おいそこの自分、自分で自分を追い込んでるのに気付け?人生は辛くない

ほら。
口調からして優しくないよ。

生きるのが下手なのは本当にみんな同じ。
自分を特別視する必要はない。

けれどあなたはたしかに、
生きるのが上手でないよ。


つい先ほどまでのあなたは。

(読了:3分)



辛さを回避すること
が一番のいいやり方だと無意識的に考えていた。

けれどこの世を生き抜くには
きっとそれは少し足りない。


辛さをどう消化していくか
が生きやすさに効果のあるやり方かもしれない。

「そういうこともあるよね」
「そうそう、人生ってキツい局面があるよね」
「来た来た、このパターンは…」


ときには受け流し、
ときには対峙して自分のやりやすい形の中で
乗り越えてみて、

そうやってしなやかに消化する(迎え入れる)
のである。



人生は辛いもの
という世間で聞かれる常套句は好まない、
そして受け入れる気は毛頭なかった。


そんなのこの世を生きている
まずはわたしが可哀想すぎるから。



けれど、
人生は辛いもの=辛いだけ
と言っているのでなくて、

人生は辛いもの=辛いものな部分があるとは言えるし、けれどそればかりでなく同じくらいは楽しいことがあるよ

という風に受け取るのはどうだろうか。


少し横道にそれるけど、

そういう風に"捉える"だと、
自分はそう思っているがみんなはそうでない感
が少しでてしまう。

だから、言葉をそう"受け取る"。
こちら側で相手の意図を決めてしまうのも
手である。



…もしかして、多くの人は自然と、
そんな風に受け取っていたのかな。


言葉になっていないだけで、

人生は(楽しいことはたくさんあるけどたまにある)辛いもの(はどうしても避けられないよね)」

という意味だったのだろうか…?


文章を書いている内にいっそう整理されてきて
自分の中での新たな気づきが生まれてきた。

なんだか、これまで
少し勿体ない時間を過ごしてきたのかもしれないと思えてきたりした。



この世は言葉足らずである。
一人残らず。
わたしみたい。

でも、それでいい。

時間は限られていて、
目にする耳にする口にするものはきっと
いつも足りていない。

足るようにあること、
その姿勢でいるならそれでいい。


言葉足らずなわたしたち。


陳腐な言葉の書き表わしだけど、
きっと
生き方次第でもっと生きやすくなる。

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