あなたはこうやってラーメン店に失敗する(3)の3
開業して一年を過ぎようとしていた春。
あなたはラーメン業にも少し馴れ落ち着きはじめています。
夜八時頃に一人の中年男性が来店します。最近、よく見かける方で入店の際は軽くあいさつをする程度になっていました。ここまでの関係になると注文の仕方も決まってきます。
「いつものお願いします」
「いつもの」という言い方は常連であることを強調したい意図が入っている言葉です。普段は食べ終わったあと新聞、雑誌などを二十分ほど読んでから帰ります。しかしその日は新聞、雑誌を読むふうでもなく普段と違っていました。「話しかけてほしい」そんな雰囲気がありました。あなたはほかにお客様がいなかったこともあり話しかけます。
「いつもありがとうございます」
それから世間話がはじまり男性も気持ちよさそうに会話を楽しんだあと帰りました。会話の中で男性の名前がCさんであることもわかりました。次からはお客様のいない、もしくは少ないときは必ず会話をするようになります。男性の話し声は優しい響きでほかのお客様にも不快感を与える感じではありません。あなたは少しずつ心を許していました。
そんな関係になった一ヶ月後、男性は世間話をしたあと改まった感じであなたに言います。
「ちょっと、明日までに三万円必要なんだけど貸してもらえないかなぁ」
あなたは返事に窮しますが、常連客であることや感じのいいタイプであること、そして「明後日には返す」ということで貸してしまいます。金額も微妙な額でした。これが十万円という金額であれば断れるのですが、三万円という金額はガードを低くする金額です。
二日後、Cさんはきちんとお金を返済してくれました。しかもお礼にといつもより豪華にお金を使ってくれました。
それからしばらくは普通の常連客として、と言うよりは、お金を貸したことがある仲ですから常連客以上のお客様として接していました。実際、来店頻度も多く食べる金額も高いものでした。
一ヶ月後、
「大将、またお金貸してもらえないかな。来月お金が入るんだけど明後日までに十万円足りないんだよね」
あなたは「十万円」という金額にやはり躊躇います。しかし前回と違ってCさんとのつき合いが深くなっていました。一度、飲みに行ったこともあります。心の中の「躊躇い」を隠して言います。
「今日は無理だけど明日でいい?」
「もちろん。悪いねぇ」
次の日、あなたが封筒に入れたお金を渡すときCさんは「これ以上ない」という笑顔であなたにお礼を言います。
「必ず、来月返しますから。ホントにありがとう」
お金を借りたあともCさんは普段どおり食事に来ています。あなたはある意味安心です。翌月Cさんは約束どおり返済してくれました。Cさんとの仲はより一層親しく深くなっていきます。
その後もお金の貸し借りはたまに起こるようになりますが、Cさんは必ず返済していましたので不安になることはありませんでした。反対に自分が「Cさんの友人として役に立っていることがうれしい」とさえ思うようになっていました。
ある日、Cさんが沈んだ顔で来店します。あなたは尋ねます。
「今日は元気ないですね?」
「ちょっとねぇ」
「どうしたんですか?」
「実はさ、仕事が壁につきあたっちゃって…」
Cさんはそう言うと食べ終わったラーメンのスープをレンゲですすります。あなたは元気づけようと言います。
「仕事って壁がありますよね」
Cさんが顔を上げ上目遣いに言葉を選びながらあなたに言います。
「大将、二百万円貸してもらえないかぁ?」
あなたは金額の大きさに驚きます。そして返事をする代わりに奥さんのほうを見ます。奥さんは、あなたがCさんと親しくなりすぎるのをあまり快くは思っていませんでした。Cさんも奥さんのほうをチラッと見てあなたに続けます。
「大将、必ず返すから。今までだってちゃんと返したし…」
「金額が金額なのでちょっと考えさせてもらえますか?」
その日の夜、あなたは奥さんと言い争いになります。二百万円という金額はあなたと奥さんが必死に一年間働いて貯めた通帳の金額と同額です。奥さんは絶対反対です。あなたは友情と一家の大黒柱としての立場との間で悩みます。結局、奥さんの必死の形相が功を奏しあなたは奥さんの意見に従うことにします。
次の日、Cさんが食べ終わった頃を見計らってあなたは話しかけます。奥さんは厨房の奥に引っ込みました。
「昨日の話なんですけど…」
「貸してもらえるの?」
「いや、それがなんですけど。うちもちょっと苦しくて…」
Cさんの機嫌が悪くなったのがあからさまにわかりました。あなたは謝ります。
「すみません、役に立てなくて…」
「なんだひどいよなぁ。これまでずっと親友だと思って食べに来てたのに…」
あなたは返事ができません。
「もうちょっと考えてみてよ」
厨房の奥から奥さんがあなたを見つめているのがわかります。
「やっぱり無理です。すみません」
「なんだよ!」
Cさんは投げやりな態度でお金を払うと出ていってしまいました。
奥さんが厨房から出てくると言います。
「よかった。ちゃんと断れて」
翌日も翌々日もCさんは来店しませんでした。あなたはCさんのことが気にかかり心配します。しかし奥さんは逆に安心したようです。
三日目、Cさんが友だちらしき人を連れてやってきました。連れの人もCさんと同じくらいの年令の人です。あなたはできるだけ笑顔であいさつをします。しかしCさんはそれに応えることはなくいつもとは違うテーブル席に座ります。
あなたは店内にいつもと違った緊張感を感じます。
ほかにもお客様が数人いて普段より店内は混んでいました。あなたはできるだけCさんたちのことは気にしないように調理をしています。奥さんが近寄ってきて囁きます。
「ラーメン持って行ったとき私のこと睨み付けるような目をしてた」
あなたはうなずきます。しばらくしてCさんの連れがあなたを大声で呼びます。
「ちょっと、大将」
あなたが駆け寄ると連れの人は店内中に聞こえるように言います。
「このスープなんか変な味がするんだけど…」
「えっ?」
あなたはスープの味を確認します。
「当店の味ですけど…」
「ええっ! これで普通なの?」
「はい…」
Cさんは何も言わずただあなたを見ているだけです。二人は食べ残したままお金を放り投げるようにテーブルに置くと帰って行きました。
その日はなんとも重い気分で店を終了します。奥さんが言います。
「Cさん、ひどいね」
「そうだよなぁ」
あなたたちはそれ以上会話はなく帰宅します。
次の日、Cさんがまた来店します。また昨日とは違う連れの人を連れて…。昨日と同様、無愛想な表情で席に着きました。あなたと奥さんに緊張感が走ります。二人が予想したとおり連れの人があなたを呼びました。
「チャーシュー、なんかおかしくない?」
あなたは昨日と同じ会話を繰り返します。Cさんの態度も昨日と同じです。
Cさんの知り合いを連れての来店はその後も続きました。
あなたと奥さんの忍耐も限界に近づいた頃、奥さんが布団の中から涙声であなたに言います。
「どうしてCさんと仲良くなったの?」
その後、奥さんはストレスの限界を越えてしまいます。
あなたはこうやってラーメン店に失敗します。
つづく。
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