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【読書録67】「1人ではなにも変えられない」から「1人だからなにも変えられない」へ~高木一史「拝啓 人事部長殿」を読んで~

   著者の高木一史氏は、新卒で第一志望のトヨタ自動車に入社し、人事部で3年働いた後、「好きな会社だが、閉塞感に耐えられず」退職し、サイボウズの人事部門に転職した、社会人になって7年目の人事マン。

 私は、本書を、著者が、会社の歴史を学び、他社の人事マンと交流する中で、閉塞感に悩み無力感に苛まれる状態から、自分自身の考えの浅さに気づき、皆で協力して閉塞感を打破していこうとする考え方へアップデートしていく「成長の物語」として捉えた。

トヨタ退職と先輩からの「3つの問い」

 
 物語は、著者が、新卒でトヨタ自動車に入社し、希望ではなかった人事部門に配属された初日の人事部長の訓示から始まる。

人事部門の仕事は、会社が理想を実現し、また社員がいきいきと幸せに働いていくサポートをするためのもの

「会社の理想実現」「個人の幸せ」の両立、これが本書を貫くキーワードである。

 この言葉を胸にやりがいを持って働いていた著者は、徐々に2つの閉塞感を持つに到る。

 「一人の人間として重視されている感覚の薄さ」
 「一人ではなにも変えられないという無力感」

 著者の閉塞感が大きくなり、退職を決意するに至る過程は私自身も感じることであり、非常に共感する。

それは例えば、会社のこんな姿である。

・自分の業務の専門性や住む場所などもジョブローテーションの名の下で自分で決められない。
・偉くなって中間管理職になればなったで、より複雑な社内調整に時間を取られがまんして働かなければならなくなる。
・重要な情報を独占する上位職だけで物事が決まっていく

 そして、退職の決意を報告した後、そのような閉塞感を人事の先輩方に伝える中で、投げかけられた「3つの問い」が著者の成長を促す。

「なぜ会社の平等は重んじられてきたと思うか?」
「なぜ会社の成長が続いてきたのか知っているか?」
「なぜ会社の変革はむずかしいのか理解できているのか?」

 著者は、自身が感じていた閉塞感の正体を「3つの問い」への解を考える中で探っていく。

閉塞感に対する2つの解

 
 著者は、「3つの問い」への解を探っていく過程で、日本社会における「会社」の成り立ちを歴史という「縦軸」で捉える一方、転職先であるサイボウズや他社事例の研究等を通じて、幅広く「横軸」で捉えるというように、縦横無尽に視野を拡げていく。

 そして「3つの問い」への解を導き出すことで、著者が感じていた閉塞感の正体についての理解を深めていく。

 「一人の人間として重視されている感覚の薄さ」という閉塞感には、「会社をインターネット的にする」という解を掲げる。
 また「一人ではなにも変えられない」という閉塞感は、「日本全体が会社依存社会になってしまっている」という現実への気づきから「一人だからなにも変えられない」という認識に変わっていく。
 
 まさに、この閉塞感の正体を探るプロセスこそが、著者の成長物語ではないかと感じた。

会社に依存した日本社会


 日本の会社のしくみの歴史的な変遷や他社の人事マンとの交流からの学びによって、自身の浅はかさに気づき、認識を変容させていく姿は、興味深い。

 閉塞感の源と考えていた「会社の平等」は、戦前から戦後の差別的状況を打ち壊す為に進められたものであった。
そして、「終身の保障」と引き換えに「無限の忠誠」を生み出すしくみを「一律平等」に労働者に適用することによって、企業の継続的な成長に不可欠な「モチベーションの醸成」「雇用の確保」「人材の育成」という大きな競争力を生み出し、「会社の成長」に繋がっていった。

 いわゆる日本的経営の「三種の神器」(終身雇用、年功序列、企業別組合)である。
 
 著者が、閉塞感の源と考えていたものは、元々、「会社の理想実現」「個人の幸せ」を両立させるために必要なものであった。
 
 そしてバブル崩壊後の経済の停滞期に、「終身の保障」が成り立たない中、抜本的な解決ができないのは、高度成長期の会社のしくみを前提に社会の仕組みが成り立っていたためであるということを学んでいく。

