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【読書録8】渋沢栄一との対話~現代語訳「論語と算盤」を読んで~


   今年度の大河ドラマ「青天を衝け」主人公、渋沢栄一。
本書は、渋沢栄一の講演の口述を編集したものである。現代語訳になっており、渋沢栄一に語り掛けられてるような感覚になる。

 「読書は、著者との対話」という。対話というと、渋沢に対しておこがまがそんな感覚になる。

 渋沢は、明治6年(1873年)に官僚をやめて、もともと希望していた実業界に入ることになった時に、「これからは、いよいよわずかな利益をあげながら、社会で生きていかなければならない。そこでは志をいかに持つべきだろうか?」と考え、おのれを修めて、人と交わるための日常の教えが説かれている論語の教訓に従って商売していくことを思い至る。

 読み終えると、付箋・赤線の嵐となったが、振り返ってみて、印象に残っていることを3点にまとめてみる。

1 天命に身をゆだね、道理に従い生きる
2 知識は、実践に結びつけてこそ価値を持つ
3 徳川家康に対する敬慕の念

1 天命に身をゆだね、「道理」に従い生きる

 世の中のことは、「こうすれば必ずこうなるものだ」という原因と結果の関係がある。いかに争ったところで因果関係をすぐに断ち切ることはできない。人が世の中を渡っていくためには、成り行きを広く眺めつつ、気長にチャンスが来るのを待つということも決して忘れてはならない。

 これは、決して運命論などではない。明治維新前後、尊王倒幕を掲げながら、一橋家に仕え、幕臣となり、民部公子に随行してフランスに渡ったところで、明治維新となり、敗者側になったという激動の時代を生きた、渋沢ならではの実感であろう。

そんな渋沢は、逆境について、以下のように述べる。

 逆境に陥った時には、どんな人でもまず「自己の本分(自分に与えられた社会のなかでの役割分担)」だと覚悟をきめるのが唯一の策。
天命に身をゆだね、腰をすえて来るべき運命を待ちながらコツコツと挫けず勉強するのが良い。
 私自身、自己の力一杯に勉強してきたが、社会の移り変わりや政治体制の刷新に直面すると、それをどうすることもできず逆境に陥った。

「道理」に従って、ひたすら努力するべきとする。そして、一時の「成功」や「失敗」は、心を込めて努力した人の身体に残るカスのようなものなのだと語る。

人は、人としてなすべきことを基準として、自分の人生の道筋を決めていかなければならない。
だから、失敗とか成功とかいったものは問題外なのだ。成功や失敗というのは、結局、心を込めて努力した人の身体に残るカスのようなものなのだ。
現在の人の多くは、ただ成功とか失敗とかいうことだけを眼中に置いて、それよりももっと大切な「天地の道理」を見ていない。
人は、人としてなすべきことの達成を心掛け、自分の責任を果たして、それに満足していかなければならない。
 成功や失敗といった価値観から抜け出して、超然と自立し、正しい行為の道筋にそって行動し続けるなら、成功や失敗などとはレベルの違う価値ある生涯を送ることができる。
成功など人としてなすべきことを果たした結果埋めれるカスに過ぎない以上、気にする必要など全くないのである。

素晴らしい人格をもとに正義を行い、正しい人生の道を歩み、その結果手にした豊かさや地位でなければ、完全な成功とはいえない。

そして、人に禍が来るのは、得意になっているときと戒める。

だいたいにおいて人のわざわいの多くは、得意なときに萌してくる。得意のときは、だれしも調子に乗ってしまう傾向があるから、わざわいはこの欠陥に喰い入ってくるのである。
得意なときだからと言って気持ちを緩めず、失意の時だからといって落胆せず、いつも同じ心構えで、道理を守り続けるように心がけていくことが大切である。

 確かに自分自身を振り返ってもその通りである。「慣れたとき」「自信を持ったとき」が危険信号である。さらに私の心を見透かしたかのように以下のように語る。

人間が世間とのつきあい方を誤るのは、だいたいにおいて、喜怒哀楽といったさまざまな感情を爆発してしまうから。
だからわたしの主義は、「何事も誠実さを基準とする」

 おっしゃるとおりである。まだまだ心に響く言葉が続くが、この項最後は、70歳を超えた渋沢が、「人生は努力にある」として、我々に語り掛ける言葉で締めくくりたい。。

わたしのように70歳を超える老境に入っても、まだまだこのように怠ることがないのだから、若い人には大いに勉強してもらわなければならない。   一旦、怠けてしまえば最後まで怠けてしまうもの、怠けていて好結果が生まれることなど決してない

