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【人生論】「5年間一日も休まず勉強したら難病になってしまった」僕の人生-Part1


「ドンッ、ドンッ、ドンッ・・・」

深夜1時に重く鈍い音が僕の頭蓋骨に響いた。



気づけば僕は勉強机に頭を打ち付けていた。

ストレスだ。精神が蝕まれていのだ。

寝る間際になると毎日決まって憂鬱になってた。



僕には才能がない。



いくら頑張れど「全く人生が好転しない。」

それどころか身心ともに消耗していく一方だった。


小さいときに親から教わったことは「頑張ること」で

僕が唯一自分の能力に希望を託している能力だ。


容姿?   当然平均以下
コミュ力? もちろん平均以下。
運動?   平均。
芸術?   最悪。
学力?   残念ながら平均。


パッと思いつくものでそれ以外に、

長所と呼べるようなことはない。


僕から「頑張ること」を取ってしまったら、

本当にただの人になってしまう。

それなのにいくら勉強しても結果が付いてこない。



「いったいどれだけ頑張れば、少しでも結果出るんだ。」

「この負の現状から抜けられない。」


一方的に精神が病んでいった。

不安定な精神は、正常な思考回路を遮断した。



「ドンッ、ドンッ、ドンッ・・・」



「死にたい、人生詰んだ。」何度も思った。

悔しくて、悔しくて、何度も泣いた。

自殺してしまう人の気持ちも分かった気がした。

505号室から飛び降りようかとも思った。


でも人間ってすごいね。

最後はなんとか本能が僕を止めてくれるんだよ。


それに親の老後の資金で

早稲田の学費を賄えたことを考えたら

まだ逝けないなとと思った。


寝れば明日が来る。

明日が来れば明後日も来る。

歩き続ければいつか「その日」が来る。



「だから僕は歩き続ける」

「だってそれが僕の唯一の取柄なのだから。」



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【前書き】
以下は人生の振り返りを含め、
それに対する主観的評価&分析である。

僕と同じように人生辛く感じている人の
助けに少しでもなれたら良いなぁ。
一緒に頑張ろうよ!

誰かに読んでほしさも当然あるが、
それ以上に自分の人生を言語化することで、

何がいけなかったのか、
どうすべきだったのかを整理したい、
今後の人生をもっと円滑に進めたい、
そういう意味合いもある。

そして僕は必ず「夢」がかなえてみせる!

脳梗塞で障がい者になった母を
NeuroEngineeringの技術を使って
自身の力でもう一度歩けるようにしてあげるんだ!

※Neuroengineering
神経工学。医学の脳神経学と工学の融合分野で、人間とコンピュータの融合を扱う学問。その中でもBCI(Brain Computer Interface)やBMI(Brain Machine Interface)という単語が最も知れ渡っている。例えば有名な企業にイーロンマスク率いるNeuralink社がある。
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大変長くなってしまったので、

先に結論だけをまとめておく。


結論はどこにでもあるありふれた言葉だが、

目と耳で人から学ぶ以上に、

自分の5年もの歳月を消費して、

身に染みて痛感したことである。



僕はそれらがどれほど大切だったのか、

本当の意味で理解できた気がする。



その結論に至った経験的背景は、

結論の後でじっくり述べることにする。

ちなみに結論の記載した順番が

その重要さを反映している(1が最重要)。



なお、当然これを他人に押し付けるつもりも

威張ったことを言うつもりも毛頭ない。


なぜなら人によって前提条件は異なるし、

そもそも私自身もこれらが絶対正しい、

と確信しているわけではないからだ。

しかし現状は最適解だと思っている。

【結論】

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1.あるのはDoDoDoDoのみ。

時間の短さは認知している以上に短いと認識すべきで、PDCAしている時間なんてない!とにかくDoDoDoDo。これはキャリア設計についての話しである。なお「DoDoDoDo」という言葉、竹花氏より引用させてもらった。ここで振り返ってみてほしい。あなたの過去3年の成長度合いが、あなたの今後3年の成長度合いに等しいとしたら、何を思うだろうか。その先の人生に光はあるだろうか?もちろん僕にはなかった。だったら何か変えないといけない、もっと動かなければいけない、もっと加速させなければいけない、今のまま過ごしたらその程度の人生しかやってこないのだから。それに対する僕にとっての答えが、DoDoDoDoだった。ちなみに経験則ではあるが、悩み事に対して最初に出した答えは、その後どれだけ悩んでも大抵の場合、最初に出した答えに帰着する。「考えるな、とにかく動け」という言葉にもその意味が表れている気がする。

