片羽の鳳凰は青藍の空を恋う 第14話


 ランと引き離された皓皓コウコウは目隠しをされて何処かに運び込まれ、拘束を解かれたのは、薄暗い牢屋の中でのことだった。
 道中聞こえてきた、エンの臣下の話の断片から予想する限り、どうやら此処は皇宮おうきゅうの地下にある牢らしい。
 鉄格子の間から周囲の様子を伺うと、六つある独房のうち、人がいるのは皓皓のいる此処だけのようである。
 
 気掛かりなのは藍のことだ。
 藍は思惑おもわく通りの形で宛と対峙し、間違いを正すことが出来るだろうか。
 叶うことならそれを見届けたいが、自力で牢を脱出するすべは見付かりそうにない。
 物は試しと、鉄格子を揺すったり叩いたりしてみたが、びくともしなかった。
 おまけに、宛の指示で鳥籠の首飾りを取り上げられてしまっている。
 これでは外に出られたとしても遠くまでは行けないし、万が一の時、紅榴山こうりゅうさんの宮でそうしたように藍を連れて逃げることも出来ない。
 一体どうしたものか。
 
 外の見えない牢の中では時間を測ることも出来ず、どれくらいの時が経ったのかもわからないまま、皓皓はただ膝を抱えていた。
 かつん、かつん。
 閉じた空間に大きく反響する足音が聞こえ、顔を上げる。
 誰かがやって来た。
 その人物が皓皓のいる独房の前に立つと、捧げ持たれた蝋燭の小さな明かりで、ぼんやり顔が照らし出された。
 
「……あなたは、」
 
 見覚えのある顔。
 今は遙か昔のことのように感じられる里での市の日、宛に絡んできた男を投げ飛ばした、宛の従者の青年だった。
 確か名前は――そう、鷹順ヨウジュンだ。
 
「おまえに聞きたいことがある」
 
 あの時、決して自分からは話し掛けてこなかった彼が、わざわざこんな所まで皓皓を訪ねて来たことに驚く。
 この暗さで表情はよく読めなかったが、皓皓には、彼が努めて沈着をよそおっているように見えた。
 
スウ様を殺したのは、本当に藍皇子なのか?」
 
 か細い声だった。
 
「違うと言って、あなたは信じるの?」
 
 皓皓が尋ね返すと、黙り込んでしまう。
 
「あなたは、本当は、宛様がしたことに気付いているんじゃないの?」
 
 問い詰める皓皓に、鷹順がとうとう口を開いた。
 
「おまえが一人でも変化出来るという秘密。それを宛様にお伝えしたのは、俺だ」
「あなたが?」
「紅榴山の宮の使用人の中には、我々の手の者を忍ばせてある。
 あのひと月の間、その者におまえたちの様子を観察して、逐一、報告するように命じていた」
「じゃぁ、やっぱり、あの夜……」
「おまえが藍皇子を宮の外に連れ出すのを、その者が追い掛けた。其処でおまえが一人でも鳥の姿取れるわけを知り、俺がその報告を受けた」
 
 推察は大体のところで当たっていた。
 皓皓の秘密が漏れるとしたら、あの夜以外にはありえない。
 改めて自分の軽率さを悔いる。
 でも、あの夜宮を抜け出さなかったら、皓皓がこれ程藍と心を通わせることはなかった。
 
 藍がどう思うかはわからない。
 芻の命と引き換えにしてまで手に入れるべきものではなかったかもしれない。
 ただ皓皓にとっては、あれははかけがえのない夜だった。
 
「宮の者から知らされた事実を俺がお伝えすると、
 宛様は『そのことは、決して他言しないように』とおっしゃった。
 『一つ間違えれば、それはこの国の理を揺るがすことになるかもしれないことだから』と。
 俺はその指示に従った。そして、あの朝……」
 
 芻が、殺された。
 
 幼い頃から誰より側で宛に仕えてきた鷹順は、その因果関係に思い至ってしまった。
 
 芻を殺したのは、本当は、藍ではないのでは?
 宛が皓皓と同じ力を手に入れるため、芻をその手に掛けたのではないだろうか?
 
