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お年玉って?<769/1000>

【ニコチンレス生活790日目】
【ボイストレーニング172日目】
【記事の朗読30日目】

こんばんは。
お年玉は常識の範囲内なら税金を取られないという話を聞いて、その常識の範囲は誰が決めてるのか不思議で仕方がないコマリストです。


年始になると、親族で集まって夕食したり、地元の友人と遊びに行ったりと、年に数回しか会わない人と顔を合わせる機会が増えます。


自分自身が未成年だったり、親族や友人グループの中に子供がいたりすれば、お年玉をもらったり渡したりする機会があると思います。


子供の頃はたくさんくれる親族のところに行くのが楽しみで、もらったお年玉を集めてニヤニヤしていた記憶があります。
#不労所得
#この時だけは会いたい


ところであなたは、お年玉の由来を知っていますか?


元々は、中国から入ってきた文化で、年末に五穀豊穣を祈って歳神(トシガミ)様にお供えした丸餅を家長から家族や奉公人に分け与えることで豊作を祈願するものだったそうです。


餅を分けていただけなのに、日本に入ってきてから「お金」を配る文化に変化するなんて迷惑な話ですね笑
#もらってる時は良かったけど
#あげる側になるとね


とまぁ、歴史の話は置いておくとして、今年の正月にお年玉を配りながら感じた素敵な感覚を覚えておきたいなと思います。


お年玉が、現代の文化として当たり前のものになってから何十年も経過しているので、これを読んでいる人は、最低でももらう側は経験しているはず。


お年玉をもらえた理由って覚えてますか?


良い子にしていたから?
お手伝いしたから?
勉強頑張ったから?


はい。
お年玉をもらうのに理由なんて無いことの方が多いですよね!


子供だから。
親族だから。
両親の友達と顔を合わせるから。

そうです。
これらを一括りにすると、そこに「存在」していることがお年玉をもらえる理由になる。


これって素敵なことですよね!
何か良いことをしたからもらえるんじゃない。


存在そのものに対してもらうことが出来る。


つまり、親から子供に対する”無償の愛”みたいなものを形にした文化なのかもしれないなと感じるわけです。


日常生活を送っている中では、
自分の子供でも無ければ「ここに居てくれてありがとう」と伝えることも、感じることもあまり多くない。


だけど、お正月だけは存在そのものに価値があって、お年玉という形で大人から子供に「居てくれてありがとう」が伝えられていると思うと何だかすごくホッコリします。


こんな気持ちでお年玉をあげられたら素敵なことだと思いませんか?


これから渡すよ〜って人がいたら、
ぜひ、言葉も添えて渡してあげてください。

じゃ、またね〜

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