”ダサい格好”の弊害 -ダサいユニフォームを着ると弱くなるのか-
人が服を着る意味
上記の文にある通り、服を着る理由の一つに「その人が誰かを知らせるため」という表紙やパッケージとしての役割があげられる。
特に日本のスポーツユニフォームにおいては「その人が誰かを知らせるため」という役割が一丁目一番地としてユニフォームがデザインされており、それ以外の役割をユニフォームに持たせるためにデザインされているチームは多くないように見受けられる。
これでは、漢字で名前を入れたカラービブスを着用していることと何ら変わりない。
ユニフォームを着ることの意味
”スターバックスのグリーンのエプロンを身に着けて、スターバックスの店頭に立てば、たくさんの研修を受けていなくともスターバックスの店員っぽい立ち振る舞いをすることは可能では無いだろうか。”
しかしそれが、新人は誰が見てもわかるようにとイエローのエプロンを身につけさせられたなら前者の場合と立ち振る舞いは異なり、より新人っぽくなるだろう。
これこそがブランドであり、ユニフォームの力だ。
”何を着るか”は、外側のみならず内側にも大きく影響を与えている。
仙台育英の野球部は入学式の日までに新入生のユニフォーム納品を間に合わせて、それを着用して紅白戦を行うそうだ。ユニフォームの内側への影響を最大限に活かしたマネジメントであると私は思う。
しかし、この野球ユニフォームに関して議論されることはほとんどなく、ただ名前の入ったカラービブスを着用していたり、いつまでもイエローのエプロンを着けさせられているチームが散見されている。
”かっこ悪い”ユニフォーム
私は、野球選手はカッコよくなければならないと考えている。
では、かっこいいユニフォームとはどんなものだろうか、どう定義すればよいだろうか。
デザインが斬新で派手なものだろうか。
最近は昇華プリントによる派手なデザインのユニフォームがトレンドである。
毎年サードユニフォーム的な物を発表しているNPBの各球団である。グッズ売り上げの観点からホームユニフォームやビジターユニフォームとは異なるカラーやデザインのユニフォームを発表しなければならない事から、チームカラーを逸脱したものや、ド派手なデザインが多い。
私は正直なところ、これらの派手で奇抜なユニフォームにかっこよさを感じない。
どれだけ最新のトレンドを取り入れても、派手でも、奇抜でも、デザインが優れていてもだ。
結局のところ私たちは見た目だけでかっこよさを判断していない。
「〜風」のユニフォームは一生"かっこよくならない"
見た目だけでかっこよさを判断しているのであれば「〜風のデザイン」はカッコいいことになる可能性が高いかもしれない。
MLBやNPBのチームをモチーフとしたユニフォームだ。これらのユニフォームはデザインとしては優れているはずだ。
だか、それは"かっこいい"事とイコールになるだろうか。
平野啓一郎氏は著書「カッコいいとは何か」の中でカッコよさの条件をこう表現している
"美"だけでかっこいいは完成しない。
認知度の低いチームが派手になるジレンマ
2023年のJリーグユニフォーム一覧を見ていて思った。
チームカラーが他チームとかぶってしまった場合、潰されるのは認知度の低いチームであると。
例えば、チームカラーが赤と青のチームがあった場合(チームコンセプトとして赤と青がチームカラーとして相応しいとしても)どうしてもFC東京感が出てしまう。
歴史が浅く、実績も無いチームが何となくシンプルな勝負をしてしまうと認知度の高いFC東京には勝てない。
そこでデザインに一工夫をして、FC東京風から逃れようとし、それがエスカレートすると奇抜で派手なユニフォームになる。
〜っぽいユニフォームから逃れる事と、シンプルで洗練されたデザインにする事はかっこいいユニフォームをデザインする上で必要不可欠であるが、その矛盾を超えるのは容易ではない。
強いからこそシンプルなユニフォームが許されるのかもしれない。
J2やJ3のチームのユニフォームには迷いが感じられる。チームカラーが統一されておらずバラバラな印象を抱く。
”かっこよさ”を決めるもの
例えば、あなたが大好きなあの子と江ノ島の海へデートに行くことになった。あなたは何を着ていくだろうか。
友人の結婚式に招待された。あなたのクローゼットに黒のネクタイしかなかったとしても、それを着けていくことはしないだろう。それがどんなに上質なものであっても。
”何を着るか”は重要ではあるが、その良し悪しを決めるのは、どこに行くか、誰と行くか、何をするのか、といったそれ以外の要素が前提にあってこそである。それらを無視して”何を着るか”を決めることはできない。それがどんなに高価で高品質な物であってもだ。
鎌倉インターナショナルFC監督・ブランディング責任者である河内一馬氏は”ブランディング三角形”をこう定義した。
スターバックスのユニフォームが、少し淡いグリーンになっていてはならないし、ロゴフォントが筆記体になっていてもならないし、安価だという理由でチープな素材で作られていてはならない。
あの色で、あのロゴで、あの形でなければならないのだ。
ユニフォームデザインの原理原則
