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外資系IT企業に入ろうか迷っている23才の私へ。もうすぐ40才になる私から贈る、あなたがこの仕事を選んだわけとその答え合わせ。


#この仕事を選んだわけ

23才の私へ

私です。もうすぐ40才になります。

今が1月だとすると、今のあなたはちょうど就活のエントリーシートを記述し、OBOG訪問を行い、会社説明会に参加しているころでしょう。

まだ内定がないので不安だと思いますが、あなたは5月になるととある外資系IT企業に内定します。そして内定の後、大学で6年間続けて正社員と同等程度の業務を経験した勝手知ったるベンチャーに残るのか、そこで培ったスキルを活かしてIT業界の大企業に行って挑戦するのか、それとも就活チャンスを活かして広告やマーケティング業界に行くのか迷うことでしょう。

私は23才の頃、外資系IT企業で働くという仕事を選びました。これが正解だったかは今もわかりません。しかし、このキャリアを通して学んだこと、後悔したこと、失敗したこと、そして成長したことをお伝えするので、仕事をどう選ぶのかの参考にしてほしいと思います。

就職先に迷っている23才の私へ。先に答え合わせをしてみましょう。

思い出すと、あなたが就職先として外資系IT企業を選んだ理由は、強みであるITのスキルで外資系企業で挑戦してみたい、苦手な英語を強制的に学べる環境にいけば成長できるだろうという期待によるものだったかと思います。

さて、それから約20年たちました。そんな私から、答えを教えましょう。

結論から申し上げると、ITスキルは上には上がいることに気づき、第一人者になることの大変さを知り半ば諦め気味になるでしょうし、英語は20年の中で少しだけマシになりますが未熟なままです。残念ながら、それが結果です。しかし、悲観する必要はありません。

たしか、就職後に初めて配属された部門は、お客様のITシステム構築を支援するシステムインテグレーション業務の事業部だったと思います。ところが、37歳頃に研究所に所属するITエンジニアになります。就職活動で希望の職種を選んだ当時、憧れていつつも、絶対に所属できないと諦めていましたよね。20年もあれば、驚くべきことが起きるのです。私も未だに信じられません。狙っていれば、タイミングはきます。タイミングをつかめるように努力は続けましょう。

さて、今の私はITエンジニアとは別に、会社に認められたUXデザイナーの顔も持っています。しかも、上位の社内資格をとっており、恐れ多いことに、お客様にデザイン思考というものをお伝えし、共にビジネスを創る仕事もしています。想像できますか?あなたの時代には会社に存在しなかった役割なので、きっと考えてもみなかった役割だと思います。そして私もどうして私がこの役割になったのか、論理的には説明できません。

さらに言うと、最近の私は大学の非常勤講師になり、大学生にAIやプログラムを教えたり、工業専門高校で200人の前で基調講演や特別授業としてプログラムを教えたりもしていました。それどころか、何故かITは全く関係のない、「まちづくりのロールモデル」として、大学の正課授業でゲストスピーカーとして200人近くの前で話をすることにもなりました。何がどうしてそうなったのか、きっと想像できないと思いますが、私にとっては過去に起こった事実です。

ああ、そうそう、今あなたが付き合っている彼女とは会社の新人研修の最中の夏に別れますので覚悟しておいてください。夢のある将来を考えていたと思いますが、残念でしたね。

これらの答え合わせを通してわかることは、未来の予想が非常に難しいことです。ですので、後悔のないようにその時の時間の投資先を常に考えておいてください。

ちょうどよいので、今後のあなたが困らないように、いくつかのキャリアの分岐点をお伝えしておきます。

あなたがどのキャリアを選ぶのかはあなたの自由ですが、自分が納得して判断して行動できるための参考になればと思います。

入社すると、早くも人生の分岐点があります

就職した瞬間に最初の分岐点として、「作成途中だった学会のフルペーパーの論文を書ききって提出するかどうか」というものがあります。卒業した後ですが、「大学のセンセイはフルペーパーはあとに残るから出せ」と言ってくるでしょう。そして会社は出せとは言わないものの、あなたが出したいといえばOKしてくれるでしょう。ただし、論文を書くことがどれほど大変だったかは、大学院を通して経験してご存知のとおりです。特に社会人になってから論文を書くとなると、大学院生以上に大変です。なぜなら、入社式の後に新人間の交流会とみせかけた飲み会のあとで、論文を書くという無茶な生活を行うかという判断になります。迷うことになります。

