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経験と感情の再生産性

先日は有料記事とはいえ、実にお見苦しいものをお見せしてしまった。
実のところ、当事者が見れば怒り狂って
「家の恥」
だのなんだのと言いだすことは想像に難くなく、それも時間の問題だとも思っている。
しかし、ものすごく正直に言えば、今回この件をオープンソースに乗せたことで、わたしにとっては大きな気付きのきっかけとなり、決して悪いことではなかったと思うのだ。

多様化する社会と普遍性のバランスを考える

昭和のように、夫が夜まで働き妻が専業主婦となって家を支え、子どもは3人、なんていうものが大勢のスタンダードだった時代は終わり、令和4年の現代日本では、働く時間にはじまって、結婚するしない、子どものありなし、趣味嗜好から何から同じ人間など誰一人としていないほどの多様性が広がっている。
(社会をかたちづくるために働いているはずの議員や政治家が未だ昭和の幻想の中にあることは甚だ遺憾であるが)
昭和の時代に蔓延した「これが唯一の幸せのカタチ」という幻想によって救われる人間が誰もいない世界になっているが、逆に昭和の時代には、多くの人にとって共有することができる「普遍性」を見つけやすくもあった。
多様化が進んだ今では、多くの人が納得できる普遍的なものを見つけるのがたいへんに難しくなっている。そもそもそんなものがあるのかとさえ思うくらいに。

それでも、これからの社会や教育、世界の在り方について語るときに、一定の「普遍的なもの」の存在をよりどころにして話を進めなければならない場面はあるだろう。ひとの暮らしが細分化された現状で、多様性の中に普遍性を見つける、という作業が、つまり必要になるわけだ。
ただ、ひとりの人間が経験できる人生はやはり一人分でしかなく、身近な人や、あるいは研究対象からサンプルを集めるにしても、属する集団から派生する偏りがあることは否めない。
どこまでいっても、普遍性にたどりつきそうでたどりつけない、といったことが、あらゆる場面で往々にして起こる。

今私がnoteを書いているように、そしてTwitterやInstagram、Facebookでみんながやっているように、今や誰しもが自分のプライベートな出来事や心の内を文字や写真として表現するようになっている。
これは、多様性の中から普遍性をみつける作業をする上で、とても恵まれた環境だと考える。つまり、自分では体験し得ない出来事や、それを体験した時の感情まで含めて、ひろく拾い上げることができるし、追体験することがとても容易である、ということだ。

これは実はすごいことで、(まぁ、googleとかターゲッティングとかブラウザの向こう側で余計なことをされない限り)わたしたちは、あらゆることを「経験し、感じる」のと等しい体験を得ることができる。
これは、多様性の中から偏りのない普遍性を得るための、素晴らしい環境だと思う。

感情と体験を資源化する、情報発信という行為

ここで、私が直前に上げた記事について考えてみる。
私が受けたことは、あくまで家庭内のことであり、私の感情はただ私が感じただけのものにすぎない。
しかし、私がそれを「書き記す」こと、そしてそれを「発信する」ことで、体験も感情も、誰かが追体験しうるものに変化した。
これは、体験と感情を資源化した、と言い換えることができる。

そして私が体験や感情を資源化したことで、それを追体験した誰かが、
たとえばジェンダーロールの問題点について考えるきっかけを得たり、
たとえば世界的な課題となっている日本の男女の不平等の改善につなげてくれたり、
たとえば自分と同じ思いをする人間を減らす根拠にしたり、
たとえば自分の中に押し込めていた感情を解き放つスイッチを得ることが出来たり、するかもしれない。

私がこの体験や感情をひとりで抱え込み、身近な人に愚痴るだけなら、それは精神衛生を汚染するだけの病原菌でしかない。
書き記し、資源にすることで、私の体験と感情は、世界をより良くするための材料になる可能性、再生産性を得た

ああ、書いていいんだ。
私は私が体験したことを、感じたことを書くことで、世界の役に立てるんだ。

実はこれで、初めて自分の情報発信に意味を見出すことができた。
ポジティヴであれネガティヴであれ、いつか誰かの役に立つ可能性がある限り、体験や感情を「資源」にしておくことは世界に対するメリットでしかない、という確信を得たことによって、私は、私的なことを通じて自分の意見を表明することに付きまとい続けた後ろめたさから、やっと解き放たれることができたのだった。

多様性の中に普遍を生むための、情報発信のすゝめ

結論として何が言いたいかというと、まぁ、だからみんな、書こうよ、ということだ。
言語化し、それをみんなの目に触れる場所に乗せることは、面倒くさいし大変な作業だし、誰かの評価を見て凹むことにもなるかもしれないけど。
書いて、記して、資源化すれば、それがいつか、世界の普遍性を考える時の材料になって、世界を良くしてくれるかもしれないから。

普遍性。だれにとっても当てはまり、時代によって評価が変わることが少ない、大事な考え方。
自分がその普遍性の中に入るためには、多様な人間のひとりとして、情報発信をして体験と感情を資源化し、共有したほうがいい。

拾い上げてもらうのは、今じゃないかもしれないが、webの海にある限り、いつか、それは誰かにとって、大事な資源になるはずだ。

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