 鷹順の疑念を払拭するかのように、芻が死んだ後も、宛が一人で変化出来る力を得ることはなかった。
 やはり宛は芻を殺したりなどしていない。
 安堵するかたわら、一度生まれた疑いは彼の中でくすぶり続けていた。
 
「……俺には、どうしても、藍皇子が芻様を手に掛けるとは思えなかった」
 
 鷹順の苦渋の告白に、皓皓は深い共感を覚え、胸を詰まらせる。
 宛に仕え、藍には良い顔を見せなかった彼にさえわかる程、藍は芻を愛していたのだ。
 
「それでも、俺は宛様を、信じ続けたかった。
 おそれ多い妄想を抱いた自分をりっして、宛様にお仕えし続けることが出来れば、それで良かったんだ」
 
 真実を察しながら、それを確かめることも暴くこともしなかった彼を、皓皓には責めることが出来ない。
 
 彼はただ信じたかっただけなのだ。己が身を捧げた主君を。
 
「でも、なら、どうして今更?」
 
 見て見ぬ振りをするならば、最後まで貫かなければ意味がない。
 それが何故今頃になって、人目を忍ぶようにしてまで皓皓に確かめに来たのか。
 
「俺の対の片割は、側近として芻様にお仕えしていた。それが、芻様がお亡くなりになった後……
 主をお守り出来なかった己を責めて、殉死した」
 
 芻が自らの従者を「鷹恭ヨウキョウ」と呼んでいたことを思い出す。
 彼が鷹順の対の片割だったのか。
 
 皓皓から鷹順に掛けてやれる言葉など有りありはしない。
 形こそ違えど、片割を失った痛みはよく知っている。
 
「正直、まだ迷っている。
 このまま宛様への忠義を貫くべきか、片割の無念を晴らすため、事実を突き止めるべきか」
 
 それを迷っている時点で既にもう、彼は辿り着いている。
 知りたくはないだろう。だが、彼も真実と向き合わねばならない。
 
「本当は、ただむなしいだけなのかもしれない。
 おまえの片割の魂は今もお前と共にあるというのに、芻様の魂は宛様の元にはなく、俺の片割も……恭も、此処にいない」
「あなたの対の相手の方は、神の元にかえったのだと思う。
 傍にはいなくても、あなたがその人を想う時、その人もあなたを見守ってくれているはずだ」
 
 鷹順がのろのろと顔を上げた。
 向けられた眼差しは弱々しく、初めて会ったあの日の、警戒心をあらわにした刺々しさは欠片もない。
 
「でも、芻様は違う。芻様の魂は、宛皇子と共にない」
「それは、つまり」
「芻様を殺めたのは、宛皇子だ」
 
 長い躊躇ためらいの後、鷹順が着物の袂から三つの物を取り出した。
 一つは牢の鍵。
 もう一つは、皓皓の片割の遺骨が入った、鳥籠の銀細工。
 最後の一つは、腕輪。皓皓も見覚えのある、藍の目と同じ色の宝玉の腕輪だ。
 
「芻様のご遺品だ」
 
 皓皓は袖をまくり上げ、二の腕に結んであった赤い飾り紐を解いた。
 国境を越える前、この国では目立ち過ぎるからと、着物の中に隠れる位置に巻き直してあったのだ。
 其処には今も、藍色の玉が揺れている。
 
 鷹順は牢の鍵を開けると、鳥籠の銀細工と、芻の腕輪を皓皓の手に握らせた。
 
「頼む……終わらせてくれ」
 
 血の滲むような声で、鷹順は言った。
 
 
 
 皇家の陵墓りょうぼは、皇宮から離れた、皇都おうとの外れの丘の上にある。
 牢を脱出した皓皓は鳥の姿に変化して、一直線に其処を目指した。
 相方は、この手に戻って来たばかりの、亡き片割ではない。
 
「人と一緒に飛ぶのって、こんなに疲れるものだっけ?」
 
 目的地に辿り着いて変化を解くと、思わずへたり込んでしまう。それ程疲弊していた。
 一緒に飛んできた鷹順も同じくぐったりとしている。
 
「片割以外の人間と飛ぶ為には、相当息を合わせる必要がある。こんな無理をすることは、普通、滅多にない」
 
 言われてみれば、子供の頃、たわむれに鷺学ロガク鷺朔ロサクと共に空を飛んだ時も、なかなか上手くいかず、何度も墜落しそうになったものだ。
 長い間、亡き片割としか魂を重ねてこなかったせいで、忘れかけていた。
 