私はデザイナーではないので、カッコいいデザインのユニフォームを作れと言われても難しい。しかし、それがダサいかどうかは判断できるかもしれない。
①カラー
スターバックスのユニフォームがあのグリーンでなければならないように、あなたのチームのユニフォームのカラーもその色でなければならない。
そしてスターバックスのカラーを誰しもがあの色のグリーンを思い起こすように、あなたのチームのカラーも思い起こさせなければならない。
私がグラデーションデザインや派手で奇抜なデザインを好まないのは、チームカラーの想起を混乱させる可能性があるからである。
チームカラーを覆してまで派手なデザインのユニフォームを売ることは長期的に見ればマイナスに働くのではないだろうか。
②ロゴ
スターバックスのロゴが店頭看板であれ、カップであれ、グッズであれ、全てに統一されているように、あなたのチームウェアやその他の物品のロゴも統一されているべきだ。
こうして文章にすれば、当たり前のことだがこれがなかなか統一されていない。
これには物理的な理由がある。プロ球団でもない限り多くは小売店を挟んでウェアを発注する。そうすると各メーカーが出すサンプルフォントの中からロゴデザインを選択することになる。
運営の都合上、安くて良いモノを求めることからメーカーが統一されない。
公式戦ユニフォームはメーカーA、ジャンパーはメーカーB、TシャツはメーカーC。そうなるとメーカーAのサンプルフォントをジャンパーにも使いたいが、メーカーBにはそのロゴフォントが無いということが発生する。
こうしてロゴの幕の内弁当が完成する。
③流行
女子高生のスカートの丈や、ソックスの長さにトレンドがあるように高校野球のアンダーシャツの襟の高さや、パンツのサイズや丈にもトレンドがある。
そしてその流行の振り子は世の中のトレンドの振り子よりも早い。
それは制服やユニフォームという壊すべく制約があること。そして思春期にかけて確立していくアイデンティティ。他の奴らと一緒にされたくないという差異化の欲求と、そんな同志達への同調化だろう。
そしてさらに上記で引用した通り、流行は上流階級によって創られた。
それは野球ユニフォームにも当てはまる。流行は強者が創るのだ。
なぜなら、弱いチームと同じ格好はしたくないからだ。
ダサい格好の弊害
逆に、弱者のユニフォームの着こなしはいつの時代も変わらない。
中途半端なアンダーシャツの襟に、中途半端な帽子の形、中途半端なユニフォームのサイジング。おもしろいくらいに共通している。
ダサいから弱い -模倣対象-
今年の春の選抜甲子園の出場校(36校)のうち公立校は21世紀枠の3校(3分の3)を合わせて8校である。はっきり言うが、夏の選手権になれば公立高校の出場校は更に減るだろうし、今後も増えていくことはないだろう。もちろん単発的に夏の甲子園で勝ち進む公立校は数年に1度は出てくるだろうが、その強さが続くことはないだろう。
様々な理由はある。経済的理由、指導者の定期的な異動人事、選手のリクルート。これらの理由を挙げればきりがないが、私がここまで言う最大の理由は”模倣対象が無い”もしくは”模倣対象が弱い”からだ。
上記で例として並べた野球ドラマや映画の設定で共通しているのは”弱い”ことである。衣裳さんなどのスタッフが”弱く見せる”ために努力をしている。
つまり、現に存在する弱くて、下手な野球チームや選手を模倣している。
「ファッションに、こだわりがない」という事を、ファッションで表現することにこだわっている人たち
こうした選手やチームを見て「見た目に対するこだわりが無いのだろう」と解釈するのは浅はかである。
よく「ファッションとかオシャレに、こだわりは無い。なんでもいい。」と言う人がいる。私の父もその一人だ。
数年前の誕生日に少し柄の入った明るい色のセーターをプレゼントしたが1度も着ているところを見た者はいない。
そう。それと同じように、なんらこだわりが無いような選手であっても”本当に何でもいい”訳ではない。私の言うとおりのアンダーシャツを着て、帽子の形や、ストッキングの高さまで着付けされれば、気持ち悪くて仕方がないはずだ。
つまり、ファッションに何のこだわりが無いような人であっても、人が選んだ服を着させられるのには抵抗があるの。どんな人であっても何かしらを表現しているし、模倣している。
「ファッションにこだわりがない」という事を、ファッションで表現することにこだわっているのだ。
ダサい格好をする弊害は、弱さの模倣から抜け出せない事である。
だから、ダサいから弱いし、弱いからダサい。
まとめ
冒頭で述べたように「スターバックスのグリーンのエプロンを身に着けて、スターバックスの店頭に立てば、たくさんの研修を受けていなくともスターバックスの店員っぽい立ち振る舞いをすることは可能である。」
この模倣対象こそがブランドであり、ユニフォームの力である。
このブランドを創っていくことは長期的なことでああり、2年3年でできることではない。
模倣と早さだ。それ故に適当なユニフォームは許されない。ブランディングが必要なのだ。
菅野雅之
※参考文献
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