2 知識は実践と結び付けてこそ価値を持つ

 これは、私にとっての一大テーマである。いくら本を読んだり、勉強したりしてもそれをしっかりと役立てないと意味がない。渋沢の言葉は、グサグサと私の心に刺さってくる。

時勢を知り、よりよい選択や決断をするためには、知識を積むこと、つまり学問を修める必要がある。しかし知識が十分にあっても、これを活用しなければ何の役にも立たない
活用するというのは、勉強したことを実践に結びつけることだ。
実践に結び付けるための学びは、一時やれば済むものではない。生涯学んで、はじめて満足できるレベルとなるのだ。

 成果をあせっては大局を観ることを忘れ、目先の出来事にこだわってはわずかな成功に満足してしまうかと思えば、それほどでもない失敗に落胆する。高学歴で卒業した者が、社会での現場経験を軽視したり、現実の問題を読み誤るのは多くは、この場合である。
学問と社会の関係は、地図と実地を歩くことの違いのようなもの

 「修養」ー自分を磨くことは、際限がない。ただし、この時に気を付けなければな入らないのは、頭でっかちになってしまうこと。自分を磨くことは理屈ではなく、実際に行うべきこと。だから、どこまでも現実と密接な関係を保って進まなければならない。

 現実と密接な関係を保つには、極端に走らず、「中庸」であるべきということだろうか。確かに物事を上手く運ぶためには、必要な考え方だろう。

 自分を磨こうとするものは、決して極端に走らず、中庸を失わず、常に穏やかな志をもって進んでいくことを心より希望する。
言い換えれば、自分を磨くことは、現実のなかで努力と勤勉によって、知恵や道徳を完璧にしていくことなのだ。

 常識とは、何かをするときに極端に走らず、頑固でもなく、善悪を見分け、プラス面とマイナス面に敏感で、言葉や行動がすべて中庸にかなうもの。「智、情、意(知恵、情愛、意志)」の3つがバランスを保って、均等に成長したもの。
さらに言葉を言い換えると、ごく一般的な人情に通じて、世間の考え方を理解し、物事をうまく処理できる能力が、常識。

3 徳川家康に対する畏敬の念

 そして、「天命に身をゆだね、道理に従って生き」「 知識と実践に結びつけて活用」した人物として徳川家康が、本書で何度も登場する。大河ドラマのナビゲーターを家康が務めるのも納得なのである。

家康は、とても広い視野をもって、学問(儒教、主に朱子学)の活用をした。理論と現実を調和して融合させた結果が、300年続く基になった。

そして、家康の遺訓を紹介する。

 人の一生は、重い荷物を背負って、遠い道のりを歩んでいくようなもの、急いではならない。不自由なのが当たり前だと思っていれば、足りないことなどない。心に欲望が芽生えたなら、自分が苦しんでいた時を思い出すことだ。耐え忍ぶことこそ、無事に永らえるための基本、怒りは自分にとって敵だと思わなければならない。勝つことばかり知っていると、うまく負けることを知らなければ、そのマイナスな面はやがて自分の身に及ぶ。自分を責めて、他人を責めるな。足りない方が、やりすぎよりまだましなのだ。

4 最後に -決意し、それを持続すること-

 まだまだいろいろと刺さる言葉が多い。最近、ノートを整理していたら、年始に書いたメモとして、「運命をひらく4つの条件」として以下を書いていた。

(1)「心のコップ」を立てること
    (仕事を通して社会の役に立つと同時に自ら成長する)
(2) 「決意」しそれを持続すること
(3)「敬するもの」を持つこと
(4)  縁を大事にすること

こんな素晴らしい言葉、せっかくメモしていたのに忘れていた。「決意」してそれを持続する。大切である。今回の渋沢栄一との対話を通じて得たことをしっかり活かしていきたいものである。






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