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パスオーバーってやつ。

 ユダヤ人の恋人ができた。いきさつはまた今度書こうと思っているのだけど、今日は何となくぼんやり思っていることを書きたい。先日、彼に今日と明日は実家にいないといけない、と言われて、何があんの?と聞いたら、パスオーバー…とボソッと言われたのだけど、調べてみたら彼らにとってめちゃくちゃ重要なイベントということを初めて知った(読み返してアレと思ったのだけど、もうほぼ一緒に住んでるので一応断りを入れられたのね)。

 「パスオーバー」とググると日本語でもそれなりに記事が出てくるのだが、今年はそのイベントが今日~だそう。Wikipediaによると「エジプトの地で奴隷になっていたイスラエルの民が、モーゼの先導でパレスチナの地に脱出した故事を記念する」ものらしい。

 私は彼がユダヤ人であり、それに対して相当のプライドを持っていることも理解しているつもりだった。私はカトリック教徒なのでお互いの宗教観が相容れないことや、彼の宗教に付随して食生活も全く合わないことも分かっていたし、というかそもそも彼は信仰深くないしそれよりもスピリチュアルに傾倒していると言っていたから、あまり気にしていなかった。会ってすぐお互いの信仰が相容れないと分かって(というか、アプリで知り合ってお互い明記していたので分かっていた)、自分の祖先は迫害されてもそのプライドを守り抜いてきたので変えるつもりはない、と彼に言われた時に、それは私も変えるつもりないしお互い様、で終わらせたのは、全然理解が足りなかったなと今思う。

 このパスオーバーが何をするイベントなのかいくつかのブログ記事を読んだだけで、彼がどれだけスピリチュアルに傾倒していても、ユダヤ人としてのプライドが幼い頃から形成されているんだなということを感じた。詳しく聞いてないので想像だけど、恐らく末っ子の彼がずっとこの役をやってきたんだろうなと。

パスオーバーを祝う理由などについては、参加者の中の一番年少者〈通常一番若い子供〉が、ヘブライ語で朗誦しながら、「どうして今晩はいつものと違うの」に始まる4つの質問に父親が答えるという形で説明されていきます。

https://www.scarsdalemura-kara.com/passover.htm

   と、ここまで書いて、1時間ほど友人とメッセージのやり取りをしていた。彼もユダヤ人(言われるまで知らなかった)で、友人たちとのディナーが今終わった、疲れた、とこのイベントについて話していた。私がユダヤ人としてのプライドについて聞いたら、彼は、特に信仰深いわけじゃないけど、実は心の奥底では誇りに思っているよ、と言っていた。

 友人との会話でも旧約聖書は知ってるよ、と話したが、私はそもそもカトリック教徒であり、中高もミッションスクールに通っていたため聖書には馴染みがあるので、その辺に関しては多少なりとも共通する知識があって良かったなぁと思う。いや、良いのか悪いのか分からないけど、多少なりとも言っていることは理解できる、という感じか。

 そういえば、私が高校卒業時に学校から送られたクロスのネックレスをしていたら、彼にそんなの今までしてたっけ?と指摘された。特に意味はないんだろうけど、言及するんだな、と思った。私も毎週教会に行くほど信仰深くないし、それでもそれなりにプライドはあるけど、彼とはまたちょっと意味合いが違う気がする。

 何となくぼんやり思っていたことを書こうと思っていただけなのでオチはない。本当は、宗教は違えど、共通する部分があるとか、彼とコミュニケーション取るために、学生時代ちゃんと英語を勉強してて良かったなぁ、とかそういうことを書こうと思っていたのだけど、まぁ良い。36年間、またNYに4年いても全く知らなかったこのイベント、非常に重要ということを今日学んだ。知らないことを知っていくのは楽しい。新しい発見と驚きの毎日、まだまだ続きます。

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