見出し画像

自己充実感を取り戻す

自己充実感。皆さんは、充実した人生を送っているでしょうか?前にも書いた気がしますが、リライト。

過去、家の修理の仕事の時は充実感がありました。現場までシビックを高速でぶっ飛ばし(120KM)

何とか8:30AMまでに現場入り、25の時は、家一軒任されていました。仕事の段取りも、自分のやりやすいように決める。

そこまで行くまで、泣いたこともありました。初めての一人現場。家がでかく見え、それを相手にすることは怖いことでした。

泣きながら、段取り、コンプレッサーを電源とつなぎ、加工場を作り、丸ノコをセット。

ブルーシートのかかった、材料を引き出し、工事個所の寸法を取り、その通りに作る。泣きながら、家の裏側から、材料を貼りました。

数枚張ったところで、きれいにできたので、満足感が。自信が出て、目立つ、表に移りました。

それを何件やったのだろう。25から29歳。1か月1件で、4X12=48
。48件も、場合により父が介入したけど、ほとんど一人でやりました。

その後、うつになり、この仕事をはなれ、全然関係の無い、独立して、パソコンのインストラクターをやるのですが、自己充実感のある仕事は、気分が良かったです。

うつ病でさらに自己充実感のある仕事へ

結局、自営もうつ病の悪化と借金苦で、潰れ、自己破産、生活保護へ。と人生が逆行します。働く充実感が消し飛び、

ひたすら、週3日、Aクリニックの精神科デイケアと、治療面接。そこでしていたのは、PSW(精神科ソーシャルワーカー)との対話と、

仲間とばかやること。一緒にプログラムとして、カラオケ行ったり、ソフトボールをやったり、ゲーム機で(3台もあった)ゲームしたり、

仕事とは全く逆のことをし、遊ぶことでの自己充実感を得ることが出来ました。それと同時にPSWにカウンセリングを習い、

デイケアのメンバー相手に研鑽を積みました。7年くらい^^PSWが「菅原さんは才能がある」と言い、うれしくなりました^^

薬の都合で、このクリニックが嫌いになり、救急車で他の病院に行きました。問題はリスパダールでした。
「あなたの先生は副作用止めを出してなかったんだね^^」
そう言って、点滴の副作用止めを打たれました。

身体が硬直することが消えました。いろいろなことがあり、K病院に入院になりました。その病院で、すごく運命と感じることと出会います。

入院して3日目。看護師さんが鶴を折っていました。他にも新聞のチラシでゴミ箱を作るのです。

わくわくして、参加していいか聞きました。いいと言うことなので、左手は震えていたのですが、何とか、鶴を教えてもらいながらおりました。

一緒にいたおじさんが、「菅原さんは不器用だからきれいには折れないよ」と言ってきました。

すごく腹が立ちました。怒りを動機に、毎日折りました。1週間くらいして、すごくきれいに、鶴が折れました。

看護師さんは褒めてくれます。おじさんは苦笑い。「やるなあ」

これは作業療法と言うものでした。脳と身体の感覚を整えると看護師さんは言いました。これだっ!!! 

K病院は、作業療法に力を入れている場所で、料理とか楽器とか、パソコンとか、6つくらいのメニューがありました。主治医のS先生に、
「全部やりたい」と言うと、「かまわないよ^^」とのこと。

週間予定表を貰っていたので、時間割を組み、その間に洗たくの時間を組み入れました。

作業療法で回復、パソコンで自己回復

退院しました。3か月でした。彼女も出来ました^^話がすごく会う人です。

K病院の精神科デイケアに通いながら、パソコンで一番したいことを思い出しました。ゲームを作ること。

大須観音まで行き、パソコン専門書店のSで、ネットで調べたとおり、HSP3.1プログラミング入門を1900円+税で買いました。

パソコンもネットも、事前に使える状態にしておきました。貯金があったからです。

サンプルを打ち込み、コンパイルして動かす。気になる項目がありました。

シューティングゲームの基礎とありました。CDROMがついていて、プログラムをコンパイルして実行できました。

そして閃きました。本に書いてあったのですが、改造して自分のゲームを作って下さいとあり、そうすることにしました。

それでできたのがこれです。

無料です。USBコントローラーが必要です。Windows7、8用です。
遊んでみて下さい。しょぼいけどね。

自己充実感を自分の趣味で取り戻す

ここから先は

316字 / 1画像

¥ 300

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?