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小説「生きることに必要なのは、衣食住、そして【走】だ」(※全文掲載です。)

 異常に暑かった夏の日も終わりに近づき、自然の恵みを身体で感じる絶好の季節の足音も聞こえてきた。エアコンで鈍ってしまった五感を、バイクにまたがり癒してあげるのもまたおつなものだ。 

 どんなに走っても1万km。あえてメンテをしていないタコメーター。そこかしこにある傷や落ちないよごれが、形を変えた記憶として増えていくことはあっても、減っていくことはない。250ccのモトクロス。これを操るのは30代半ばの人情味あふれるフリーカメラマン。バイクは、時には仕事のパートナーであり、またいやなことを忘れさせてくれる最愛の友でもある。 

 眼の回るような忙しさから解放され、3週間の猶予ができた。

『おい、ちょっと北海道まで行くぞ!』 

10歳も歳の離れた彼女に声をかけた。付き合い始めてかれこれ2年。 

『まあ始めはわがままもよく言っていたけどさ。何を考えているのかわからなかったんだよ。途中でもうだめかなって思うときもあったけどさ。でもよく付いてきたよ、本当に』 

笑った顔は何度か見たことはある。バイク仲間とくだらない話で盛り上がっている時。でもこの時の笑いはまた違った。幸せをかみ締め、本当に嬉しそうに、でも恥ずかしそうに顔をそむける。 

 2人は某港からフェリーで苫小牧港へ。空の機嫌はまあ悪くない。彼女にとっては初の北海道。

『ホテルは?』

『取っているわけネエだろ。テントだよ。テ・ン・ト』

『えー面白そう!』

『はぁ?』 

このようなやり取りが到着後、感動の余韻の合間に繰り返された。そしてこれから起こる物語に期待と不安を乗せ、広大な大地を勢い良く走り出した。 

『風呂は?トイレは?』

『恥ずかしくても死にゃあしねえ』 

彼のよく言う台詞だ。そんなわけで彼女も徐々に逞しくならざるを得なかった。

『こっち見ないでよ。音も聞いたら怒るからね!』 

彼女の哀願も虚しく、人間なら誰でも逆らえない生理の音がかわいらしく、静かな大地にこだました。  

 風の流れにバイクを泳がせ走らせる。若いバイク乗りが、こともあろうに彼女をナンパしてきた。

『お姉ちゃん、そんなバイクの後ろに乗っていてケツいたくならないの?』

『わたしバイクのこと良くわかんないから。こんなもんじゃないの?』 

あっけに取られる若いバイク乗りの顔。彼とエンジンは思わず吹き出してしまった。 

 走り始めて1週間が過ぎた頃だった。『プスンッ』 頼りない音とともに大地に放りだされてしまった。見渡す限り緑色の地平線に、照り付ける太陽の声。

『大丈夫?』

『おう。ちょっと直すまで時間がかかるから、ほら、道路わきで寝てな』 

とは言ったものの、色々いじっても原因がわからない。骨だけになったバイク。どうにでもなれと、思い切ってキックペダルを踏むと、『・・・ブルンッブルンッ・・・』 木にもたれて眠っていた彼女を叩き起こし、急いで元に戻して隣町のガソリンスタンドまでアクセル全開。電気系統は問題なし。心配そうな彼女の顔をよそに、

『まあ死にゃあしねえ』 

彼女の方を見ると、顔に泥がこびりついていた。 

『久しぶりに風呂行くか?』

『うんっ!』 

風呂を出てすぐに、アクセル全開で目的地へ。 

 しばらく街から離れた時のことだ。パン一個で一日半過ごし、水もペットボトルにコーヒー一杯分。道路脇へ行き、バーナーで火を熾し、普段ならあじけなくて、とても飲む気にはならないインスタントコーヒーを、バイクにもたれて二人で分け合って飲んだ。

『本当においしいね』 

これが『コイツとなら・・・』と思った瞬間だった。それから数日後、仕事の電話が入った。 

 室蘭港でフェリーに乗り込み、様々な物語をくれた大地に礼をした。『ありがとうー!』 

涙を流し、声にならない声で彼女は手を振った。フェリーが港から離れるにつれ肩の揺れも収まった。そして彼の方を向きこう言った。

『本当に楽しかったね。また連れてきてね。あーあ、喉渇いた。ビール飲んでもいい?』 

『さっきの涙はなんだったんだ?ってな。女心って訳わかんねえだろ?』 

そういってコーヒーをすする彼がまたうつむきながら笑った。女心とバイクのエンジン。調子のいいときはいいのだが・・・・。 

 この日の別れ際、彼はバイクにまたがり、次のバイク旅の予定と、ある言葉を残して走り去っていった。

『生きることに必要なのは、衣食住、そして【走】だ』 

彼は種田山頭火が好きだそうだ。バイクで静かな場所へ出かけ、好きな本を読む。またこれもしかりだ。 


#やさしさにふれて

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