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品田遊『止まりだしたら走らない』の感想文(ネタバレあり)



 ネタバレのない紹介文はこちらから。↑



*以下は、ネタバレありの感想になります。作者への言及もしています。ご注意ください。




 純粋でロマンチックな作品、先の紹介文でそう書いた。自分は、純粋な視点からなんとなく感じた懐疑を、わざわざ言語化して人にぶつけはしない。それは、言うほどのことではないという遠慮からだったり、人との適切な距離感を保つためだ。気軽に伝えることができるような他人がいるのなら、すばらしいと思う。


 たとえば、『苺に毛穴』のように、些細な思考(に一見思えること)を口に出せば、「なんだよ、それ」と笑われてしまうかもしれない。しかし、この短編では、理解しない人間に別れを告げることはない。突き放すのではなく、包容し、受け止める。あるいは、折り合いをつける。現実、人間はそうやって生きている。


 短編集は、個々の些細な言うまでもない思考を肯定している。こんなこと考えるよねということだったり、反対に、自分が考えもしなかった視点が新鮮に表現されていたり。巧妙に言語化された感覚に頷きつつ、登場人物は、自らの共感者となる。うまくリードされ、最後には解きほぐされる。

 『春』では、成長過程の思考を描いている。社会をみつめ、斜に構えだした友人との関わり方に戸惑う少女。思春期、変わっていく周りの友達に、自分も変わらなければならないのかと不安に揺れている心をスカートの丈とともに表している。思春期の心の変化は、多くの人が体験しているだろう。しかし、何も変化しないという人だっている。彼女たちの異なる春は、悩んだ末にどこかで折り合いをつけ、こうしてまた友達としてやっていくのだろう。

 かと思えば、『露出狂』のように通常の思考回路でない人間も登場する。透明人間のような孝太郎が、唯一存在を確かめられる犯罪行為、露出。そんなところまで思考を及ぼすことができるのか。たしかに、前半のモブのような扱いを受ける彼の心情は理解できてしまう。「正気でない振る舞いを、理性を持って続ける人間」。たしかにそうだ、正気でない振る舞いは、理性ある人間にしか続けられない。悪いことであるのを自覚しつつ、あえてやっている。彼には、ブレーキをかけるものが存在しなかった。異端者も、この路線に内包される歯車の一つだった。

 また、『アンゴルモアの回答』もイレギュラーだ。この短編には、巧妙なトリックがある。「嘘」だ。これには、著者・品田遊の「ありそうでないこと」をそれっぽく、説得力を持たせる能力が光っている。

口を開けて待っていれば、誰かが美味しい餌、栄養のある餌を放り込んでくれると思っている。

 純粋に世界を信じてきたという主人公。ノストラダムスの予言を契機に、のち、暗い趣味に耽ることとなる。主人公は広大なネットの海をすこしだけ汚すことに精を出す。彼の嘘は史学上残り続けるのか?そんなことはおそらく、ないだろう。漠然と「世の中ってこういうことだろ」という一種の諦念が表れている。おそらく、というのは、本当の本当にそれが「正史」となる可能性も秘めているからだ。

 この行為は、とくに悪だと断じられるでもなく続けられる。そして、彼を目で追っていけば、最後には口を開けて待つ愚かな魚は自分だったと気づくのであった。傍観して笑っていると、文中に突然引き摺り込まれ、主人公に「あなただ」と指を刺される。してやられた。


 この作品では、大事件を解決するために登場人物が駆けずり回るようなことは起こらない。人間の思考回路に殊更注目しているからこそ、表面上では平静だ。
 そんな中、新渡戸先輩の思考は、終始かき乱れていたことだろう。私たちがそれに気づかされるのは高尾山に到着してからだ。


二重にちなんでて、うまいあだ名だよ
自分は探偵じゃなくて、犯人だと思うよ

 そして、かならず新渡戸先輩から都築に語りかけているという構図。

 このように、各所に散りばめられた心が、最後の最後に浮かび上がってくる。小説ならではのギミックに、鼓動が早まった。甘酸っぱく、ロマンチックな情景に心臓が掴まれる。

好きだよ

 山登りを指しているのではない。新渡戸の数秒の沈黙には、無数の思考が隠されている。平然と屁理屈を並べ立てていたわけではない。もちろん、生来の性格もあれど、「もっと話したい」「あわよくば、自分のことを好きになってくれればいいのに」という動機で話題を探し問いかけ続けているところに、微笑ましさすら感じられるようになる。

 我々はようやく「新渡戸先輩」という変わった人としてではなく、身近で等身大の姿を、心情を、投影することができるようになった。ラスト、そのいじらしさは肯定されたのか定かではない。しかし、回りくどく、用心深く嘘を張り巡らせてでも、彼に想いを伝えることそれ自体が新渡戸の大きな一歩だったのだと思う。


私以外の子たちも、みんなみんな「考えている」!
乗客たちの全員が電車に乗るべき理由をそれぞれ持ってるってことが、とんでもないことみたいに思えるんだよね。


 新渡戸は、著者・品田遊でもあるのではないか。みんなが「考えていること」が不思議だという人間への純粋な興味が詳細な観察へとつながり、このストーリーを生み出しているのではないか。

 この人はこんなこと、考えているんじゃないか。あの人は……。そして、自分なら……。「わからないこと」に対して向き合い、自分なりに昇華させる。

 だとすれば、やはりこの作品は純粋でロマンチックだと思うのだ。



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