精神疾患に抵抗のない私の学生時代〜高校編①〜
思春期に不運が重なった時期が
中学2年の頃と別に
高校2年生の時期がありました。
クラス替えで
これでもかと言うぐらい
仲のいい人と離れ
これでもかと言うぐらい
仲の悪い人と一緒になり
担任すらちょっと苦手な先生でした。
その先生とは
1年のクラスの担任の先生だったのですが
なぜだか
隠キャの私がクラスの人気者だと
勘違いしていたらしく
不登校の同級生の世話を任されていました。
未熟だった私は
そんなクラスの状況で
不登校の同級生の面倒を見る余裕もなく
かもすれば自分が不登校一歩手前でした。
母子家庭だったので
親にだけは心配をかけたくなく
いつも通り登校はするものの
保健室に行くという日も多かったのです。
高校になって私は
先輩に強くお願いされ
裏方で、という条件で
演劇部に入っていました。
当時オタクな部活の代表で
その高校の中で人気がなく
先輩が新入部員を集めるのが
ひどく苦戦していたからです。
私はその高校で
比較的美人の多くキラキラしていた
吹奏楽部に入りたかったのですが
部費が工面できず
しぶしぶ部費の安い
演劇部に入ったのでした。
保健室には
部活の顧問がスクールカウンセラーも
兼任していました。
苦しかった私は誰でもいいから
その時話を聞いて欲しかったのです。
その時の高校は進学校で
みんな身なりも真面目だったのですが
何度か保健室に通う中で
うちの学校にはいなさそうな
ヤンキーっぽい先輩出入りして
いるのを見かけていました。
演劇部の遠征が決まったある日
顧問の先生は神妙な面持ちで
部員を集めて話をしました。
「実はA(先輩)は
多重人格症だ」
A先輩は演劇部に所属する
いつも笑顔が印象的で
理数クラスに所属する
少し真面目な雰囲気の先輩でした。
多重人格症は解離性同一性障害という
名前として存在する病気ですが
当時私はドラマやオカルトの類だと思っていました。
実際にスケッチブックに各々の人格の描いた
絵や文字などを見せてもらうにつれて
大人がこんな
くだらない嘘をつくはずがない
疑う余地もない状況になっていきました。
私はこのA先輩の副人格に関して
目にすることはなかったのですが
程なくしてもう一人
同じ病気を持つ人と出会いました。
それが先程お伝えした
保健室に出入りしていた
ヤンキーっぽいB先輩です。
時折ほっぺについている絆創膏は
喧嘩かキスマークの後だろうと
思っていました。
ただそのB先輩も同じ病気を持つ人でした。
やがて、そのB先輩が出席日数が足りず
私の学年に留年してきました。
一個下にあまり知り合いのいない
そのB先輩はクラスが違いましたが
クラスで友達ができるまでの間
事情を知る私を頼る形で
仲良くしてきました。
今までヤンキーと縁のなかった私にとって
そのB先輩の家に行くことは
刺激的な体験でした。
ヤンキーと言ってもかわいいのですが
先輩の家で他の高校の子とたむろして
お酒飲んでタバコ吸って
合コンのような雰囲気になる
って感じでした。
服も一気に自分の持ってる服が
ダサく感じられて
そのB先輩から借りたりしました。
ある時B先輩から一通のメールが来ました。
つづく