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大人に見透かされていた本音

言葉は時に人生の道しるべを示すものになります。
ひとそれぞれシーンが違っても、その言葉の断片を理解したとき、一歩また一歩と前へ進むための助けになります。


1. スカウト


高校のとき、バンド活動していた。卒業後、バンドのメンバーからは「まだ続けよう」と言ってくれたのだが、その頃、自分は芸能事務所に所属していたため、事務所の許可が必要だった。一緒にできないか相談したが「演技をがんばろう」のひと言で断念せざるを得なかった。所謂、芸能のたまごでラフォーレ原宿付近で声をかけられたのを切っ掛けに、半信半疑ながらも経験は多く積むに越したことはないと思い、その事務所に入る事にした。

あの頃はDCブランドが盛んなときで、バイトしたお金は新たな友人達と渋谷、原宿、表参道に行っては洋服に注ぎ込んでいた。そんな洋服を着ているとカットモデルやファッション雑誌の街中スナップなど色々声がかかり、その流れもあってか、街中で芸能関係の方から名刺を差し出された。
この頃、自分の周りでは同じように活動する友人とか、人気者であっても芸能を断り、我が道を行く友人など、何かしら夢をかたちにしようとしている方々の多い世界にいた。

2. レッスンの楽しさを味わう


最初のクラス

芸能のたまごでは演技のクラスは2クラスあって、最初は下のクラスからだった。レッスンを指導していた先生は50~60代位の方で、そのとき目にしてた世間の大人と外見はあまり変わらないものの、品と穏やかさを感じる方だった。演技を指導する内容はとても抽象的で感覚的な話が多かった。
初めて渡された台本は、演技の基礎中の基礎で有名な「外郎売」。
初回はレッスンに来ている方々の演技を観ている程度だったが、最後まで一貫して演技する方は2,3人で他は途中までだった。
自分はこの話を知らなかったから、興味本位の面白さから見様見真似で自分なりに自宅に居てはずっと読むなり声に出したら、全部がすんなり頭に入ってきた。

演技の練習2回目のとき、初だしで自分の出番となった。
高校の時のはっちゃけライブに比べれば自分のペース配分で初だしの視線も優しいだろうと少しの緊張で済んだ。演技の仕方もわからないから、あの時のライブのようにそれっぽい感じをやってみることにした。

「拙者、親方と申すはご存じのお方も…」から始まる言い回しから早口になっていく展開へ行きつくころは緊張よりもやっぱり楽しさが増して全てを読み上げた。
「もう覚えてきたの?」「楽しかったので…」これが先生から最初に頂いたコメントと自分の感想だった。その後、「次は周りに大衆がいると思って、視線を変えながらもう一度やってみよう」と言われ、言われるがままにまた同じようにそれっぽい感じでやってみた。
「はい、わかりました。」その言葉を最後に次の方の指導に移り、初回のレッスンが終わった。

上のクラス

その後のレッスンでは2,3回同じ事を繰り返してたら、上のクラスに昇格となった。上のクラスではレッスンを指導している先生は同じ。芸能のたまごでも実際に雑誌、CM、ドラマで活躍している方々と一緒に僅か数か月の自分が同じ土俵で指導される状況となった。
ここで渡された台本は「蒲田行進曲」。「外郎売り」と違って複数で各配役がランダムに決められた状態で演技が始まった。ひと言言うなら「全くレベルが違う。」っていうのが素直な感想で初回から台本片手に演技に入った。

シーンは銀ちゃんがヤスたちを連れてスキヤキ屋に行く場面で、蒲田行進曲の映画では使われなかったのだけど、このシーンはDVDで観る事ができる。

何の配役で自分が演技したのかは覚えていないけど、台本片手に自分は棒読みだった。銀ちゃん役とヤス役の勢いが増すに連れて、台本はぐしゃぐしゃになり、正座していた自分は演技している方々の勢いで吹っ飛ばされる始末でもう笑うしかなかった。