 日本の会社の高度成長期モードから脱却できない姿こそ、著者が感じてきた閉塞感の正体だったのである。

 このような姿は、野中郁次郎らが「失敗の本質」で描いてきた、日露戦争の勝利に「過剰適応」し自己変革できなかった日本軍の姿とも重なる。

 著者は、そのような日本の状況を「日本全体が『会社に依存した社会』になってしまっている」と表現する。

 欧米との対比で、こう言う。

国が生活を保障する欧州、会社が生活を保障する日本
外部労働市場が発達した欧米、内部労働市場が発達した日本
入社前に教育訓練を受ける欧米、入社後に教育訓練を受ける日本 

 会社だけ仕組みを変えても「個人の幸せ」を実現できる社会の基盤がなくい状態。そこでは、会社・政府・教育機関という三者が力を合わせる必要がある。
 
 そして、著者はトヨタの先輩方や他社の人事マン達が、そのようなジレンマの中、少しでも「会社の理想実現」と「個人の幸せ」を両立させるため、変革を少しづつ進めてきた事に気づいていく。
 
 先輩たちの難しい戦いの歴史に気づくとともに、社会の変革につなげていくには1社のみの変革のみでは上手くいかないこと、そして「共通の理念」を持つ会社が手を携えて変革していかないと閉塞感は打破できないことを理解していく。
 「一人ではなにも変えられない」ではなく、「一人だからなにも変えられない」という認識へのアップデートである。

 この認識の変容こそ、著者にこの手紙を書かせた大きな理由ではなかろうか。

会社を「インターネット的」に

 
 そんな著者が理念として掲げるのが「会社を『インターネット的』に」である。

社会はとっくに「インターネット的」になっているのに会社はほとんどなっていない。

 著者が会社に感じる違和感を一言で言うとこうである。

 インターネット社会がもたらした恩恵を以下の通り言うが、これこそ今後の会社のあり方を規定する理念になり得ると感じた。 

「インターネット的」な社会とは、「多様な距離感」が認められ、「自立的な選択」ができて、「徹底的な情報共有」によって色々な個性の人たちが一緒にいるのが当たり前の「風土」だったのです。それらはまさに、自分がどうありたいかという主体性(モチベーション)、より広い範囲で仲間や居場所をつくること(雇用)、知恵を分かち合うことで創造性を発揮すること(育成)、という成長の活力(競争力の源泉)をもたらしてきました。

 「インターネット的」という言葉が会社と社会の距離感を表すのにしっくりくる言葉だなと感じた。
 そしてデジタルネイティブと言われる若者ほど、インターネットに出会った年齢が低く、また会社の成長を実感できた期間も無いため、感じる違和感が大きいことも納得できる。

 著者がいうように、いつの時代も会社のしくみは、そこで働く人が幸せに、そして会社の理想が実現できるようにその姿を最適化してきた。だからこそ、そろそろ「成功」の呪縛、過剰適応から脱却しないといけない。

 日本のデジタル化の遅れが言われて久しいが、システムの遅れのみならず、社会制度面や人々のマインド面の遅れも指しているのではなかろうか。

 そして、この理念の実現には、社内外、様々な人々の連帯が必要というのもうなずけた。

最後に

 
 「一人ではなにも変えられない」という無力感からくる閉塞感から、「社会が会社に依存している」状態を認識しながらも、その中で「会社の理想実現」と「個人の幸せ」を両立させるために自分に何ができるかと考え、理想を描き、「一人だからなにも変えられない」と、社内外に同士を作り一緒に手を携えて一歩一歩会社の変革を目指し、「会社」が「社会」の変革をリードするとして行動していく著者の姿は素晴らしい。

 本書では、「インターネット的」な会社の最先端、サイボウズが抱える課題にも触れられている。

 著者が、今後の実践を通じて、会社や人事制度についての認識を更にどのようにアップデートしていくか。またどのように会社や社会を変革していくのか非常に楽しみである。



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