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不機嫌な家
今日は、前回のお話にあった
「不機嫌の空気」と
「顔色をうかがう私」がいる
子どもの頃の我が家についてです。
これがあったから私は、
「機能不全家族」
という言葉に反応しました。
▼前回のお話はこちら
不機嫌な家族
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小学校に入る前の記憶では
周囲を意識していた記憶は残っていません。
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足音も、扉の開け閉めの音も
睡眠を邪魔する音は立てられません。
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小学校から帰って来るのは夕方です。
父は仕方ないにしても
姉は仮眠していただけでしょうに。
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当時、母は家で縫製の仕事をしていたので
帰るなり一番に、姉がいるかどうかを聞き
帰宅していると聞けば
家には上がらず外にいるようにしていました。
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母は耐えるタイプの人でした。
本当は父や姉から守って欲しかったのですが
それはできない人でした。
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私はどちらかというと感受性が強くて
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母の痛みを、自分の痛みとしても感じていて
とてもつらかったです。
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このあたりのことは、これまで
誰かに話したことはありませんでしたが
カウンセリング先を探す中
カウンセラーや心理士に話すと
必ず涙が込み上げるので
幼心に相当傷ついたことだったんだと
最近になって
ようやく気づくことができました。
そしてこのことがあって
よけいと私は
「機能不全家族」の中で
「顔色をうかがう子ども」
になっていきました。
今日はここまで。
それではまたね。
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