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児童相談所の誤認保護はなぜ起こる?まずは児相の成り立ちから。

児童相談所の問題を扱ってきて、一番に思う疑問がこれ(誤認保護)です。私を含め、多くの方は児童相談所という場所は虐待を受けた子供を安全に保護する場所であり、虐待によって亡くなる子供を減らす為に尽力している機関だと漠然と思っていたはずです。しかし、現状の児相では誤認保護による、子供の拉致、親からの引き剥がしが横行しており、これによって何年も子供に会う事すら叶わずに苦しんでいる親子が存在します。なぜ、児相はそんな事になっているのでしょう?

児童相談所の歴史は終戦時、戦災孤児のため宗教団体や篤志家が児童養護施設を各地に作った事から始まっています。その子たちの保護と治安維持が当初の目的で児童福祉法が作られました。つまり合法的に子供を収容するシステムが出来たという事です。ところがその子供達も成人し、高度経済成長期になると施設は定員割れが起き、存続の危機に陥ります。1970年代になるとイギリスの首相、サッチャー政権が誕生し、福祉の削減をした小さな政府を目指す動きが日本にも入ってきます。1980年代になると日本でも行革の時代になります。1980年代に児相で主に扱う問題は不登校児の相談でした。そこで厚生省は組織の維持と拡大の為に積極的にフル活用としたのが「児童虐待」でした。まず、厚生省は1981年に「児童相談事例集」第13集において「国際的にも問題視されつつある虐待、放任等に焦点をあて、児童相談所の積極的な対応」を期待する目的ではじめて全年齢の児童を対象とした児童虐待の事例を特集しました。すると厚生省の外郭団体である「日本児童問題調査会」が1983年全国児童相談所における家庭内児童虐待被害調査を児相職員に実施し、大規模なサンプル調査分析を始めました。1989年には全国児童相談所長会が「子どもの人権侵害例の調査及び子どもの人権擁護のための児童相談所の役割についての意見調査」の結果を公表し、虐待によって子供の人権が侵害されていると強く訴えました。
1990年代になると民間でも児童虐待が問題化し、マスコミでも取り上げられるようになります。

これに呼応するかのように、スーザン・フォワードが造った造語「毒親」が日本にも入ってきます。これは毒と比喩されるような悪影響を子供に及ぼす親、子供が厄介と感じるような親をさす俗的概念の言葉なのですが、2008年から自己愛の強い母親とそれに苦しむ子供の問題に関する書籍が増え、日本では2015年時点で毒親という言葉が一種のブームとなっていきます。

こうした流れを受けて2000年に「児童虐待防止法」が制定されます。

次回はこの児童虐待防止法の問題点とこれによって、現場の児相で何が起こっていったのかを考察していこうと思います。

参考文献 「児相利権」南出喜久治、水岡不二雄著 「毒になる親」スーザン・フォワード著

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