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私はそういう心でそう感じているということ

久しぶりに書いてみる。

これまでの途中で何回か気持ちを書き残したい、と思うも。
それよりも「やらないといけない」ことが頭の中を渦巻き、ここまできていた。

色々なことがあった。
辛いことも、嬉しいことも?
どの時も私は、迷いそして一生懸命だった。いつも一生懸命に真面目に生きている。

今書いてるということは、今少し心にゆとりができたのだろうか。
自分で自分のことを分からない私だったが、お休みを経て、少しずつ「わたし理解」ができているように思う。
例えば、
・スナック菓子や、辛いものが食べたいと思う
・なんだかイライラする、ふと涙が出る
・ラジオとかYouTubeでの声を聞くと頭がいっぱいいっぱいになる
など、わたしが辛くなりすぎる前はこのような予兆?が見られるのだ。
あと、なんかきそうだな、なんとなくもう少しな気がするなど、感覚的にわかることも増えてきた。

さてさてそんな私だが、お休み中にラジオというものにハマり、いつか私もラジオをやりたいと思うようになる。
ポッドキャストというものを知りたい、近々誰にも知られることのない私のお喋りを発信してみようと思う。たのしみ。

またまた、話は変わって、こちらへ戻ってくると、
車の運転中、散歩中空を見上げた時、ふといい天気の外の景色、思い出の曲、街を歩くお年寄りなどを見ると、なんだか色々込み上げるものがあり涙が出ることが多い。
まだまだ私の心は辛くて、まだまだ、これからも、死ぬまで、この心と寄り添っていくと思う。
それは良いか悪いかではなくて、私はそういう心でそう感じているということ。
辛い時は、「そうか。辛いね。頑張ってるね。」と自分を労う言葉を心に話しかけるように。


話はあちこちへと
これが今の、これからも私の心なのだ。

「だって、そうゆうものだから」

さあてお菓子でも食べて私を十分甘やかしてあげるとするか。


明日もぼちぼち、
頑張ってるね私、今日もお疲れ様。


2024.5.19

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