3. 楽しさだけじゃ超えられない壁


ある程度、演技のレッスンにも慣れた頃、多くの雑誌、CM、ドラマのオーディションを数えきれないほど、受けては落とされの日々を過ごしていたが、総じて、いくつかの雑誌、CM3本と少しずつ実績を積んでいた。しかし、自分の意思は「居場所はここではない」と感じる強さが日に日に増して、現実と精神が剥離していった。

挫折

日に日に増す演技の指導で特に印象が残っているのは「間」と「役の入り方」に焦点されたが、全く理解ができなかった。

  • 「間」を意識する

  • 身体に付いている世間、趣味、概念、考え方、自分自身を一旦綺麗に外して何もなくなった自分に自然の流れを取り入れ、取り入れた流れはすぅっと手や足元から抜けていく。

「何が正しくて何が違っているのか、次はこう言うのではどうなんだろうか」とその事ばかりを気にしていた。やっぱり、ひと言「演技が計算高い」って言われた。このジレンマに陥ると当初の楽しさはどこかに吹っ飛び、演技をすることに怖さを覚えて演技のレッスンも休みがちになってしまった。
もう見透かされていた。

興味あるときは誰よりも夢中になるが、興味を失った時点でずぼらになる。それを超えないと役をものに出来ない。

これが先生から休みがちだった自分に言われた最後の言葉だったと思う。
手前で言われた言葉は正に「熱しやすくて冷めやすい」自分そのものの特徴だった。役は憑依的な感じで「間や仕草、表情はセリフのない言葉で、そこから自然に発せられるセリフは役に入り込んだ言葉。」と社会に向かうとき、自分なりにそう解釈した。

好きに多くを語るも理由もいらない

「役者ではなくても身体から発せれらる気持ちはその人の雰囲気を高める」これが最初のCMの撮影現場で味わった仕事に対するその人の熱意だった。
初めての撮影現場は演技よりも周りのスタッフの動きや機材などに興味があって、忙しく準備しているスタッフに話かけていたが、色々なスタッフに聞けば、みな同じ事を返答してきた。
何日も徹夜続きの中、次の現場、次の現場と出向いていてプライベートな時間などほぼないに等しい状況であった。それでもやり続けられる理由を尋ねたら、みな笑って返す。その中で40代ぐらいのロン毛でひげ面のカメラマンの方がひと言だけ。

好きだから

その言葉を言うと黙々と準備に入り、それ以上話すこともなかった。
一瞬、ドキッとした。間が数秒間あったが、それ以上聞くこともできなくて、その場を去るしかなかった。
それからは黙々と作業するその姿を想起しながら「好きだから」の言葉がずっと残り、オーディションでも一所懸命、役の演技をしている子達、現場に行けば、スタッフばかりをただただ眺めているばかりになっていた。

もう俯瞰している状況で自分はそこにはいなかった。

4. 終止符と共に


迷いは晴れることはなかった。そして、俯瞰している視線はサラリーマン、販売員、バイト先、バイトしている自分も同じように、ただ眺める日々が過ぎた。プロって何か、ホンモノって何か、昨日今日でバイトしている自分でも、はたから見れば、新人も関係ないし、店員なら店員だし、不慣れであってもそう言う視線と対応にしか過ぎないと思った。それでも日々を熟す人達を目の当たりにすると、益々、自分の不甲斐なさを感じた。

自分は何をしたいんだ、自分がどうなりたいのか?

自問自答しているうちに、悩むよりも行動する方が早いと全てを終わりにする決意を固め、身体に付いているモノを全て外してみて何もない自分で一から出直す気持ちを誓うことにした。


この誓いと行動と共に「経営者になる」と言う夢を抱えて、どのような経営をしていくのか、手探りしながら必要な要素を積み上げていくために、全ては連想ゲームのように仕事を転々として前へ前へと一歩ずつ着実に進みました。この時期に体験したことは業種は違っても方向性を示すためのあるひとつの方法となっています。

  • 言葉 迷いや壁にぶつかったとき、原点に戻るための要素

  • 演技 仕事の立ち位置による模倣から自分色に変えるまで

  • 「外郎売り」  人前で話すプレゼンやデモをするとき

  • 「蒲田行進曲」 力まない、楽しさを続けられる交流として

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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