【読書録10】致知 2021年10月号「天に星 地に花 人に愛」 感想
ここのところ、コンスタントに週1回の更新を行っている。致知についても毎月感想を書いていきたい。今回は、10月号の感想である。
総リード「天に星 地に花 人に愛」
「天に星 地に花 人に愛」。「父母未生以前の一句を言え」という公案に対する致知編集長の解だと言う。
この後に、宇宙創成と生命発展の歴史の話や一刻たりとも動きを止めない心臓の働きの話が続く。
このような話を聞くと、生きていること、今ここにいることの奇跡に思いを巡らせる。
最近、朝、家の前を散歩する。わずか10分程度の事である。朝日を浴びて、森林の中を歩いているとすがすがしい気持ちになる。歩いていると聞こえる鳥のさえずり、最高の時間である。生きている実感を感じるときでもある。
毎日1万歩という目標を目指して歩いているが、いつのころからか、この朝の時間は、この感覚を感じるために歩いている。得難い時間である。
そのようなすがすがしい気持ちになりながら、一日過ごす中で、仕事仲間や上司・部下に対していら立ちを感じたり、時にはいら立ちを表に出してしまったりする。
大いに反省させられる。
さて今月も印象的な記事が多いが、二つの記事を取り上げたい。
フランクル『夜と霧』が教えてくれた人間の光と闇
対談:五木寛之、永田勝太郎
恥ずかしながら、この対談を読むまで『夜と霧』を読んだことがなかった。この対談を読んだ後、急ぎ手にする。「20世紀を代表する作品」とのキャッチフレーズにふさわしい内容であった。『夜と霧』については、また別途取り上げたい。
この本を読んで、いろいろと印象に残ったが、強制収容所において、1944年のクリスマスから新年の間に多くの被収容者が亡くなったという話が印象深い。その原因は、「クリスマスには家に帰れる」というありきたりな素朴な希望にすがったためとのこと。
人間の弱さの証左であろうか。生死の問題でなくとも、自分の中で勝手に期待をもち、その期待に反することがあると、腹を立てたり、落ち込んだりする。
自分の外で何か変化があったわけではない。すべてが自分が生み出したものである。
自分に変えることが「できること」と「できないこと」を分けて、「できること」に集中するということがポイントであろうか?
目の前のことを粛々と行うことが大切だという。
対談の中でも、南極探検の中で、遭難時に生き残ったのが、「ありがとう」と感謝を述べられた人、毎朝ちゃんとひげをそる人、ぶつかった時に「すみません」という人など、社会的なマナーをきちんと身に着けていた人だという。
と五木寛之氏は言う。
フランクル先生の「人生には必ず意味がある。」「人生はあなたに絶望していない」「自分を待っている仕事や愛する人間にたいする責任を自覚した人間は生きることから降りられない」という言葉は、これからも様々な苦難や試練もあるであろう自分の指針にしたい。
フランクル先生は、収容所から出た後に、自分の体験したことを心理学者の立場で記載・講演することを考えていたという。絶望的な状況の中で、そのように俯瞰して物事をみることができるというのも一つの力であろう。
この対談の最後のパートでの五木寛之氏の言葉が印象深い。
『夜と霧』の中にも、絶望的な状況の中、夕焼けを見て美しいと思いったり、ユーモアすらあったという話が出てくる。苦しい状況が続く今だからこそ、美しいものを美しいと思い、周囲と思いやりを持って接するそんな自分でありたい。
理論物理学者が語る宇宙の摂理と人間の生き方
理学博士 佐治晴夫
理論物理学とは、全く無縁であるが、著者が理論物理学者として宇宙の研究をする中で体得したことに基づく言葉は重い。
東京2020の女子レスリングで圧倒的な強さを金メダルをとった須崎選手は決勝戦勝利後のインタビューで「今まで私に関わってくれたすべての人に感謝したい」と言っていた。その心の美しさが彼女をあそこまで強くしたのであろう。
自分を振り返ると、周囲のちょっとした一言に腹を立てたりイライラしたりすることが多い。私と関わってくれたすべての人が自分を作ってくれているそんな心境になれるようになりたい。
その他、多くの言葉が胸に刺さる。
アインシュタインも「物理学に一番近い宗教は何かと問われれば、それは仏教である」といったとのことであるが、諸行無常、諸行無我、「空」の概念。仏教という紀元前から伝わっているものが、宇宙の真理をとらえているというのは不思議な感じであった。
稲盛和夫氏の教えの中でも「宇宙の意志」と調和する心というのがある。正直言って、稲盛さんの教えの中で一番理解しがたいところであったが、今回の記事を読んでなるほどと思った。
「人は人との関係の中でしか生きられない。」そんなことを改めて教えられた。
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