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私には毒親がいます。~序章~

「毒親」という言葉はスーザン・フォワード著の『毒になる親』からきているんだけど、そのことを知っている人は実は少ない。そして、『毒親』についてより理解している人も少ない、と私は思う。

毒親は露骨に身体的な虐待をする親だけをさすのではない、ということをまず念頭に置いてもらいたいと思う。例えば、食事を満足に与えない、殴る蹴るの暴行をする、育児放棄をする。――もちろんこれは立派な毒親だが、これだけが子どもに対して毒になる親、というわけではない。

きっぱりと言ってしまえば、子どもが親について考えたとき気が重くなったり、そのことで涙が出たり、逆にものすごい執着心のようなものが湧く……といった反応をするのは全て毒親持ちなのではないかと私は考える。

タイトルで私は「私には毒親がいます」と書いた。

このタイトルだけでも、嫌な気持ちになる人、イラッとする人がいると私は想像する。

「親に対してなんて言い方!」「まだ親について恨んでるなんて、子どもだね」「親だって完璧な人間じゃないんだし、間違いだってあるっしょ」「感謝の気持ちを持たない可哀想なひと」etc.

上記の考えの方たちが勘違いしているのは、本当に毒親について悩んだ経験のある人はもれなく、「毒親という呼び方に対して少し抵抗がある」「親を心底恨めない、恨みたくない」「お父さんとお母さんのことは私がよくわかってる」「育ててもらって感謝している!」……ということを知らない。

本当に毒親持ちの人たちは「親のことが大好き」なのだ。

親が大好きだからこそ、ほめてもらいたい、理解してもらいたい、愛してもらいたい。

でも、それがかなわないから、毒親という言葉で必死で自分の気持ちをカバーしている。

幼いころ受けた親からの傷が突如痛みをもたらす。痛くて夜中眠れない。他人に依存する、自殺の方法を考える……そんなとき、あわてて「毒親」「アダルトチルドレン」をネット検索、または本を開く。

そんな怒りと悲しみを体現する言葉が「毒親」だ。

毒親育ちの人は、親からいつまでも離れられない。距離的に遠く離れ、絶縁していても、離れられない。常に自分の気持ちや考え方に支障をきたす。躁鬱になる。いつでも自己肯定感がとても低い。

私は次回から『毒親から遠く離れて』を執筆したいと思います。そこには、自己分析した自らの親の記憶と、トラウマをどうやって乗り越えようとしたか、ということ。あと、子育てをする上において考えること(毒親育ちの子育て)について掲載する予定です。

毒親について少しでも気になる方はご拝読いただけると幸いです。






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