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「不登校になりたくてなる子はいない」上野良樹著

選んだ理由
不登校という事柄について、小児科医という角度からどういう考えをもたれているのか気になったのと、治療の根本は、発症の予防という視点から、不登校にならなくてすむ学校作りという考え方をしている。わたしとは、全く違う発想なので、何となく興味を持ち読んでみました。

一緒に考える小児科面接(中学生)
私〉不登校になってしまったこと自体、精神的に本当は心苦しいのに、小児科の先生の前で話す事自体、何を話していけば良いか分からない。そもそも、自分が今どんな状況なのかさえ分からないのが、不登校の中学生ではないかと思います。ただ、心が嬉しかったりワクワクしたり、逆に寂しかったり辛かったりしたことだけが、心に残るのではないかと思います。ただただ、愛されたいと、不安な思春期に本当はポツンとひとりぼっちな気持ちで存在しているのが、小児科面接に来ている子どもかと思いました。わたしだったら、きっとこうだと思いました。
著〉子どもの居場所は、決して多くはない。大きく言えば、家庭と学校。無条件に自分を愛してくれる場所ほど、安心できる場所はない。
不登校となってしまった場合、エネルギーがたまって子どもが動き出せるようになるまで待つこと。
朝、起きられない子どもについて。起立性調節障害の傾向がある場合、子ども自身は、表面に出るか出ないかの見かけだけではなく、心では自分を責めています。子ども自身を責めなくて良いように、小児科医の立場として、体から行動しやすい状態という考えもある。薬の処方という選択。
子ども自身の口から、ポジティブな言葉が出るように会話の流れをつくる。ポジティブな言葉を子ども自身が言うことで、子ども自身を元気にしてくれる。これがエネルギーの補充の第一歩である。

家族、先生、まわりの人達へ
私〉このテーマは、不登校ですが、もしわたしが不登校になったらどうして欲しいか考えてみました。学校のことや友人のことなど、ストレス材料になることは、言われたくないと思います。理由は、今の自分はこのことを考えるパワーが枯渇しているから。学校が嫌いではなく、友人が嫌いではなくても、あふれるパワーがなければ、ふれたくない。なのに、周りの人達は気になるから聞いてくるのだから、悪循環だと思います。ならば、もし中学生のわたしが不登校中で何をするか?きっと好きな事をすると思います。大好きな人(家族)にたわいもない話を聞いてもらいながら、自然と心が楽しくなるまで充電できるならすると思います。もし、夜寝れなかったら?つらいと思うのですが、対策としては昼間動いて体力を使うとか、夜はタブレットをしないとかではないかと思います。
著〉子どもというのは、つらさやしんどさを抱えて学校に通っている。不登校になりたくてなる子はいない。
朝、起きられなくて学校に行けなくなった場合、必ず理由がある。言葉をうまく聞き出してあげることが大事になります。
そして、大事な事が、学校を休んで過ごせる場所が、子どもにとって安心できる場所であること。安心できる場所とは、自分の気持ちを聞いてくれる人がいること。自分の不安や悩みを一緒に考えてくれる人がいること。未来の道筋を話し合える人がいる事。今を安心できなければ、未来のことは考えられない。未来が語れなければ、過去から脱け出す事は出来ない。生きる力のある子どもと未来を考えていくことは、わたし達大人にとって、つらいことではない。

③学校力について考える
私〉わたし自身は、学校が子どもをサポートしてくれることは、あてにはしてないですが、良き協力者であり、大切なパートナー的な存在として考えています。昔は、先生から全てを教わるスタイルであり、先生が正しいという時代ではあったのですが、今の時代は、子どもを持つ家庭が個々に自立していて、学校や先生たちとは、協力し合うという風に考えるのが自然な気がします。だから、学校に行けないなら無理やりは行かなくても良いと思うし、ただその理由は、家庭、子どもから言わせると正当性があることであると良い。教育や生活には、これが正しいという答えはなく、様々なパターンの正しいスタイルがあると思うし、その人達が共存しながら高め合える関係性であれば、これからの時代発展していける気がします。
著〉過去に、従来の学校制度自体が、システム疲労を起こしてきていた現実がある。クラスの人数が40人という多さ。しかし、教員達がベストな人数は?っと言われると18人。詰め込み教育期がそれである。その後に、ゆとり教育期があり、今20XX年、学校に子どもたちの小さな笑顔があふれているという。

気付き
学校という場所、病院という場所、家庭という場所。様々な場所での役割があるし、立場からのベストなサポートが必要だと改めて思いました。
学校教育という観点から言うと、わたし達昭和時代の学校から、平成のゆとり時代の学校、そして今の令和時代の学校のあり方や考え等が、大きく変わってきている事が大きな気づきでした。
これを受け入れながら、家庭での母親や周りの大人の対応を、子どもの居やすい心地よく、笑顔で入れる空間としていくことが、わたしの務めだと思いました。子どもの問題は、親や家庭を幸せに導くための苦い薬にしていく必要性があると改めて思いました。

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