社長インタビュー〜ぬれせんべいとの出会い〜
「ぬれやき煎®️」「半熟カレーせん™️」「焼生せんべい久助」 など、注目を浴びているお煎餅の製造元である『有限会社まるせん米菓』。「老舗が多い米菓業界で、最も若い会社です。」と、町田社長は言う。『まるせん米菓』、そして直販ブランドである『煎餅屋仙七』の誕生と今後の展望を聞いた。
修行時代に手渡された1枚の煎餅…それが「ぬれせんべい」との出会いでした。
御社の代名詞と言われる大人気商品の「ぬれやき煎®︎」は、この時から始まるわけですね。
すぐにその「ぬれせんべい」のルーツを探るために、千葉県の銚子に向かいました。そうです。銚子が「ぬれせんべい」の発祥の地だからです。
店先で焼いた煎餅に醤油だれをしみ込ませ売っていました。いろいろな「ぬれせんべい」を買い求め、会社に戻り開発スタッフで試食してみると、「しょっぱくて、しけたお煎餅」といったイメージでした。「こんな商品が売れるのだろうか」と疑問に感じました。
しかし社長の命令は絶対です。なんとか似たような商品を作り上げ、社長に提案しました。社長はそれを食べ「よし、これでいこう」と。そして「ぬれせんべい」は初めて一般流通のスーパーに流れ出していったのです。私の中ではこの商品は売れない、すぐに終売になるだろうと思っていました。しかし私の予想は当たらず、売れてしまいました。珍しさとマスコミがとりあげた事もあり、製造が間に合わない程売れ、一気にヒット商品に昇りつめる勢いでした。
順調に売り上げを伸ばしていったのですか?
売れるとなるとすぐに真似るのがこの業界。しばらくすると流通に数社の「ぬれせんべい」が売られるようになり、そして大きな問題が発生したのです。
何が起こったのですか?
でん粉の老化です。
でん粉の老化とは?くわしくお願いします。
通常お煎餅は、水分をある程度乾燥することにより長期間保存し、食べることの出来るお菓子です。そこに水分が入り込むと、しけたまずいお煎餅になってしまいます。
もともと水分比率の高い「ぬれせんべい」は、通常お煎餅がしけるものよりも大きな米でん粉の変化が起きてしまったのです。
製造が追いつかない程売れていた時は、大きく変化する前に食べてしまっていたので良かったのですが、流通にたくさんの「ぬれせんべい」が売られるようになると商品の回転率は落ち、米でん粉が変化した商品はクレームとして大量に返品となり、倉庫に戻ってきました。
そして「ぬれせんべい」は販売して1年足らずして流通から消えてしまいました。
ここから本格的な「ぬれせんべい」製造への戦いが始まるわけですね。
「ぬれせんべい」の流通販売後、私は『美味しい「ぬれせんべい」をつくりたい』と試行錯誤を続けました。
満足のいく商品を作り上げるまでに、実に8年の歳月を要しました。
「独立・ぬれやき煎®️の開発」へ続く