 息を整え、なんとか立ち上がれるまで回復した所で、鷹順と共に目的の物を探し始める。
 よく目立つそれはすぐに見付かった。
 ずらりと並ぶ石碑の中に一つだけある、真新しいもの。
 
「此処が、芻様のお墓?」
「そのようだな」
 
 通常、皇族の陵墓は一般の出入りが禁じられている。
 それは鷹順でも同じらしく、だから彼にとって、これは宛や皇家に対する裏切りだ。
 それでも、彼は皓皓について来てくれた。
 全てを終わらせるために。
 
「芻様のご遺体は火葬されずに、土に埋められたんだよね?」
「そう聞いている」
 
 チノや、火の神から聞いた話によれば、死者の魂が肉体を離れるためには、その人間に相応しいとむらわれ方をされなければならない。
 半分麒麟きりんの血が流れているとは言え、芻は火の神の力を授かった鳳凰之国ほうおうのくにの人間だ。
 その魂も、土葬されただけでは肉体から解放されていないだろう。
 おそらく、芻の魂はまだここにある。
 
「探せるのか?」
「わからない……でも、芻様なら……藍のためなら、応えてくれると思う」
 
 鷹順の問いにそう答え、皓皓は、芻の腕輪から外した宝玉の一つを口に入れる。
 『皓』の遺骨をそうするように、奥歯でそっと噛み締めた。
 
(お願い、芻様)
 
 火によって清められていない肉体から、死者の魂を連れ出す。
 皓皓には出来るはずだ。死者と魂を重ねることに慣れた、皓皓なら。
 
 目を閉じ、耳を澄ませ、必死に祈り、芻の魂を探る。
 ふと、冷たいものが背筋を撫でた。
 何かの気配がする。
 芻ではない。冷たく、怨嗟えんさに満ちた視線。
 陵墓に眠る無数の死霊が、不届きな侵入者を見詰めている。
 
 怖い。
 
 祈るのを止めてしまいそうになった皓皓の耳に、声が飛び込んだ。
 
――頼む。
 
 皓皓を呼ぶ、必死な声。
 
――俺が負けないように、支えてくれ。
 
(藍!)
 
 心の中の彼に向かってがむしゃらに手を伸ばす。
 次の瞬間、温かいものを掴み取った。
 
 目を開けると、皓皓は、陽だまりのような金色こんじきの光に包まれていた。
 
(芻様)
 
 皓皓の中に溶け込んだ芻の魂が、応えるように力強く羽ばたいた。



 普段は皇宮を警備する兵たちの演習場。
 其処は今、人払いがなされ、二人の皇子のための決闘場となっていた。
 空はどんよりとした鈍色にびいろで、不穏な気配を放っている。
 真冬の冷たい空気に、剣を握る手がかじかみそうだ。
 
「両者、覚悟はよいか?」
 
 弟皇ていおうは「準備」ではなく「覚悟」と、そう言った。
 藍と宛がそれぞれ頷いたのを見て、兄皇けいおうが手を上げる。
 
「では……始め!」
 
 その一声に、宛が剣を振り上げた。
 振り下ろされた切っ先が藍の肩をかすめる。
 返しざま、藍は剣を横にぐ。
 体を後ろにらして避けた宛が、驚いた顔で藍を見た。
 
 幸いにも大きな戦に見舞われていないこの国において、皇子が剣を振るう機会など、儀式の場の見世物でしかありえない。
 紅榴山の宮からほとんど出たことのない藍に、決闘など無理に決まっている。
 皓皓はそう案じていたようだが、人を相手に戦ったことがないという点においては、実は、宛とて同じなのだ。
 
 皇家の男児のたしなみとして、宛は剣技の稽古を受けている。
 だが、それが児戯じぎに等しいものであると、藍は知っていた。
 皇宮に仕える臣下たちが、ほんの少しでも皇子を危険な目に遭わせるわけがない。それは、宛に剣技を教える教師でさえ。
 
 一方で、そんなままごとのような技術さえ、藍は持ち合わせない。
 しかし、たった十数日の短い間だけ、本気の稽古を付けてもらったことがある。
 狼狽之国ろうばいのくにから皇都へ向かう旅の間、毎朝、藍はチノに剣の扱い方を教わった。
 チノの稽古は手加減こそあれ容赦はなく、何度も手足を打たれ、腹を突かれ、掌の皮が剥けるまで剣を振るわされた。
 長い年月を鳥籠のような宮に閉じ篭って過ごしてきた藍は、体力も腕力もいちじるしく低下していた。
 チノはそれを見越した上で、剣の稽古以外でも、藍に荷物を背負わせ、馬に乗せずに歩いて旅を続けさせたのだ。
 