ただ、20年後の私から言えることとしては、これは『やっておいたほうがいい』です。理由をつけてやめてはいけません。なぜなら、今のあなたは、きっと「大学の博士課程を諦めて就職したので大学に戻ることは無いから、費用対効果が出ない」と考えていると思いますが、先に述べたとおり、15年後には大学で博士課程の人のメンターをしたり、大学の非常勤講師として教える立場になるわけです。そのとき、論文誌に掲載された論文を書いた経験と実績は、大学の方々と連携する上で「自分の自信であり、心の支えになる」重要なポイントになります。誰かから評価されたというよりは、あくまで自分の自信になっただけですが、それでも、やって良かったなと思います。正直、飲み会より費用対効果は高かったなと思います。もちろん、会社の飲み会も大事ですが。

今の私が振り返って、当時の自分に対して後悔があるとすれば、社会人になった後、すぐに社会人博士課程を選ばなかったことです。これは当時、「仕事に集中してキャリアを作りたい」という立派な理由があったためですが、今思えば、それでもなおチャレンジしてみる価値はあったかなと思います。なぜなら、30代後半になって、急に大学と連携して、旧帝大の博士課程の授業の社会人メンターになったり、先に述べた大学の非常勤講師になったり、客員研究員のお誘いがあったりするからです。そして、その度に、あなたは周囲の人が博士の称号を持っている人ばかりであることに気づき、「あのとき博士の称号があれば・・」と分岐点について考えることになるでしょう。もちろん、博士の称号は称号でしかないので、取ったからどう、取らなかったからどうという違いを明確に感じることはできません。しかし、後で振り返ったときに「もし」を考えずにすむためには、言い訳をせずに、やれる機会にやれることを愚直にやっておくことをおすすめします。

新人研修後の職場選びは、人生を決めた分岐点になります

あなたは新人研修後に、担当プロジェクトを割り当てる担当の先輩社員から「どんな仕事をしたいか」と聞かれるでしょう。そしてあなたは「でっかいことがやりたい」という謎のやる気で答えるでしょう。結論から言いますが、『その道は地獄だぞ』。

その回答が引き金となって、当時、一番大変といっても過言ではない大規模な銀行統合のプロジェクトに入ることになります。そのプロジェクトでは非常に厳しい仕事がまっています。しかも、その中で担当するシステムは華やかなインターネットやモバイルアプリではなく、古き良きコールセンターシステムであり、派手な技術を学ぶことなく、アナログな音声と向き合うことになります。ああ、そうそう、それでも頑張っていれば電話についてはかなり詳しくなれますよ。おそらく。プロジェクト担当時は、華やかな仕事をしている同期を羨ましく思うこともあるでしょう。あるいはコールセンターシステムという成長があるかもわからないアナログとデジタルの間の職人芸のような世界で「果たしてこのスキルを磨いて意味があるのか」と迷うこともあるでしょう。しかも、このシステムはアナログとデジタルの境界線であるがゆえに習得に時間がかかる分野なので、しつこく続ける必要があります。その一方で、人が少ない分野とプロジェクト体制なので数年もすると、担当システムを一番詳しい人になれます。そのため、比較的若い段階で、コールセンターシステムの専門家として、自分で考え、周りとチームメンバーとパートナー会社さんをリードして実行していかなければならなくなります。それは、この公の文面では語れないほど、大変な、大変な仕事です。

