野球選手は、かっこよくなければならない。
私は選手の立ち振る舞いや、ユニフォームの着こなしが“ダサい”事と、そのチームが“弱い”事は限りなくイコールに近いと考えている。
では“ダサい”から“弱い”のだろうか、それとも“弱い”から“ダサい”のだろうか。
私は断じて“ダサい”から“弱い”のだと思う。
野球選手は、かっこよくなければならないのだ。
(詳しくは河内一馬さんのnoteをご覧ください)
野球というスポーツ
この話を進めていく上での前提を整理する。
鎌倉インターナショナルFC監督の河内一馬氏は著書でスポーツを以下のように6つに分類した。
つまり、フィギュアスケートは個人競争に分類される。同時に行われる事は無く、誰かに演技を妨害される事はない。自らの技術を発揮する権利が保障されている。
集団闘争はサッカーやバスケットボールなどだ。同時空間において、相手に直接的に影響を与える権利が保障されている。
では野球は、どこに分類されるだろうか。
野球は間接的集団闘争に分類される。
サッカーやバスケットボールのように相手に対して直接的な影響を与える事ができないのが特徴である。
野球において相手プレイヤーに影響を与えるプレーとは何か。
間接的闘争である野球において相手に影響を与えるプレーとは、そう多く無い。そもそも野球において”相手に影響を与えるプレー”という概念を整理し、定義するということが必要不可欠である。
今回はそこに関して深堀りする事は避けるが、その中の一つに視覚情報があると私は考える。
そしてそれはサッカーやバスケットボールという直接的集団闘争競技以上に、野球という間接的集団闘争が故に大きな影響を与える。
具体的には
「強そう、上手そう、打ちそう、走れそう、落ち着いている」というような抽象的な、いわば虚像である。
格闘技やサッカーやバスケットボールなどの直接相手に影響を与えることができるスポーツにおいては、どの程度強いのか、上手いのか、走れるのか、といったことが事実に近い値で感じ取ることができる。
しかし、野球においては直接相手に影響を与えることができないのに加え、攻撃側がボールコントロールすることができない。守備においても投手というポジション以外は、その機会が訪れないとボールコントロールする権利を得れない。
考えてみて欲しい。”打てなさそう”な打者が打席に立つ場合と、”打ちそう”な打者が打席に入る場合、それぞれ相手投手に与える影響はどちらが大きいだろうか。
変化球の割合が増えたり、際どいところに投げなければならないという意識が強化されたり、力が入ったりするだろう。
私は高い服を着ているとか、流行りの髪型をしているとか、顔立ちが整っているというような外的なモノだけで、かっこいいを定義している訳では無い。
思想や信念、人間的な魅力などの内的な部分が、佇まいや、立ち振る舞い、在り方、雰囲気として滲み出るものであると私は信じている。
ただ、見た目という外的な要因が相手に与える影響は確実にある。そして野球という競技においてその影響は大きい。
「結果的に打てれば、ダサくても、打てなさそうでも、弱そうでも良い。」それはそうかもしれないが、野球という競技は間接的集団闘争である。
与えられている権利は「相手に影響を与える」事であり、「技術を発揮する」ことでは無い。
その影響力を無視し、デザインすることを放棄している選手やチームは弱いと私は思うのである。
結論、弱いからダサいのではなく、ダサいから弱い。
菅野雅之
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