 毎日懸命に働いている民や、鍛錬を欠かさない兵たちにはおよぶべくもない。が、あの短くも色濃い日々の中で、藍は格段にたくましくなった。
 宮に居た頃の藍しか知らない宛には、思いもよらないくらいには。
 
 だから、宛が油断している間に勝負を決めなければならない。
 動揺して構えを崩した宛のふところに、藍は躊躇わず飛び込んだ。
 藍の剣が、宛の剣をはじく。
 きぃん、と高い金属音をたてて石畳に落ちた刃を、すぐさま足で押さえ付ける。
 
 それもチノに教わった心構えの一つ。
 相手の戦う意志を完全に砕くまで、ゆめゆめ油断してはならない、と。
 
 これで宛は完全に得物を失った。
 
「勝負あったな」
 
 弟皇が立ち合いの終わりを告げると、全身からどっと汗が吹き出す。
 情けないことに、たったこれだけのことで息が上がりきっていた。
 しかし、勝ちは勝ちだ。
 驚愕に目を見開いたまま立ちすくむ宛の顔が、みるみるうちに色を失っていく。
 
「こんな、こんな形で、罪の在り処が決まるのか?
 何が『勝利は常に正しい者の上に』だ!」
「宛」
 
 弟皇が落ち着き払った様子で、宛をいさめる。
 
「おまえは決闘を受け入れた。その結果はくつがえらない」
「暴力で相手をじ伏せた者が正しいだなんて、そんな理不尽がまかり通るなど、許されるわけがない! そうでしょう?」
 
 宛がすがるように兄皇に訴える。
 だが、此処へきて、彼の父は冷静だった。
 
「見苦しいぞ、宛。おまえは負けたんだ」
 
 宛の顔に絶望が浮かぶ。
 藍はそっと、従兄から目をらした。
 
 勝敗は決まった。
 藍の主張が認められ、宛の言い分は取り下げられる。
 決闘とはそういうものだ。
 
 弟皇も、兄皇も、受け入れた。
 そんな中、ただ一人。
 
「宛の言う通りです!」
 
 異を唱えたのは、兄皇后けいこうごうだった。
 夫である兄皇の腕にしがみつき、震える指を藍に突き付ける。
 
「芻を殺めた罪が、こんな形で許されていいはずがありません。
 私の芻を、貴方の娘を殺した忌子いみこが、この場にのうのうと生きているのですよ!」
 
(ああ、結局、そうなのか)
 
 忌子とうとまれた自分を今まであわれみ生かしてくれた兄皇后への感謝が、信頼が、音を立てて崩れていく。
 その程度。
 そう、所詮しょせん、彼女にとっても、藍はその程度の存在。
 体から力が抜け、手の中から剣が滑り落ちる――その前に、藍は柄を握り直した。
 
 まだだ。まだくじけるわけにはいかない。
 
「俺は、芻を殺していない」
 
 叫ぶ。
 たとえ忌子とののしる声に搔き消されようと、何度でも。

「俺は、芻を殺さない。絶対に」 

 突然。
 藍の揺るぎない意志に呼応するように、空の雲が裂けた。
 
 そして、細く差し込む光と共に現れたのは、一羽の鳥だった。
 神々しく、美しく、陽の光で染めたような金色の鳳凰。
 
 その意味がわからない者は、この場にはない。
 誰もが空を仰ぎ、その姿に息を呑む。
 宛は中途半端に口を開き、突如現れた鳥を見上げた。
 
「芻?」
 
 最初に呼んだのは、兄皇后だった。
 この国でたった一人、芻だけが持つ羽の色。
 母である彼女は、それを見間違えない。
 金色の鳥は一同の頭上を大きく旋回すると、ゆっくりと兄皇后の元に降り立った。
 頭を寄せ、母に頬擦りをする。