今の状態の私が同じことをやれといわれると、きっと断るでしょう。しかし、「はい」か「Yes」しか考えない若いあなたなら、きっと「Yes, Ser」と言ってやりきるでしょう。対応している途中は後悔することが何度もあり、転職を考えることも何度もあると思います。しかし、しつこく続けていると、他のシステムやお客様も兼務しながらとはいえ、なんだかんだで10年ぐらいこのシステムを面倒見ることになり、替わりのきかない人になれます。(実はそのおかげで、後継者を育て、担当を離れて数年たったにもかかわらず、たまにコールセンターシステムに関する相談があったりします)。

さて、仕事を始めて約15年たった今振り返ると、この大変だった毎日で得た経験は、今の仕事の基本を身につける機会になっていたなと思います。そこで得た、15分単位で変わる打ち合わせと作業、10を超える複数システムの複数プロジェクトの並行した進め方、優先順位の付け方、リーダーシップやメンバーとのタスク調整、お客様との交渉術など、そのときに頑張って学んだ知識と経験は一生モノの宝になります。ちなみにこのスキルは15年目の今になって、若いときに雑にやっていた人を見るたびに顕著に差分を実感していますので、やるべきことを理由をつけてサボらずにやっていくことをおすすめします。

ちなみに、ちょっとだけ良いことをお伝えすると、10年後にAI化の波が来まして、コールセンターが注目される時期が来ます。担当を初めた当時は想像もつきませんでした。そして個人的な出来事ですが、学び始めてから15年たった今になって、スタートアップから相談を受けたときにコールセンターの業務やコールセンターシステムへの知識が役立ちそうな状況になっています。当時は「職場くじに外れた」と腐るかどうかの瀬戸際でしたが、腐らずに、目の前の課題を確実に解決できるように一生懸命やっていてよかったなと思います。つまり、20年たった私から長期的な費用対効果を振り返ると、近視眼的には、全く価値がないようなポイントが、実は、長い時間の中ではチャンスとして発生することがあるということです。

ただ、そんな私も、当時の私に伝えたいことがあります。それは、健康に気をつけて、無理に無理を重ねないようにすべきだったということです。具体的には、ストレスに注意して、栄養を意識した食事を取り、夜は早く寝て、運動とストレッチを行わなかったという、すごく当たり前のことです。小学生でも言われることです。これは、実際に体調を崩すまでは気づきませんでしたが、時間をかければ短期的には経験値やスキルは伸びますが、やりすぎると、結局、体調を崩し、最悪、入院することにもなるということです。若い時は無理が効く時期ではあるものの、健康には気をつけましょう。私には出来ませんでしたが、当たり前のやるべきことを、コツコツやっておけば、きっと効果が出ます。

働き始めて7年後、全く違うキャリアのどちらかを選ぶ分岐点があります

入社した後に目標としていた「就職で食いっぱぐれないようにプロジェクトマネージャーの経験を積む」という目標は5年ぐらいで達成できます。その後、あなたはさらにキャリアを伸ばすでしょう。数億円かけて新しいコールセンターシステムを作るプロジェクトのプロジェクトマネージャーに始まり、全予算数十億円の新しいシステムの提案のリードなど、いろいろな大規模なシステムの提案から構築、運用保守まで経験を積むことが出来、順風満帆なキャリアを進められるでしょう。しかし、そこで分岐点が発生します。

あなたは、ある時、体調不良で熱が下がらなくなり、医者から「死ぬ病気かもしれんから、検査結果出るまで絶対安静で」と言われます(ちなみに、それは医者の誤診であり、今も体は健康体ですので安心してください)。ただ、そのときは『どう死にたいか』について考える機会になります。きっと、人生について考え始めるでしょう。その時、あなたは「このままの大凡のレールのある出世の道を歩む(でもピラミッドの上に行けば、行くほど出世しづらくなるが、大凡のレールに沿っているので安心)」のか、「一般的な出世コースは横に置いて、自分のやりたい感覚をコンパスにして、自らやりたい仕事を選んでいく(でも、人と違う生き方はそれなりにしんどいぞ。 何が起きても誰のせいにも出来ないからね)」のかを選ぶことになります。

