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2.13 福島県沖地震に気付かされたこと

3日前、久しぶりに地震による恐怖を思い出しました。

2021年2月13日23:07に起きた福島県沖地震で、私の住む福島県二本松市は震度5強の揺れに襲われました。ちょうどその日はアパートの部屋にひとり。そろそろシャワーに入ろうかなと思っていたころでした。

ガタガタガタ....  えっ地震?と思ったその瞬間、スマートフォンからあの不気味な緊急地震速報の音が聞こえた時にはもう激しい揺れが始まっていました。慌てて机の下に潜り込み、ただひたすら「これ以上はやめて!どうか割れ物は落ちませんように...」と祈るように収まるのを待つことしかできませんでした。

10年前の東日本大震災のときほどではなくとも、長い時間の揺れを久しぶりに体験して、恐怖のあまり母親のお見舞いのため車で青森に向かっていた彼にすぐに電話せずにはいられませんでした。災害時において、ひとり暮らしは信じられないほど心細いものですね。

幸い私の部屋は本棚の手前に置いていた小物が落下した程度で、大きな被害はありませんでした。部屋を見回りしているうちに、メッセージの受信を知られるスマートフォンの通知が次々にポップアップしてきました。

「まるちゃん、大丈夫?」「地震、大丈夫?」

一晩で何人から連絡がきたでしょうか。こんなにもたくさんの人が心配してくれるんだと思うと、本当にありがたい気持ちでいっぱいになりました。

ただ、メッセージに返信する間にも心配だったのは福島第一原子力発電所の状況でした。停電の情報もあったため、もしや停電して廃炉作業が中断してしまっているのではないか... 3.11の事故の恐怖が蘇るようでした。(といっても私は当時高校生だったので、全て後から当時の様子を知って追体験した恐怖感でしたが)

結局、原発にも大きな被害はなさそうであることが分かり、私の家や周辺では停電の被害もなかったため、地震の恐怖にざわつく心だけを何とかなだめながら2時近くに就寝しました。


岳温泉の被害が明らかになったのは一夜明けた、翌14日のことでした。仕事は休みでしたが、同僚から職場内はかなりめちゃくちゃになっていると連絡を受け、岳温泉の旅館やお店のことがとても心配になりました。

居ても立っても居られないと思い、休み返上で岳温泉の状況を確認しに行きました。まず職場に立ち寄ると片付けの途中で、聞いた話ではデスクの隣にあった棚の一つのガラスの戸がバリバリに割れ、そこら中に破片が散乱していたとのことでした。

他にも温泉街を回っていると、被害の状況が徐々に明らかになってきました。旅館では柱の表面が剥がれ落ち、内部が剥き出しになっていたり、宴会場の大きな窓ガラスが粉々に割れていたり、玄関前の地面にヒビが入ったり...  安達太良山に向かう途中の県道でも大規模な地割れが発生し、14日から当面の間は通行止めとなっています。

温泉街の長老に話を聞くと、被害が10年前の東日本大震災の時とよく似ているということでした。同じような場所が今回も大きな被害を受けているのだそうです。一部は10年前よりも大きな被害で、復旧に数週間はかかる施設もあり、これから心配な日々がしばらく続きそうです。


そして青森から帰ってきた彼にその日の夜に会ってやっと、心の底から「もう大丈夫だ」と安心することができました。お互いのことを気にかけ、支え合える人がいることは本当に大切だとこの時に感じました。

ニュースでは1週間程度は大きな地震が起こる可能性があるとのことで、次の日も余震が起きないだろうかと、不安を抱えながら過ごしました。大切な人が無事に家に帰ってきてくれる。本当にごく当たり前のことですが、それだけでどんなに幸せなことなのだろうと、改めて何気ない日常への感謝を噛み締めた1日でした。


今回の地震を受けて真っ先に私は「10年前の大震災を忘れるなよ」と言われているような気がしました。今年は10年の節目を迎える一方、コロナウイルスの影響で、あまり震災や被災地に注目は集まらないだろうと考えていました。福島に住む私でさえ、今年はコロナの動向に目が行きがちになっていました。

そんな自分の甘い認識が試されたような気がしました。10年前の出来事をないがしろにしてはいけない。もう一度、震災について、防災について考えよう。改めてそう思いました。

死者・行方不明者を合わせて約2万人近くにもなる方が犠牲になった、東日本大震災から間もなく10年。福島県の原発近隣の自治体では故郷が放射能によって汚染され、いまだに避難を余儀なくされている人たちの数も3万人以上にのぼります。

もう東京では遠い昔のことのように思われているかもしれませんが、まだまだ問題は山積みです。私がお手伝いさせていただいている、福島第一原子力発電所の立地自治体のお隣にある浪江町も、町内の半分以上がまだ除染されておらず、帰還困難区域(道路の通行のみ可能、居住不可)となっています。

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浪江町公式ホームページ
【初めての方へ】すぐわかる浪江町(なみえまち)の現況より
https://www.town.namie.fukushima.jp/soshiki/2/namie-factsheet.html

政府が言う「復興」とは何を意味するのでしょうか。現実を見る度に本気で考えさせられます。

コロナウイルスと隣り合わせの生活では毎年行われていたような追悼イベント等も開催が難しくなっています。そんな中でも、福島の現実をまず知ってほしい。その上で、災害に備える大切さを何らかの形で発信していけないだろうか、そんな風に思っています。

福島について知ることで、少しでも地震や自然災害、原子力発電について考えるきっかけにしてほしい。地震や津波は避けることができませんが、こんなにたくさんの人が苦しむ結果を生んだ災害が、もし再びどこかで起きた時に、同じことを繰り返してはいけないと思います。

「10年前のこと、忘れてんじゃないぞ」

今回の地震には本当にそんなことをリマインドされたような気がします。3月11日は、当時の辛い映像や記憶に触れて心を痛めるだけでなく、浜通りを中心とした被災地の今の正確な情報の共有し、防災への人々の意識向上に繋げるなど、日本中の人が少しでも減災・防災を考えるきっかけになっていってほしいと思います。関東大震災が起きた9月1日に加えて、防災の日とか減災の日に指定してもいいんじゃないかな。


10年目の福島からできることを一歩ずつ、これからもやっていきたいと思います。

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