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*この記事は「脱サラをする前に」というサイトから転載したものです。

たびたび書いていますように、僕はnoteという投稿サイトを毎日見ているのですが、そのサイトを見ていて本当に感心することがあります。それは、世の中には世間に知られていないだけで、とても素敵な文章を書く人がたくさんいることです。言うまでもありませんが、1日に数万件の投稿がある中で僕が出会うことができるのほんのわずかです。それを考えますと、noteのおすすめがあるとはいえ、僕が素敵な文章に出会えるのは偶然の賜物でしかありません。

僕は素敵な文章を書く人には「フォロー」をしているのですが、そうしますと自ずとフォロー数が増えてしまうことになります。しかし、フォロー数が多くなるからといって、読む記事が多くなるかといいますと、意外にそうでもありません。以前書いたことがありますが、その理由はフォローしている投稿者の投稿頻度が月日とともに減少していくからです。ですので、現在僕が毎日読む記事はだいたい10~15記事くらいでしょうか。ちょうどよい記事数だと思っています。

基本的に、僕は記事といいますか、文章を読むのが好きな質ですので、noteに限らずいろいろなメディアの記事・文章に目を通しています。そうしたときにいつも思うのは、僕はおじいさんの一歩手前の年齢ですが、それでも「知らないことって多いよなぁ」ということです。僕は自分のサイトに「心に残る言葉」というコーナーを設けていますが、それは「自分が知らないこと」に出会ったときの感動を記録する意味合いがあります。毎回「心に残る言葉」を書き留めながら、所詮、人間なんて自分で経験・体験できることって限界があるよなぁ、と痛感しています。

今週のコラムの冒頭をnoteについてから書きはじめたのは、先日とても素敵な書き手を見つけたからです。やはり、素敵な文章は読んでいますと心や気持ちが高まります。仮にHさんとしますが、Hさんは編集者の肩書きを持つ書き手でした。僕のコラムをずっと読んでいる方はご存じでしょうが、僕は編集者という肩書きの人にあまりよい印象を持っていません。文章にしろ漫画にしろ、自分は「書き」も「描き」もしないのに上から目線で偉そうに振舞っているように見えるからです。そんな僕でしたが、今回のHさんの記事を読んで少しばかり気持ちが変わりました。

僕自身は出版業界にいたことがありませんのでよくはわかりませんが、もしかしたなら編集者にも「いい編集者とそうでない編集者」がいるのかもしれません。以前、ある大手雑誌で編集長まで務めていた方の投稿記事が大炎上したことがあります。業界で華々しい実績を誇っていた人があまりに世間とかけ離れ発想を持っていいたことに驚いたのですが、編集者が常に正しいとは限らないことを教えてくれています。そういえば、セクハラで炎上した「かすり傷」で有名な編集者もいましたっけ。

常に正しいとは限らない編集者さんが偉そうにしているのが嫌だったのですが、Hさんは違っているようでした。そもそも僕がHさんに興味を持ったのは、Hさんが投稿した「自分の文章に自信がなくて吐きそう」というタイトルが目に留まったからです。この記事はHさん自身の新人時代をつづった内容ですが、上司との葛藤が書かれています。上司から徹底的に文章の書き方をしごかれているようすが具体的に書いてあるのですが、僕はこういう上司が苦手、というか嫌いです。

上司だからってえばるな、よ!

昭和の時代は「スパルタ式」という指導法がなんの疑問もなく社会に浸透していました。スポーツの世界はもちろん、一般社会でも見られる光景でした。厳しく指導することで、選手や部下といった自分よりも立場が下の者を指導するやり方です。軍隊式と言ってもいいのかもしれませんが、立場が下の者の人格などなんの考慮もしない傲慢な指導法でした。

世の中には厳しくされることで成長するどころか、反対に自分の実力が発揮できなくなる性格の人もいます。このような指導法は、選手や部下を成長させたいというよりも自分の自尊心を満足させたり、優越感を持ちたい言動としか僕には思えません。

元日本女子バレー代表の益子直美さんは「監督が怒ってはいけない大会」という大会を催しています。自分の高校時代の経験から「監督が怒って指導しては、選手は真の実力を伸ばせない、発揮できない」という思いからです。繰り返しになりますが、指導者が怒鳴ることによる恐怖心で選手を支配する練習方法は指導者の満足感のためでしかありません。そのような指導法で選手の能力が上がることはありません。

Hさんは出版社に入社してから上司に文章の書き方を徹底的にしごかれています。精神的に追い込まれるほどしごかれています。そのような環境の中、Hさんは努力を重ね3年ほどして上司からの修行から卒業するのですが、もっと的確な教え方であったならもっと早く卒業できたように思えて仕方ありません。

最近、本屋さんのビジネスコーナーには「若手を辞めさせない方法」関連の著書が目につきます。課長クラスの人が新人社員への接し方を指南する本ですが、まさに今の時代を反映している内容です。下手に強く接するとパワハラと言われ、簡単に辞めてしまう最近の若者たちです。僕はこうした若者たちの行動はそれほど悪くない風潮だと思っています。

部下が仕事を覚えない、できないのは部下の責任ではなく教える側の上司の責任です。教え方が下手、悪いからです。もし、そうした視点がないならば、上に立つ人は楽で楽で仕方ありません。なにしろただ怒っていれば、怒鳴っていればいいのですから。気まぐれにとまでは言いませんが…。上司が独裁者でいられるような仕事環境は部下にとっては地獄でしかありません。

noteには文章を書くことを生業にしたいライターがたくさんいますが、それを実現できる人はほんの一握りです。先日、どこかの記事に「各出版社の編集者はnoteで著作者を探している」と書いてありました。ですが、実態は編集者のお眼鏡にかなう実力の持ち主はやはりほんの一握りです。出版社から本を出す場合は、それなりのコストがかかりますので、それを回収し、さらに出版社に利益をもたらすライターを探すのは容易ではありません。

しかし、仮に編集者のお眼鏡にかない出版を実現できたとしても、自分の書きたいように書けるわけではありません。出版社の意向に沿うように書くことは義務です。コストを負担してくれるのが出版社だからです。たとえ小言や文句を言われようが、怒鳴られようが出版社の意向に沿う義務はあります。仕事とはそういうものです。

今から20年くらい前、自費出版という方式が流行ったことがあります。新聞などにもデカデカと広告が載っていましたが、「本を出版したい」という人の助平心をくすぐる方式でした。この方式の問題点は「本を出版する」という名目で著者からお金をとることです。つまり、「本を作った」はいいがどこの本屋にも並ばないのでは出版した意味がありません。単に、出版社から自分の本を買うだけで終わってしまいます。

実は、当時僕はラーメン体験記を書いたところだったのですが、自費出版に興味を持ち問い合わせたことがあります。すると、すぐに営業の人から「すぐに出版しましょう」とお誘いの電話を受けました。しかし、たまたま「自費出版の問題点」を解説している記事を読み辞退した経験があります。あやうく100万円損をするところでした。

素人の僕が言うのもなんですが、文章に「うまい」「へた」はあるでしょうが、「いい」「悪い」はないはずです。今の時代は自分で情報を発信できるのですから、自分の書きたいように書き、発表すればよいのです。もちろん、だれかを傷つけることはいけませんが、それさえ守るなら「なにを書こうと」自由です。ましてや、誰かから「へた」などと非難される筋合いはありません。ですので、これからも「へた」であろうとも書きたいことを書き続けていく所存であります。

最後に、これはあくまで僕の感想です。

じゃ、また。

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