私は後者を選ぶことになりました。この分岐点を知ったあなたはどちらを選ぶでしょうか? 本当は、前者を選んだほうがキャリアアップにはなったかもしれません。40才近くになった今でも、たまに、どっちがよかったのかと考える時がありますが、何度考えても、やはり結論は1つで、今でもその選択に後悔はありません。どうにも変なことに、この道はうまく行かなかったことのほうが多いですが、後悔したことは今の所ありません。

そんな判断をした私ですが、当時を振り返って見ると「もっとできたはず」と思うことがあるとすれば、「当時、もっと色んな可能性を追って行動していったほうがよかったのではないか。もっと知識を得て、戦略的かつ効果的に、市場を意識して活動できるように、色んな人や情報に出会い、無茶とも思える挑戦にももっとチャレンジできたのではないか」と感じることがあります。仮にやり直しできるとしても、何度やっても、同じこと、同じレベルの挑戦しかできなかったかもしれませんし、実は、チャレンジの幅を広げることで、更に最短かつ効果的な活動ができたかはわかりません。ただ、実際、今学んだことを当時知っていれば、もっとできたことはあったという確信はあります。実はこれが「成長した」という実感なのかもしれません。

そして現在、この仕事を選んでいるわけ

40才近くになった今、ときにITエンジニアであり、ときにUXデザイナーであり、ときに大学や高専の先生でもあり、ボランティアもプロボノも複業もやっています。これらは私にとってはすべて仕事です。ただ、辛い仕事ではなく、自分で選んだ楽しい仕事です。もちろん大変なこと、苦しい時もありますが、自分でもっと面白くしようと考えて、自分で選んで、進んでいる道だからなのでしょう。

さて、これを書きながら、これだけ多様な活動を行うようになったのはなぜなんだろう、と考えてみました。

思うに、機会が来た瞬間に「あれこれ言い訳せずに行動し、諦めずにしつこく続けた」から、かなと思います。

機会が来た時、やるかどうかを決める判断が発生するわけです。費用対効果など打算的な要素も色々考えますが、最終的には「目標に近づけそうで、なんか面白そう」というものはアレコレ考えずにやってみました。そして、やると決めたら、「目標に近づけるように努力し、狙いがはずれてもしつこく、当たり前のことを当たり前に、陽の光に当たらなくても諦めずに粛々と」やってきました。粛々とやることだけなら、小学生でもできるって?そうです。そのとおりで、それが出来ない人が数多くいることがわかりました。私は凡人ですが、続けたことで上記のようないろいろな経験を得ることが出来ました。

ここまで、私の人生におけるいくつかの分岐点、そして後悔していることを書いてみました。改めて、私の分岐点を見直しして、選んで良かった箇所と後悔した箇所がどこにあったか考えてもらえると、あなたの人生において参考になるかもしれません。ちなみに、私なりに「後悔していること」を総括すると、『行動していないこと』であることかなと考えるに至りました。

23才のあなたも、40才近くになった私も、同じ私なので、きっと、この仕事を選ぶ理由は1つで、「なりたい自分に近づくために都合がいいため」であると思います。ただ、選ぶこと以上に、「選んだ方向性に向かって、色んなことに興味を持って、目標に近づけるように行動していくことを、意識的に、しつこくやり続けることが大事」ということが私の人生の、おそらく半分ぐらい生きた上で得た教訓となります。

23才の私へ。この話を聞いて、どう考え、どう行動するかは自由です。私とは違う道を歩むのもいいと思います。自分の人生は、自分で選び、行動することで新たなものを得るという基本的なところは誰にとっても同じことなのだから。


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