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はだいろを英訳すると、何色?

彼らは、わたしの腕に恐る恐る触れながら言った。
これは、何色って表現するの? —What color is this?— 
わたしが何年も前、東アフリカのウガンダという国を訪れた時に現地の小学生に聞かれた質問だ。

わたしの肌の色は、例えば、日本の化粧売り場だったらいずれかのファンデーションは買える、そんな感じの色だ(ちなみに、HEX値という色の表現では、#FED5B0あたりだと思う)。

でも、彼らにとっては初めて見る肌の色だったようだった。
……ちなみに、彼らの肌の色は深みがかった”褐色”。彼らの家族も、数軒に一つあるテレビに映る地元の人も同じく”褐色”(たぶん、SNS越しのそのまた彼らも)。

機会があって、現地の小学生となんだかんだと遊んでいた時だった。2,3人の子どもがやってきた。好奇心とちょっとした恐怖心の狭間に揺れうごくまあるい瞳に覗き込まれる。
彼らは、わたしの腕に恐る恐る触れながら言った。
これは、何色って表現するの? —What color is this?— 

わたしは、咄嗟におもった。
はだいろ、よ。
なぜなら、昔お絵かきで人を描くときは大体「はだいろ」を使っていたから(日本で日本人に囲まれて育ったので、特に違う色を使う発想もなかったように思う)。わたしが子どもの頃、おり紙にもクレヨンにも「はだいろ」という色があって、わたしにとって「はだいろ」は、4文字の色の名前、それ以上でもそれ以下でもなかった。
でも、英語に直訳しようとして、それがずいぶんおかしなことだということに気づいた。衝撃的だった。
はだいろ = 肌色 ≠ Skin Color

なんだろう……、もごもごと言いよどんだ結果、
たどり着いた色がこれだった。
黄色、かな。
わたしは、自分で言いながらえらく動揺していたけれど、彼らは特別気にも留めず、そうなんだ、これ黄色なんだね、
とか言いながらしばらくわたしの肌を触っていた。

年末振り返っていて、突然この出来事を思い出した。
このテーマ自体は、ストッキングの色の表現から「はだいろ」を無くす、とかマーケティングの文脈にまで浸透した議論だったりするので、
ずいぶん今さら?という感じもあるかもしれない。
今回敢えて書いてみようと思ったのは、この出来事を通して、改めてことばについて考えてみたから。なので、はだいろの是非についてとかではなくて、一旦今回思い出したこと、考えたことを日記的に記しておきたいなという試みだ(あくまで一つの考え方として、また違うフェーズで見返すと面白いかもしれないと)。

それは、普段自分が使うことばに、もっと敏感でありたいなということ。いや、あらねばな、のほうが近いかもしれない。
ことばは、人の解釈を通じて理解される。だから文化とか生きてる環境とかそういう背景の中で紡がれていくし、変わっていく。
逆に、そのなかで変わってきたことばを通じて、文化とか主流の考え方とかも変わっていったりする。
はだいろ、はクレヨンからも折り紙からもなくなって、今はペールオレンジとか、うすだいだいいろとかで表現されているらしい。
はだいろという表現がいいとか悪いとか、そういうことを言いたいのではないけれど、そのことばがどういう背景でできたのか、その先にどういう解釈がありうるのか、を忘れたくないな、と。そして、考え続けたい。

因みにどうでもいい余談が2つ。
・腕の内側とカラーコードの照らし合わせが地味に大変だった。同じ人でも、部位によって全然色が違って、”平均した色”としての”わたしの肌の色”はあっても、これがわたしの色です。ってないなと。あと、たぶんどういう光の下で見るかでもだいぶ変わってくると思う。
・現地の子どもたちが、わたしの肌の色を初めて見たときの感情ってどうだったんだろうという想像。敢えて言うとすると、じゃんけんぽん、でパー出した手のひらがリアルに水色だった。みたいな感じなのかもしれない(…知らないけど)。

タイトルに書いたので、いちおう、考えてみる。そんなに重要じゃないけど、「はだいろ」を英訳すると、わたしの場合はたぶん、ベージュ  —Beige— 。

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