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進化を続ける定義<242/1000>

【ラジオ体操545日目】
『ニコチンレス生活266日目』

こんにちは。
相手の気づきを優先するのが良いと分かっているのに、こちらの想いを伝えてしまうので、相手の成長の機会を奪ってしまうコマリストです。


今日は『目の前の相手の成長を心から応援する』というテーマで書いていきたいと思います。


獅子は我が子を千尋の谷に落とす
可愛い子には旅をさせよ


古くから、相手の成長のためにはあえて厳しい環境に身を置かせることを推奨するような言葉があります。


最近は、教育する側が厳しく接することが罰せられたり、非難されてしまう傾向があるので、良くも悪くも優しい指導が当たり前になっているように感じます。


では、優しく指導するのと厳しく指導するのでは、受ける側の成長の度合いに差はないのでしょうか?
#永遠のテーマ


今日は、教えられたことよりも、自分で見つけたことの方が価値が高いけれど、教える側に我慢が求められるというお話です。


伝えたくても伝えられないもどかしさに勝てる人が、真の教育者になれるんだとすると、今の私は教育者にはなれないんだろうな笑

本質的自立とは

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ここ数か月、私自身の目指している理想に少しでも近づくために、自分自身と向き合う時間を意図的にとるようにしています。


向き合えば向き合うほど、自分自身の「現在の姿」が明確になり、”足りない部分”も明確になってくるので、精神的にかなりの負担がかかる時間だったり。。


そんな”しんどい時間”の中で、常に考えているのは私自身が人生のミッションとして掲げている『心を動かす人であること』と、その結果としての目の前の相手の本質的自立について。


心を動かす人であることについては、固定記事にもしているので読んでくれた方もいると思っています。


では、その結果としての『本質的自立』とはどんな状態なのか。


これについても、すでに私の中では言語化が終わっていたので、大きく変化することは無いと思っていました。


本質的自立とは、
自ら目標を設定して、課題を明確にして、自走していく中で維持拡大と成長を繰り返していける組織や個人。


これが、私の考える『本質的自立』の定義でした。これはつまり、私を含む”支援者”が必要ない世界を創ることが正義であると考えていたということです。


けれど、この定義がここ数日で変化してきているように感じているんです。

定義を揺るがす企業

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私の定義に一番影響を与えたのは、私が弟子入りしているNさんが支援している企業での出来事でした。


その企業には、現時点でNさんが2年近く関わっていますが、関わり始めた当初は従業員にやる気がなくて人の入れ替わりが激しい会社でした。


そんな企業がどう変わったかというと、


月に一回の全体会議で、正確に現状を把握し、企業としての理想的な未来を実現するために、今どんな打ち手を実行していて、どこまで近づくことが出来たのか、そしてこれから(明日から)具体的に何をしていくのかということを社員自らが発表しています。


社員たちはやる気に満ちていて、退職者など皆無という状態


これは、全く違う企業に変化したと言っても過言ではないと思う。


そして、Nさんは、社員たちが迷った時に気軽に相談できるポジションではあるものの、基本的には手も口も出さない


この状況。Nさんは不要かと聞かれれば、100%必要だというのが答えになると思います。


恐らく、この会社の経営者も従業員も口を揃えて「Nさんにいてもらわないと困る」と言うはずです。


けれど、見る人によってはNさんは何もしていない状態だともいえる。


実際、Nさん自身は一切の作業をしていないから。
#仕事はしてる
#仕事とは


確実に、私の定義していた本質的自立を満たしているけれど、支援者を必要としている状態が実際に存在するという現実。


これは、私の定義を揺るがす衝撃の事実でした。

New本質的自立

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ちなみに、文章では上手く伝えられないので、私の文章力の無さを恨みたくなるのですが、先ほどの会社の社員さんたちが作ってくる資料の質は本当にヤバいです。
#語彙力
#無さがヤバい


社員30万人を超える企業で経営企画をしていた経験がある私から見ても、圧倒的なレベルのものを作っています。
#企業の規模は関係ないかも


社員全員が、組織の中で自分自身の役割を明確にして、自己の成長が組織の成長に繋がると信じている。

その上で、組織として到達したいゴールに近づくために、自分たちが何をしていくのかを言語化し、それを実行している。


まるで、ディズニーです。


そして、こんな状態を実際に見せられた私としては、支援者不在になることが正義だと自信を持って言えなくなってしまったわけです。


まだ、しっかりと言語化が完了していない状態ではありますが、言葉にしてみないと定義づけが完了しないと思うので、新たな定義と支援者の在り方について言葉にしてみます。


本質的自立とは、
ゴールを自分事として捉え、自らのミッションを明確にしている仲間が集い、自ら考え行動し続けることが出来る個人や組織のこと


今のところこんな感じ。


そして、ここに関わる支援者としての在り方は、メンバーの一人としてではなく、親のような存在であることが必要なのかなと思います。


つまり、
関わる組織や個人の成長を本気で願い、信じ抜くこと。


常に手助けをすることが支援者の仕事ではない。
手助けしない方が本質的自立に有効なのであれば、手を貸さないことも選択できるのが、真の支援者であり、教育者であり、親である。
#優しさとは
#愛


私自身、粗削りではありますが、少しだけこれまでと違うものが見えるようになってきているように感じます。


これを読んでくれている方にとって、何かのプラスになるかもしれないと信じて、これからも私の気づきを隠さずに暴露していきます。

じゃ、またね!

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