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フューチャーズ・リテラシーとは?支配的イメージから脱し、未来を再想像するリテラシーを培う

また別日にもForesight Fridayというイベントで"Futures Literacy and Imagining African Futures"をテーマに基調講演などを聞いてきました。Riel MillerというUNESCOのFuture literacy部門のトップや、トゥルク大学のリサーチャーの取り組みなどのお話。

支配的な未来像からの脱却

Rielのお話には冒頭で、"他者の未来(=Somebody's Future)を使うことを辞めろ"といったことが述べられます。例においてはマトリクスやブレードランナーなどSF映画によるテクノロジー主導のユートピアやディストピアによる未来"像"の構築に人々の想像力が支配されることの是非が問われます。

そこで重要なのはすでに蔓延した未来のイメージに乗っかることなく、自らの文脈と歴史から想像された未来を想像すること。これは民族未来主義に通ずることにも感じます。

民族に固有だと想像される前近代的で土着的な要素の中に、ある民族の独自性を再発見してゆきながら、同時代的な政治・美学的表象の中に復元してゆこうという運動は、民族本質主義によって地政学的な地図を塗り替えようと試みる危うい「民族未来主義(エスノフューチャリズム)」の思想として受け止められてきた。
ーhttps://gendai.ismedia.jp/articles/-/65857 より

しかし、そうした危うい思想ではなく、新たな未来のオルタナティヴを描くための運動体として注目を浴びているとのこと。それは西洋的価値観によるDeColonizing Futures=未来像の脱植民地化、つまりは近代化により要請される西洋基準の価値体系への同化を避けて、支配的な未来のイメージから脱出するための方法論ともいえるでしょう。ゆえに

民族未来主義的な思想は、グローバル化の過程においてあたかも「普遍的」価値体系として提示されてきた「ローマ・ゲルマン文化」の辺境性を露わにし、文化的固有性のもとに脱帝国的・脱中心的な思想運動を展開するための一つの契機として注目される。
ーhttps://gendai.ismedia.jp/articles/-/65857 より

とされています。実際に、未来学の分野では西洋から離れた未来構想の思想が熱を帯びています。アフリカの伝統文化に根ざしたアフロフューチャリズム(参照)がありますが、今回はテーマに"Imagining African Futures"とありました。個人的にはこれが盛り上がるのも背景には西洋的な資本主義による未来の想像力の限界に達したために、西洋が別の世界において新たな未来の種を探ろうとしていることがあるのでは、と感じます。つまりこの分野の盛り上がりすら西洋的な価値体系に取り込まれた中にあるという感じ。

少し逸れましたがRielが話していたのは、SFを未来の支配的イメージを司る媒体の1つに挙げつつ、そうしたテクノロジーから起こるユートピア/ディストピア的な未来が果たして、例えばコンゴという国などに、ありそうな未来と言えるのか?と問いかけます。それは西洋の先進都市においての、数多ある未来像の1つでしかないのでは、と。しかし僕たちはそのような支配的な未来の心象に影響されます。今ある支配的な未来像を認識したうえで、脱却し、文化や歴史の固有性から新たな未来像の再想像すること。よくThink out of boxといいますが、そのためには"box=箱"が何か、支配的な認識がなにかを理解しないと外から出られないということです。

未来の意味とFuture Literacyの意義とは?

そして、"未来"という概念の意味性について述べられます。"We colonise tomorrow by today's determinism.=今日の決定主義が明日を支配する"という発言が全てを端的に表現していましたが、未来というのはあらゆる"今、ここではない物語および心象的イメージ"なわけです。そしてその物語の予期により希望も不安も生み出される。そうした希望や不安が日々の日常生活に行動レベルでも精神レベルでも影響を与えます。それは短期的な明日のことでも3年後のことでも100年後のことでも言えるでしょう。UNESCOのFuture Literacyのページには下記のようにあります

imagining the future is what generates hope and fear, sense-making and meaning. The futures we imagine drive our expectations, disappointments and willingness to invest or to change.

漠然とした未来という抽象的に思える概念は、かくも日常に実践的な影響を与えます。そのために今回のテーマであるFuture Literacyとはそうした未来の活用の意義を理解し、自分で未来を想像できるような能力を培うための現代に必要なスキルセットなわけです。

Future Literacyを育む実践

また、別のスピーチではTrukuのFuture Research CenterのリサーチャーからUNESCO Chair in Learning Society and Futures of Educationというプロジェクトのお話。これは研究・教育・活動の設計を通して世界的に未来的思考を育むためのプロジェクト。

フィンランドでの取り組みについていくつかの事例を紹介してもらいました。例えば、毎年3月にFuture Dayという「未来について考えるための場作り」を行う自治体・民間企業・学校向けの自主企画参加型?のイベントを行っています。何かと言うと、例えば小学校の教師がクラスの中で未来を考えるためのワークショップを開く、といったように興味を持った組織が自分たちで未来の思索を行う機会を通してリテラシーを育むサポートをしています。どうサポートするのかというと、1つには無料のツール配布

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一例としては、"未来"とはなにか?という基礎概念の紹介+問いかけを行うものや、未来学の原則の紹介、ツールの使い方の説明をするカードkitです。つまり、先の学校の例でいえば、教師がこのカードkitをDLして自身のワークショップ設計のサポートツールとして用いることで、場作りの支援をしています。
その他、オンラインのFuture Literacyの教育プログラムを提供したりなど行っています。

大衆的な未来イメージにより不安ばかりを煽られ、希望を描けない現代に置いて非常に重要な取り組みだなと感じました。にしても、フィンランドの素晴らしいところはあらゆる分野における教育学との接続と実践が非常にうまいなあと。こういう取り組みをしていきたい気持ち。

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