「芻なのね?」
「芻? 本当に?」
 
 兄皇が怖々と手を伸ばす手を静かに受け入れ、頭を撫でられた鳥は目を細める。
 ひとしきり二人への親愛の情を示した後、首を巡らせ、金色の鳳凰は決闘場に立ち尽くす藍たちを見た。
 
「芻。芻。芻!」
 
 自失から覚めた宛が藍を押し退け、両手を広げる。
 
「来てくれたんだな! 真実を告げるために。僕の正しさを証明するために!
 さぁ、おいで。僕の愛しい片割!」
 
 くるりと丸い宝玉の瞳が、宛の泣き笑いの表情を映して、悲しげに揺れた。
 
 鳥は、真っ直ぐに藍の元へやって来た。
 その胸の中に飛び込むように。
 
(藍)
 
 聞こえるはずのない彼女の声が、聞こえた気がした。
 
 兄皇が息を詰め、兄皇后は溜めた涙が乾かんばかりに目を見開く。
 胸が詰まって言葉が出ない藍は、愛おしい彼女たちの首を搔き抱いた。
 
 いつだったか、芻が自分の髪の色を「この国の民らしくなくて嫌だ」と愚痴を零したことがある。子供の頃だ。
 その時、藍は、彼なりに一生懸命になだめ、なぐさめ、言葉を尽くして褒め称えるつもりで言った。
 
――俺は、嫌いじゃない。
 
 あの時素直に「好きだ」と言い切れなかったことを、今も後悔している。
 
「芻」
 
 赤い火よりも温かい、陽だまりの金色。
 何も恥じることはない。世界で一番綺麗な色だ。

 羽の色だけではない。
 君の全てが好きだった。

 この期に及んでまだそうと言えないひねくれ者を、ゆるして欲しいとは思わない。
 怒ってほしい。その燃えるような正義の心で。
 
 藍の想いに応えたのか、鳥がくちばしの先で、ちょん、と額を突いた。

 まるで、祝福の口付けのように。

 突然、背中から、体の中心を突くような衝撃に襲われた。

「……っ」

 藍の口から落ちた血の雫が、地面に染みを作る。

「宛!」

 兄皇后が叫ぶ。
 皆の驚愕の視線が集まる中――藍の背を剣で突き刺した宛が、笑い出した。

「はっ……はははははっ! ああ、やっぱり! やっぱり君はそうなんだね!」「宛、」
「芻。君は、君は……」

 宛の膝がくずおれる。

「いつだって、片割の僕より……藍を選ぶんだ」

 その時、ようやく藍は理解する。
 宛があんな凶行に及んだその理由を。

 ずっとわからなかった。
 宛だって芻を愛していた。それなのに、何故あんなことを? 宛には、芻が藍を愛することが赦せなかったのだろう。
 何よりも尊ばれるべき対の絆で結ばれた相手が、あるいは自分より他人を――それも、忌子とさげすまれる藍を選ぶ。
 それは嫉妬という言葉では言い表しきれない。宛にとっては耐え難い屈辱であったのだ。

「藍!」

 金色の鳥がけて、少女の姿が現れる。

「藍、藍! 大丈夫!?」

――馬鹿ね。

 皓皓に寄り添う金色の魂が、宛を見詰めて言う。

(本当に、馬鹿な奴だな)

――私は。

(芻は、)

 宛のことも、心の底から愛していたのに。
 
 ただ一人、あくまで冷静に、表情を変えずに顛末を見届けた弟皇が皆に尋ねる。

「異存のある者はいるか?」

 誰も応えない。それが答え。
 藍と宛の決闘は藍の勝利で幕を閉じた。

 とても一件落着と言える結末ではなかったが、宛の狂乱は結果的に藍の主張の正しさを裏付けることとなってしまった。
 捕らえられた宛は憔悴しきり、臣下の者たちに連れていかれる間、ずっと笑っていた。
 涙を零しながら。

 幸い藍の怪我はそれ程深手ではなく、応急処置だけ行った皓皓は、まもなく呼ばれて駆け付けた医師に後をたくすと、大慌てでその場を離れる。

「君は……」

 と、弟皇に呼び止められそうになったのを、不敬にも振り切って。
 その場に残れば根掘り葉掘り問い詰められることが目に見えている。
 藍にはすまないが、皓皓には皇たちからの詰問に耐えられる自信がない。

 ともあれ、藍の冤罪は晴れた。
 彼はこの後、皆の前で事の次第をつまびららかにすることだろう。
 
 

 皇宮の屋根を飛び越え、大神殿の上空を通り過ぎて、金色の鳳凰は元いた皇族の陵墓に降り立った。
 安堵と疲労に、皓皓は両羽を閉じる。
 
 終わった。終わったのだ。
 
 全身に硬く絡み付いた温もりがするりと解けるのを感じ、はっとした。
 芻の魂が、皓皓の体から離れようとしている。
 
(逝ってしまうの?)
 
