1」です。

そして、Day1とともにPMI*が本格的にスタートします。

*PMIとは
M&A(合併・買収)後の統合プロセスを指す。経営統合、業務統合、意識統合の3段階からなる。当初計画したM&A後の統合効果を最大化するための統合プロセスを指します。統合の対象範囲は、経営、業務、意識など統合に関わるすべてのプロセスに及びます。
(引用 Nomura Research Institute, Ltd.用語解説)

このPMIがディール交渉段階と大きく異なるのは、関わるステークホルダーの広さと複雑さに尽きます。
ざっと書き出しても、両社の当事者、株主、アナリストをはじめとした市場関係者、金融機関、顧客、取引先、従業員に至るまで、すべてが統合に関わってきます。
そうなれば当然、当事者同士の軋轢、市場からの価値向上へのプレッシャー、顧客へのメリット還元や説明責任、収益を上げるための組織・業務・システムの統合、さらには人員削減などの痛みを伴う施策への対処、従業員など人や組織上の処遇や統合への不安によるモチベーション低下への配慮・・・。
実に様々なことを抱えながら企業価値向上を実現する、とにかく単純ではなく、机上の理屈では割り切れない塊に突っ込んでゆくことが統合であり、PMIだと思います。
なかでも、私が最も苦労したのはやはり、人、組織、意識でした。


Day1を迎える数週間前から、段階的に、いわゆるキーマンの方々との面談を開始しました。
その時に感じたのは、お会いしたみんなが"普通にいい人たちだった"ことです。
それまで、競合として意識してきた会社ですから、きっと大きくカルチャーや価値観は異なり、相容れない要素が多くあると思っていました。
ところが、実際に会って話をしてみると、全くそんなことはなく、むしろ逆でした。
同じ業を、同じ顧客に向いて仕事をしている者同士、同じ事象を多く経験しているし、課題も同じように捉え、考え、そして苦労して乗り越えていたりします。むしろ他の誰よりも共感ポイントが多いのです。

統合前の想像の多くが、実は先入観や偏見に基づくものだったと気付くのが、大抵の統合で一番最初に感じることではないかと思います。
不安の闇の中に、とても明るい希望が見えたりする瞬間です。


しかし、その希望の瞬間はまた、大抵の場合は刹那で消えてゆくのです。


(中編へつづく)

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