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2.人は情報によって導かれる。

「知らぬが仏」ならぬ「知らぬが損」である。限られた情報しかなければ、それだけ行動が狭まることに値する。「知らないのであれば、知らない。ただそれだけの話し」誰も助けてくれない。助け手となる人もそもそも知らないのかもれない。知らないのは、誰のせいでもない。だって、そもそも誰も知らないのだからどうしようもない。みんな知らないのなら、みんな一緒じゃん、そうなるはずである。しかし世の中は違う。そこには優劣があって不平等だし、何より圧倒的なヒエラルキーも存在する。でもさ、優劣があるのは仕方がないよ。だって、生まれたときよりその優劣は大体決まっているから。それでもさ、それぽっちの武器で、もっと上へと、ヒエラルキーの高い方に進みたければ、情報戦を勝ち抜くしかないんだよ。誰も助けてくれないんだよ。自分を助けられるのは自分だけなんだ。自分の周りにいる人って大体「同じような考え方」持ってる人でしょ?同類だから同類な解決策しか生まれない。それが環境である。良質な環境に行けば、自分よりヒエラルキーが高い人がいる。でも期待できる利益がない限り、上の階級の人が下の者に手を差し伸べてくれることは、なかなかいない。だから自分で触れる情報や環境を環境を積極的に変えて成長することが大切なんだ。そもそもこうしたnoteを書こうと決断のも、情報の影響によるものだ。情報や環境の選択を誤ると損をする。「もっと早く知っておけばよかった」何度も痛感した。環境ないし触れる情報というのは、その人の未来に非常に影響する。正直、数年前は「環境のせいにするのは雑魚。結局は自分の力量こそが正義」ともまで思っていたが、違ったようだ。無知、故の遠吠えだったようだ。

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3.「観察」を意識すべきである。

何事も分析をしようということである。しかし「分析」という言葉を用いずに、「観察」という言葉を採用したのは、分析以外にもそれと同等に大切な部分があるからである。この観察という行為は、目の前の事象を分析対象として捉えることから始まっている。要は問題発見である。対象を見つけては、分析する。そして分析結果を今後に反映させる、という一連の流れを指している。

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4.事前準備が大切である。

「直前になると思考が変わり、その場で生じた思考に沿って動くと良い方向へ動かない可能性が高いので、事前に組み立てた思考に沿って動くことが大切だ」という意味である。このことは「直感」とは異なり、特に論理的思考の話しについて言う。数学っぽく言うなら時刻tで生成した行動プランではなく、(t-1)で生成した行動プランに基づく方が、リスクリワードが高いということ。

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5.プランBが大切である。

複数のプランを独立で進め、どれかがつぶれても、体制が即座に立て直せるようにしておくべきである。独立という言葉は大事で、例え複数のプランの方向性が違えど、互いに依存しているようではだめ。バックアップの意味がなくなる。一つに全力投球して足元をすくわれた時が、非常に窮地になる。過去2年間の僕がまさにそうだった。身動きが取れなかったのだ。

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以下はどうしてそのような結論に行き着いたのか、

僕の人生を赤裸々に書き記していく。

【初動の始動】

(2017年4月~2018春)


僕の人生の歯車は5年前に初めて動き始めた。

歳にして21歳。大学3年生終盤のときだった。

当時、地方の大学に通っていた僕が、

外部の早稲田大学院の受験を決めた年であり、

人生で最も好きだった彼女に振られた年でもあった。


僕は振られた反動で、
「何としても合格してやる!」、
その気持ちで死にもの狂いで勉強した。


周りは就活が終わり遊びくれる中、
僕一人黙々と毎日毎日勉強に明け暮れた。


学部3年までの勉強内容が頭に残っておらず、
その3年分をたった約3か月間の院試期間に、
ひたすら詰め込まなければいけなかったからだ。


休憩時間は毎日30分のみ、
それ以外はその言葉通り、
勉強のことしか考えなかった。


脳が疲れたらひたすらお経のごとく、
その日に学んだことを脳内でつぶやいた。


一切の甘えも許さなかったし、
邪念につきいる隙すら見せなかった。


当然、精神はおかしくなっていたようだ。
むろん僕はそんなの自覚してなかったが、
親に「頼むから勉強やめて」と言われたからだ。


それでも僕は手を止めるわけにはいかなかった。
なぜなら「合格したい!」という
強い意志がそこにはあったからだ。


当時はいくつかのルールを自分に課していた。
(他にもあった気がするが今は思い出せない)

1.勉強を始める前に毎朝神様に「今日も頑張ります!」と、誓いを立てる。

2.夜は12:30に寝て、朝は目が覚めるまで起きない。

3.その日にやる勉強内容を毎日リスト化し、
土日に1週間の今後の方向性を決める。

4.毎日30分だけ勉強以外のことをしてもよい
(生理現象、食事、入浴はカウントしない)。


この院試期間は大学受験のときよりも辛かった。


しかしこれは僕が人生で最も
倒れるギリギリまで頑張ったと言える
本当に良い経験となっている。


そういうわけで、
正直、本当に合格できるなんて
微塵も思ってなかったが何とか合格出来た。
僕の人生で3本指に入る嬉しさだった。


この院試の勉強がきっかけで、
良い意味で頭のねじが外れた。


そう、勉強にはまってしまったのだ。


合格が決まってからも僕は勉強を続けた。
もちろん受験期間ほどではないが、
それでもプライベートな時間は勉強の一択だった。


分からなかったことが、「分かった!」
このときの高揚感がたまらない。


合格から約半年後の4月に
早稲田大学院へ入学した。


憧れの東京!
そして一人暮らし!


人生の幸福感は高かったし、
人生も好調だったと思っていた。


「人生さいこうーーー!」


僕は歯車の回転速度・回転数が
下降し始めるとも知らず、
東京ライフを謳歌しようとしていた。


というわけで
2018年4月に早稲田大学院に
晴れて入学したのだった。


(長くなってしまったためpart2へ続く)

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