 声にならない芻の肯定。
 変化を解く瞬間は、皆、こんなに寂しい想いをしているのか。
 魂の細い糸を手繰り寄せて、引き止めてしまいたくなる。
 
 完全に離れてしまう直前、芻の魂が皓皓を強く抱き締めた。
 顔を色からうかがうより、言葉を交わすより、もっと確かに彼女の意志が伝わってくる。
 
(そうか。もう、いいんだね)
 
 ある日突然、無理矢理に断たれてしまった生に、心残りは山程あるだろう。
 だが未練は感じない。
 彼女もまた、やりきったのだ。
 
 心は残していって構わない。愛しい人たちの元に。藍の隣に。
 ただ、魂は安らかに、神の元へ。
 
 芻は自分でそれを選べる、強い人だ。
 最後に皓皓の頰を撫でるようにして、芻の魂の温もりは空に溶けていった。
 
「逝かれたのか?」
 
 二人の帰りをずっと待っていてくれたらしい鷹順が、芻の石碑の裏から現れる。
 
「うん。肉体を火で清めるまでは、神の元へは還れないらしいけれど」
「遠からぬうちに進言しよう」
 
 墓を暴くことに抵抗はあるだろうが、芻はきちんとした形――鳳凰之国のやり方で弔われるべきだ。
 鷹順はそれを約束してくれた。
 
「……肩の怪我」
「え?」
「おまえの肩を、射っただろう。あの怪我は、もういいのか?」
「ああ。うん、もう、すっかり」
 
 そう言えば、あの矢を射ったのは鷹順だったか。
 
「すまなかった」
 
 言われなければ忘れていたようなことを律儀に謝る鷹順に、皓皓は小さく頷く。
 気にするな、と言えない。でも、肩の傷はもう痛まない。痕は残るだろうが、それで彼を恨みはしない。
 そういうことだ。
 
 火の神が持つ熱の元、怒りによって理不尽と戦うのが、鳳凰之国の民。
 皓皓たちには、チノたち狼狽之国の民のように、悲しみや苦しみを風に飛ばしてしまうことは出来ない。
 それでも、火もいつかは燃え尽きる。
 そうして後に残る白い灰は、軽々と空に舞い上がることが出来るだろう。
 
 藍にも早くそんな日が訪れるといい、と思う。
 
「あなたは、これからどうするの?」
 
 これから、宛は芻を殺した罪を問われ、むくいを受けることになる。
 片割を手に掛けた大罪は決して許されない。
 死罪をまぬがれることはあっても、皇子の座に舞い戻ることは不可能だと思った方がいい。
 彼に仕えてきた鷹順も、今のまま立場でいることは出来ないだろう。
 
「俺は宛様の従者だ。それは、一生変わらない。たとえ片割を亡くしても、な」
「そう……」
 
 それが彼なりの、けじめの付け方なのかもしれない。
 
「おまえこそ、どうするつもりだ?」
 
 逆に問われ、皓皓は思いを巡らせる。
 
「僕は……」
 
 故郷に残してきたものがある。
 空けっ放しの山小屋が心配だし、久しぶりに養父母や、片割の墓参りをしたい。そこに亡骸なきがらはなくても。
 
 鷺学たちのことも気掛かりだ。里はあの後どうなっただろう?
 藍の訴えが届き、国のあり方を改めていくにしても、流行り病の終息にはまだまだ時間が掛かる。
 厳しい冬はまだ半ば。診療所はこれから、更に大変な時期を迎えるに違いない。
 決別したとは言え、皓皓に出来ることがあるなら手伝いたい。
 
 事の次第を報告するという、チノとの約束もある。
の無事を伝えたかった。いつか落ち着いたら、また藍と共に狼狽之国を訪ねてもいいかもしれない。
 
 でも、目下のところは。
 
「取り敢えず、藍を迎えに行かなくちゃ」





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